hitomi『LOVE 2000』、テレビ朝日系ドラマ『LOVE 2000』主題歌
2000年3月29日リリース、hitomi 14thシングル。テレビ朝日系ドラマ『LOVE 2000』(中山美穂主演) 主題歌として春に流れ続けた。
hitomi本人が作詞、小室哲哉プロデュース体制から離れて自立を始めた時期の代表曲。ストレートなロックチューンで、ドラマのタイトルそのものを連呼するサビが印象的。中山美穂と豊川悦司が共演したドラマと一緒に、2000年春の代名詞になった。
SPRING · 2000
平成12年 · 3・4・5月 · 全 59 件
新世紀の入口に立っていた三ヶ月。3月4日にPlayStation 2が発売され、4月に小渕恵三首相が緊急入院(後に逝去)して森喜朗内閣が発足、5月5日にさいたま新都心が街開きを迎えた。宇多田ヒカル『Wait & See』が初動歴代1位を打ち立て、嵐がデビュー、福山雅治『桜坂』とサザン『TSUNAMI』が同時にチャート上位を占めた、女性ソロシンガーとアイドルとロックバンドが共存した豊穣な春。
この季節を、シンヤの声で聴く2000年3月29日リリース、hitomi 14thシングル。テレビ朝日系ドラマ『LOVE 2000』(中山美穂主演) 主題歌として春に流れ続けた。
hitomi本人が作詞、小室哲哉プロデュース体制から離れて自立を始めた時期の代表曲。ストレートなロックチューンで、ドラマのタイトルそのものを連呼するサビが印象的。中山美穂と豊川悦司が共演したドラマと一緒に、2000年春の代名詞になった。
2000年3月8日リリース、KinKi Kids 9thシングル。累計約52万枚。
フジテレビ「LOVE LOVEあいしてる」のテーマ曲として2000年春にリリース。B面「KinKiのやる気まんまんソング」は「ちびまる子ちゃん」のOPテーマに採用された。初動約36万枚、累計約52.6万枚を記録したヒット作。
2000年3月6日リリース、Mobyの世界的ヒットアルバム『Play』からのシングル。全英11位。
1999年のアルバム『Play』からのシングルとして2000年3月6日にリリースされ、全英シングルチャートで11位を記録した。アルバム全体のトラックがCMや映画に次々と使用され、当時のクラブ・エレクトロシーンを象徴するアルバムとして日本でも話題となった。Vera Hallのブルースをサンプリングしたディープなクラブトラック。
2000年4月19日リリース、5thシングル。初動売上166万枚は当時のノンタイアップシングル初動歴代1位。
テレビ朝日系ドラマ『甘い結婚』主題歌の話もあったが最終的にノンタイアップでのリリース。アルバム『First Love』(1999) で765万枚を売った絶頂期の宇多田ヒカル17歳が、純粋なシングル力で1位を取った象徴的な楽曲。ベースとブラスのファンキーなアレンジで、それまでのバラード路線とは違う側面を見せた春。
2000年4月5日リリース、嵐のデビューシングル。大野智・櫻井翔・相葉雅紀・二宮和也・松本潤の5人がデビューを発表したのは1999年9月15日のハワイ。
ジャニーズ事務所が新世紀に向けて送り出したアイドルグループ。デビュー曲はオリコン週間1位を獲得。ニノ宮和也は俳優として、松本潤は俳優として、櫻井翔はキャスターとしてマルチな展開を見せていく長い物語の出発点。デビュー時点では、まさかこのグループが20年後に国民的存在になるとは、誰もが予想できなかった。
2000年4月26日リリース、福山雅治15thシングル(マキシシングル)。年間オリコン2位、228万枚の大ヒット。アサヒスーパードライCM『桜のスーパードライ篇』およびTBS『ウンナンのホントコ! 未来日記V』テーマ曲。
東京都大田区田園調布の桜坂を歌った叙情的なバラード。福山雅治自身が作詞作曲。リリース直後から5月いっぱいオリコン1位を維持し、桜の季節を象徴する曲として春の風物詩に。後にカラオケ定番化し、平成を代表する楽曲のひとつとして語られる。
2000年4月26日リリース、浜崎あゆみ12thシングル。同日発売のサザン『TSUNAMI』再発と福山『桜坂』との3つ巴チャート争いが話題に。
前年の『LOVEppears』アルバムで頂点を極めた浜崎あゆみが、新世紀向けに送り出した1作目。ダンサブルなトラックに切実な歌詞、というその後の浜崎フォーマットの完成形に近い。同じ4月26日に福山『桜坂』とぶつかり、チャート1位は福山に譲った形。
2000年4月11日リリース、ブリトニー・スピアーズ2ndアルバムからのリードシングル。世界中で1位を獲得。
前年のデビューシングル『...Baby One More Time』に続く絶頂期。赤いボディスーツでスカイダイバーに会うミュージックビデオが、MTV回転率の頂点に。日本のFMラジオでも頻繁に流れた、新世紀のティーンポップ・アイコンの代表作。
2000年4月12日リリース、小柳ゆき 4thシングル(両A面)。
日本テレビ系「ヤミツキ」のエンディングテーマとして起用された両A面シングル。前作「あなたのキスを数えましょう〜You were mine〜」で前年末の紅白出場を果たした小柳ゆきが2000年春にリリースした新作。パワフルな歌唱で実力派として注目を集めていた時期の1枚。
2000年4月19日リリース、SIAM SHADE 13thシングル。オリコン最高10位。
フジテレビ放映のフォーミュラ・ニッポン(全日本F3000選手権)のテーマ曲として起用。オリコン最高10位を記録し、バンドのトップ10入りシングルとなった。ロックバンドとして2000年春に存在感を示した1枚。
2000年5月24日リリース、B'z 28thシングル。「カロリーメイト」「銀河」のCMタイアップで、初週52万枚の好調なスタート。
アルバム『ELEVEN』からの先行シングル。爽やかなロックチューンで、稲葉浩志のボーカルと松本孝弘のギターワークが新世紀仕様に磨かれていた。B'zは1990年秋の『Easy Come, Easy Go!』ブレイクから10年、変わらずチャート上位を取り続けていた。
2000年5月17日リリース、GLAY 24thシングル。前年1999年7月31日に幕張で20万人ライブを実現したGLAYが、新世紀に向けて出した一作。
1999年の『EXPO 99 SURVIVAL』20万人ライブで時代の頂点を見たGLAYが、2000年5月に静かなバラードでチャートに戻ってきた。TAKURO作の繊細なメロディを、TERUがいつもより少し低めに歌う。バンドブームの最後の輝きと、新世紀の落ち着いた表現の境目にあるシングル。
2000年5月10日リリース、TUBE 36thシングル。夏の代名詞バンドが、夏に向けた助走のように放った春のシングル。
TUBEは1985年デビュー、毎年夏のヒットを出し続けてきたバンド。2000年も春にシングルを出し、夏にアルバムとライブで盛り上げる定番パターン。バブル崩壊後も変わらず夏の音を届け続ける、定点観測のような存在感が春の段階から感じられた。
2000年5月10日リリース、V6 16thシングル。オリコン最高2位。
V6の16thシングルで、オリコン最高2位を獲得した2000年春の大型ヒット。B面「Start me up」(20th Century)がキリン「トロピカーナ」のCMソングとして起用された。ジャニーズグループの安定した人気を背景に2000年5月のチャートを賑わせた。
2000年5月17日リリース、DA PUMP 11thシングル。
沖縄出身のダンスボーカルグループDA PUMPが2000年5月にリリースしたシングル。秋の「if...」で大ブレイクする前の春の1枚で、エネルギッシュなダンスパフォーマンスで若い世代に支持された活動期を象徴する作品。
2000年5月31日リリース、the brilliant green 7thシングル。JAL CMソング。
JAL「2000 JALアクティブ北海道」CMソングとして起用された2000年春のシングル。川瀬智子のハスキーボイスが印象的で、ブリリアントグリーンの透明感のあるポップロックがCMの北海道の映像と合わさり話題を呼んだ。
2000年5月リリース(日本は5月10日)、アルバム『Crush』先行シングル。欧州複数国で1位、2000年世界3位の売上。
アルバム『Crush』(2000年)のリードシングルとして2000年5月にリリースされ、日本では5月10日に発売された。オーストリア・イタリア・オランダ・スペインなど欧州複数国でシングル1位を獲得し、2000年の全世界シングルセールス3位を記録した。1990年代のアリーナロック世代に強く刺さる曲として日本でも幅広く愛された。
2000年1月26日リリース、サザンオールスターズ43rdシングル。年間オリコン1位、288万枚(自身最大、邦楽史上歴代5位)。3月もチャート1位継続。
桑田佳祐が自分が60歳を超えても歌いたい曲を意識して書いたバラード。リリース直後から国民的ヒットになり、春になっても多くの世帯のCDプレーヤーで回り続けた。タイ語『津波』との同綴り問題が後の2004年スマトラ沖地震で議論されるが、2000年春時点では純粋に大ヒットとしての存在感だけがあった。
2000年1月26日リリース、椎名林檎7thシングル。アルバム『勝訴ストリップ』(3月22日リリース) からの先行シングルで、3月までチャート上位に常駐。
前年の『罪と罰』『本能』に続く椎名林檎のソロ第三幕。やわらかく開けたメロディと、毒のある歌詞のコントラスト。アルバム『勝訴ストリップ』が3月にミリオンを達成し、椎名林檎は『天才ロックスター』として春の音楽シーンの中心にいた。
2000年1月11日リリース、*NSYNCの3rdアルバム『No Strings Attached』からのリードシングル。米Billboard4位。
ジャスティン・ティンバーレイクを中心とする5人組ボーイズグループの、当時最大のヒット。ダンスビートとハーモニーが、世紀末からの『キレイめポップ』を継承しつつ、新世紀の音色に磨かれていた。MTVで頻繁に流れ、日本の若年層にも届いた春のグローバルヒット。
2000年1月19日リリース、L'Arc-en-Ciel 12thシングル。約110万枚。
「NEO UNIVERSE」は資生堂「pN」CMソング、「finale」はキヤノン「Wonder BJ」CMソングと映画「リング0 バースデイ」テーマに起用された両A面シングル。ミレニアムの幕開けに約110万枚を売り上げ、春まで大ヒットを継続。7月の「STAY AWAY」まで長くチャートに残った。
2000年1月13日リリース、Mr.Children 18thシングル。約72万枚。
Mr.Childrenが8cmCDフォーマットで発売した最後のシングル。2000年春まで約72万枚を売り上げチャートに残り続けた。バンドの人気を背景に2000年の年明けから春にかけてラジオや有線で頻繁にオンエアされた。
2000年1月1日リリース、安室奈美恵16thシングル。小室哲哉プロデュース、コーセー「Visée」CMソング。
2000年1月1日という元旦にリリースされ、コーセー「Visée(ヴィセ)」CMソングとして起用された。小室哲哉プロデュース作品で、この作品からマキシシングルのみのリリースとなった。産休からの復帰後、安室奈美恵が新たな路線を歩み始めたミレニアムの幕開けを象徴する1曲。
2000年1月26日リリース、ポルノグラフィティ 2ndシングル。オリコン最高12位、約24万枚。
フジテレビ系アニメ「GTO」のOPテーマとして使用されたシングル。2000年1月26日のリリース後も春の間、アニメ放送を通じて継続的にオンエアされ約24万枚を売り上げた。広島出身のロックユニットが全国区の認知を得た出世作の一つ。
2000年2月9日リリース、安室奈美恵25thシングル。1998年の出産・1999年の母の死を経た復活路線のシングル。
アムロブーム最盛期からは少し下火になっていた時期の作品で、母の死を乗り越えて表現の場に戻ってきた安室の心情がにじむ一曲。小室哲哉プロデュースから離れ、自分の音楽性を再構築していく時期の入口にあたる。20代後半の安室奈美恵が、アイドルから歌手へ移行する春。
2000年2月9日リリース、B'z 27thシングル。約113万枚。
木村拓哉・常盤貴子主演のTBSドラマ「Beautiful Life ~ふたりでいた日々~」の主題歌として2000年2〜3月の冬ドラマを席巻。最高視聴率41.3%という記録的な数字とともに春まで大ヒットが継続し、2000年Oricon年間チャート8位にランクインした。
2000年2月9日リリース、SMAP 31stシングル。最高位4位、約30.7万枚。
フジテレビ「SMAP×SMAP」のテーマソングとして起用されたシングル。オリコン最高4位、約30.7万枚の売上で2000年春まで継続的にヒット。8月の「らいおんハート」まで半年以上、グループの顔としてヒットチャートに刻まれた。
2000年2月17日リリース、aiko 5thシングル。カルピスウォーターCMソング。初回20万枚の限定プレス。
カルピスウォーターCMソングとして起用され、「花火」「桃色」に続く3作連続のCMタイアップとなった。2000年最初のシングルで、前作「カブトムシ」の3ヶ月後のリリース。3月1日発売のアルバム「桜の木の下」も春のロングセラーとなり、シングルも春のサウンドとして広く認知された。
2000年2月16日リリース、Every Little Thing 15thシングル。オリコン最高2位、約25万枚。
Every Little Thingが2000年2月にリリースしたシングルで、オリコン最高2位、約25万枚を売り上げた春まで続くヒット作。持田香織のボーカルと五十嵐充の楽曲が生み出す王道J-POPサウンドで、2000年前半のラジオやカラオケで広く親しまれた。
2000年2月23日リリース、Do As Infinity 4thシングル。オリコン最高10位。
フジテレビ系ドラマ「二千年の恋」のテーマ曲として起用された4thシングル。オリコン最高10位を記録し、3月以降も継続してヒット。伴都美子のボーカルを核とした独自のサウンドで2000年前半に存在感を高めたグループの春の1曲。
2000年2月23日リリース、JUDY AND MARY 18thシングル。オリコン最高4位、約15.8万枚。
JUDY AND MARYが2000年2月にリリースしたシングルで、オリコン最高4位、約15.8万枚を売り上げた。YUKIのボーカルとTAKUYAのギターが生み出すポップロックで春まで継続してヒット。バンドが解散(2001年)前夜の充実した活動期を象徴する1曲。
2000年2月2日リリース、SOPHIA 12thシングル。オリコン最高6位、約22.2万枚。
花王ソフィーナ「AUBE」のCMソングとして起用され、フジテレビ「Happy Music」でもパワープレイされた2000年春の大型ヒット。オリコン最高6位、約22.2万枚を売り上げ、SOPHIAが2000年春のチャートに大きく存在感を示した。
シングルは2000年2月リリース、3月下旬〜4月上旬に全米Billboard Hot 100で3週連続1位。グラミー受賞。
2000年春に全米Billboard Hot 100で3週連続1位を獲得し、全32週チャートに在籍した。メンバー交代を経て発表されたこの曲は、Destiny's Childを世界的スターに押し上げた。グラミー賞最優秀R&Bパフォーマンス(デュオ)を受賞している。
1999年6月29日リリース、サンタナのアルバム『Supernatural』からのリードシングル。全米Billboard Hot 100で12週連続1位、2000年春まで継続。
1969年デビューのカルロス・サンタナが、Matchbox 20のロブ・トーマスとコラボして新世紀の前夜に放った大ヒット。ラテンロックとモダンポップが融合した一曲で、グラミー賞9部門を受賞。2000年春の時点でも、街のあらゆるところで流れていたロングヒット。
1999年9月リリース、2000年春にかけて全米Hot 100を制したオーストラリア発のバラード。
1999年9月リリース後、全米Billboard Hot 100で2000年初頭に4週連続1位を記録し、2000年春まで継続してチャートを席巻した。Savage Gardenはオーストラリア出身のポップデュオで、前作「Truly Madly Deeply」に続く大ヒットとなり、2000年春の洋楽シーンを象徴する一曲となった。
1999年11月17日リリース、aiko 5thシングル。発売後じわじわ広がり、2000年春までチャートに残り続けた代表曲。
『花火』『ボーイフレンド』と続くaiko初期の代表作。秋にリリースされた曲が、年を越えて春にも口ずさまれるようになる、その時間のかかり方が当時のaikoらしさ。カブトムシに自分をなぞらえて切ない恋心を歌ったメロディアスな一曲で、多くの聴き手の春の記憶に貼り付いた。歌詞引用は避けてください(雰囲気・時代背景の言及に留めること)。
1999年11月リリース、2000年1月に全米Hot 100で2週連続1位。2000年代最初の全米No.1シングル。
1999年11月にリリースされ、2000年1月15日付のBillboard Hot 100で1位を獲得。2000年代最初の全米ナンバーワン・シングルとして記録された。チャートに計24週在籍し、2000年春も広く聴かれた。Christina Aguileraのデビュー以来の勢いを証明した作品。
1999年11月リリース、2000年2月19日に全米Hot 100で1位。11年連続No.1という記録を達成。
1999年11月にリリースされ、2000年2月19日付Billboard Hot 100で1位を獲得。マライア・キャリーにとって通算15作目の全米1位となり、11年連続でナンバーワンシングルを出す記録を達成した。Joeと98 Degreesを迎えたコラボレーションで、2000年春の洋楽バラードシーンを彩った一曲。
1999年12月8日リリース、倉木麻衣デビューシングル。アニメ『名探偵コナン』主題歌で、2000年春までチャート上位に常駐したミリオンヒット。
宇多田ヒカル登場後の『R&B路線の女性ソロシンガー』の系譜にいた倉木麻衣のデビュー作。当時17歳。アニメ『名探偵コナン』のオープニングとして全国に届き、デビュー作で200万枚超を売り上げた。アメリカ録音、英語混じりの歌詞、洋楽的なアレンジで、春のドライブBGMの定番だった。
1999年12月リリース、2000年3月に全米Hot 100で6位。アルバム『Millennium』第5弾シングル。
アルバム『Millennium』(1999年)からの第5弾シングルとして1999年12月にリリースされ、2000年3月18日付の全米Hot 100で最高6位を記録した。ボーイズバンドが全盛だった2000年春の日本でも広く知られた曲で、オランダ・ニュージーランド・スウェーデン・スイスでは最高2位を獲得した。
2000年3月31日、北海道有珠山が23年ぶりに噴火。事前避難で人的被害ゼロを実現した火山防災の成功例。
事前に火山学者・岡田弘らが噴火を予測し、3月29日から段階的に避難勧告。実際に31日に噴火したときには既に住民は避難済みだった。日本の火山防災が機能した代表例として、後の研究や報道で繰り返し言及される。洞爺湖温泉街は数ヶ月後に観光客が戻った。
2000年4月2日、小渕恵三首相が脳梗塞で緊急入院。4月5日に森喜朗が第85代首相に指名され、5月14日に小渕は逝去した(享年62)。
現職首相の交代と逝去という、戦後でも稀な政治的混乱の春。小渕は7月の九州・沖縄サミット開催決定後に倒れ、サミットの主役を森が引き継ぐ形になった。森喜朗は『神の国発言』など失言が続き、内閣支持率は早々に低下していくが、それは初夏以降の話。春の段階ではまだ世論も様子見だった。
2000年7月21日〜23日に沖縄県名護市の万国津梁館で開催される第26回G8サミット(九州・沖縄サミット)に向け、春から準備が本格化していた。
20世紀最後のサミットで、日本初の地方開催。沖縄での開催は小渕恵三が決断したが、その小渕は4月に倒れ5月に逝去。サミットの主役は森喜朗に引き継がれた。沖縄県名護市では宿泊・警備・通信インフラの整備が春に進み、観光バスやホテルの予約が殺到した。2000円札の発行も、このサミットを機に決まった。
2000年4月期の連続ドラマが各局で開始。1月期のフジ月9『ビューティフルライフ』(木村拓哉・常盤貴子) が最終回41.3%を記録した直後で、ドラマ界全体に余韻が残っていた春。
『ビューティフルライフ』は2000年1月16日〜3月26日放送、最終回視聴率41.3%という90年代以降の月9記録。北川悦吏子脚本。3月終了直後の4月期ドラマには、その熱気が引き継がれた。各局がトレンディドラマからヒューマンドラマへ路線を再調整していく時期。
2000年4月3日〜9月30日放送のNHK連続テレビ小説。田畑智子主演、シングルマザーの奮闘記。
京都の老舗料理屋の娘が、結婚と出産を経て東京でシングルマザーとして生きる物語。田畑智子の朝ドラ主演デビュー作で、平均視聴率20%超の安定したヒット。バブル後の女性の生き方の選択肢を、朝の時間帯に投げかけた作品。
2000年4月22日公開。原恵一監督の劇場版シリーズ8作目で、ジャングルを舞台にサル軍団と戦う野原一家の冒険活劇。
アクション仮面最新作完成記念の客船ツアーに参加していたしんちゃん一家がサル軍団に襲われ、大人たちがさらわれてしまう。残されたしんちゃんたちがジャングルで救出に立ち上がる。前作までよりスケールアップした冒険活劇で、シリーズの興行収入が回復した転機の作品。タイトルに『〜を呼ぶ』というフレーズを採用したのも、この作品以降の定番になっていく。原恵一監督らしい家族愛の温度が、ジャングルの背景にも滲んでいた。
2000年1月1日のY2K問題は無事クリアされ、3月までにはその安堵感と『騒ぎ過ぎだった』という総括が広まっていた。
1999年末、世界中で水と食料を備蓄したY2K騒動が、明けてみれば何も起きなかった。3月までには『あれは何だったのか』という総括期に入り、企業のIT投資の方向性が『2000年問題対策』から『次世代の業務改革』へ転換した。日本の企業は次のIT投資のステージとしてWeb化、メール業務化に動き出した春。
2000年春、ギャル文化のガングロ・ヤマンバの反動として、フェミニンで上品な『お姉系』『コンサバ』スタイルが登場。
雑誌『JJ』『CanCam』『Ray』が牽引したお姉系・コンサバ。日焼けせず、ナチュラルメイク、丈の長めのワンピース、控えめなアクセサリー。OLや女子大生の間で、過剰なギャル文化への揺り戻しとして広がった。ガングロ・ヤマンバは渋谷から徐々に色を失っていく春の入口。
1999年2月22日にスタートしたNTTドコモのiモードが、2000年春に加入者を急速に伸ばし、夏(2000年8月)の1,000万人突破に向けた助走期。
iモードのメール、着メロダウンロード、待ち受け画像。2000年春は、携帯がただの通話端末から『小さなインターネット端末』に変わる転換点だった。中高生がポケベル文化から携帯メール文化へ移行し、待ち合わせの形が根本的に変わった。1,000万人突破は2000年8月、その先の2,000万人突破は2000年11月。春の数字としては『春に1,000万人を突破した』とは書かないこと(事実は8月突破)。春の段階では『急増中』『助走期』『1,000万人到達直前』などの表現が正確。
2000年春、7月19日に発行される2000円札への期待がメディアで報じられた。沖縄サミットを機に小渕恵三が決断した、初の地方モチーフ紙幣。
表は沖縄・首里城の守礼門、裏は源氏物語絵巻。日本銀行券で初めて建造物が肖像のかわりに採用された春の話題作。発行は7月だが、5月までにATM対応やレジ対応の議論が始まり、コンビニのレジが対応するか各社が試験を実施。沖縄サミットへの期待と並行して、メディアが取り上げた。
2000年3月の大相撲春場所、貴乃花が前年からの怪我で休場、若乃花は引退の影が見え始めていた。武蔵丸や曙が場所を主導する展開。
1990年秋に新世代として登場した貴花田・若花田・曙は、2000年春には全員横綱になっていたが、貴乃花は怪我との戦いが続き、若乃花は引退表明寸前。武蔵丸が安定して優勝を狙う、横綱不在感のある春場所だった。
2000年4月初旬、プロ野球シーズン開幕。長嶋茂雄の巨人と王貞治のダイエーがそれぞれリーグ優勝を目指し、秋の日本シリーズ『ON対決』へつながる春。
セ・リーグは巨人の長嶋茂雄監督が4年連続Aクラスを狙う体制で開幕。パ・リーグは王貞治監督のダイエーホークスが連覇を目指した。秋に実現する『ON対決』の伏線が、春の段階ですでに張られていた。新人ではこの年からヤクルトに高井雄平が加入。
2000年3月25日〜4月5日、第72回選抜高等学校野球大会が阪神甲子園球場で開催。東海大相模が決勝で智弁和歌山を破り、26年ぶり3度目の優勝。
東海大相模(神奈川)は原貢監督・原辰徳監督代行のもと、勝負強い試合運びで頂点に立った。智弁和歌山は前年夏の優勝校で、春夏連覇を狙う中での決勝敗退。春の甲子園は世紀末から新世紀へ転換する象徴の場でもあった。
2000年春、『IT革命』という言葉がメディアに頻繁に登場。沖縄サミットでIT憲章が採択される7月へ向けて、政治・経済の文脈で多用された。
森喜朗首相が『it(イット)』と読んだ逸話で記憶されるが、本来は『あいてぃー』。インターネット普及、iモード加入者急増、Y2K問題クリアの自信が重なり、新世紀の経済成長の鍵として政府がIT政策を打ち出した。年末の新語・流行語大賞で『IT革命』が年間大賞を受賞することになる助走期。
2000年春、本来は『神秘的な指導者の魅力』を意味する『カリスマ』が、美容師・販売員・主婦にまで適用される日常語に。
『カリスマ美容師』『カリスマ店員』『カリスマ主婦』という用例が雑誌から日常会話に広がった春。1990年代後半からじわじわ広がっていたが、2000年に入って『誰もが何かのカリスマになれる』感覚が定着した。新世紀の個人ブランディング文化の先駆け。
2000年3月4日、ソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStation 2を39,800円で発売。DVDビデオ再生機能を標準搭載し、ゲーム機の枠を超えた家庭の中心デバイスとして登場した。
発売日には全国の家電量販店に深夜から行列ができた。本体はDVDプレーヤーとしても使えるため、当時2〜3万円が相場だったDVDプレーヤーより安く、ゲームをやらない人もDVD目的で買った。初代PlayStationとの互換性を持ち、新世紀の幕開けを家庭のリビングに持ち込んだ。
2000年春、スターバックスは全国主要都市への出店を加速、タリーズコーヒーも国内展開を本格化。日本にシアトル系カフェ文化が定着した時期。
1996年銀座一号店から始まったスターバックスは、2000年には100店舗を超えて全国展開。タリーズは1997年銀座一号店、2000年には50店舗近く。それまで喫茶店文化だった日本に、紙コップでテイクアウトする習慣が広まった春。ノートPCを持ち込んで作業する人の姿も、この頃から街に増え始めた。
2000年3月にキリンビバレッジが緑茶飲料「生茶」を発売し、松嶋菜々子を起用したテレビCMを大量投下。2000年の清涼飲料市場最大のヒット商品と言われた。
ペットボトル緑茶がコンビニの主役になり始めた時期で、「生茶」は松嶋菜々子のCMとともに一気に定着した。松嶋菜々子は2000年から2007年まで生茶のCMキャラクターを務め、テレビをつければ生茶のCMが流れる状態だった。同じ2000年3月にはサントリーのDAKARAも発売されており、新作飲料CMの当たり年だった。
2000年5月5日、埼玉県さいたま新都心(旧国鉄大宮操車場跡地)が街開き。中央省庁の地方分庁舎やさいたまスーパーアリーナが立ち並ぶ新都心として始動。
翌2001年5月1日にさいたまスーパーアリーナが開業する前段の街開き。当時はまだ大宮市・浦和市・与野市の合併前で、合併によるさいたま市誕生は2001年5月1日。バブル崩壊後の地域再開発の象徴で、ショッピングモール『コクーンシティ』も後に開業。新世紀の都市計画として注目を集めた。
ここに並べたのは、2000年春に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。
2000年 春を聴く