モーニング娘。『抱いてHOLD ON ME!』、紅白初出場へ
1998年9月9日リリースの3rdシングル。累計51万枚。この年末の第49回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。
『サマーナイトタウン』に続くシングルで、グループの認知度が急上昇した時期の一曲。歌って踊れる少女たちというコンセプトで注目を集め、後のアイドル戦国時代の前夜にじわじわと存在感を示していた。
AUTUMN · 1998
平成10年 · 9・10・11月 · 全 24 件
Mr.Children『終わりなき旅』が約2年の活動休止から帰還し、L'Arc~en~Ciel が『snow drop』『forbidden lover』を1週違いで連続1位に送り込む怪物的な活動量を見せた。GLAY『BE WITH YOU』・globe・モーニング娘。が秋のチャートを彩り、海外ではAerosmith『I Don't Want to Miss a Thing』(映画アルマゲドン)が映画館に響いた。映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』が邦画実写の記録を塗り替え、月9『眠れる森』が高視聴率を記録。スポーツでは横浜ベイスターズが38年ぶり日本一(ハマの大魔神・佐々木主浩)、中田英寿がセリエAデビューで2ゴール、若乃花・貴乃花が史上初の兄弟横綱に。ゲームは『メタルギアソリッド』、テクノロジーはスケルトンの『iMac』が登場した秋。
この季節を、シンヤの声で聴く1998年9月9日リリースの3rdシングル。累計51万枚。この年末の第49回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。
『サマーナイトタウン』に続くシングルで、グループの認知度が急上昇した時期の一曲。歌って踊れる少女たちというコンセプトで注目を集め、後のアイドル戦国時代の前夜にじわじわと存在感を示していた。
1998年9月2日リリース。オリコン週間1位。同年12月31日の第40回日本レコード大賞で大賞を受賞した。
小室哲哉・KEIKO・Marc Pantherのユニットによるロングセラー型のヒット。小室哲哉の影響力が頂点に近かった1998年秋を象徴する一曲で、年末のレコード大賞を制した。
1998年10月21日リリース。約2年の活動休止期間を経て発表された復活シングル。累計100万枚超で、Mr.Children最後のミリオンシングルとなった。
1996年のツアー後に充電期間へ入っていたバンドの帰還として、音楽ファンの間で大きな話題を呼んだ。前向きな人生賛歌で、不況に沈む当時の空気にも刺さるメッセージ性を持っていた一曲。
1998年10月7日リリースの13thシングル。オリコン初登場1位、累計114万枚超のミリオン。翌週に『forbidden lover』を連続投入する伝説的な攻勢の第一弾。
1998年はラルクが爆発的にブレイクした年で、活動量が異次元だった。『snow drop』はその秋攻勢の口火を切り、ポップで疾走感のあるサウンドが多くのリスナーを掴んだ。
1998年10月14日リリースの14thシングル。『snow drop』のわずか1週後にリリースされ連続1位を獲得、累計83万枚。
前週の『snow drop』から間を置かずに投下され、2曲が同時にチャート上位を占める前代未聞の光景を生んだ。重厚でダークな世界観がファンに支持され、ラルク人気の絶頂を象徴する出来事になった。
1998年10月28日リリースの10thシングル。T.M.Revolution(西川貴教)初のクリスマスソング。秋の終わりに冬を先取りするように街で流れた。
浅倉大介プロデュースによる打ち込みロックで一世を風靡していた西川貴教。きらびやかなサウンドのクリスマスナンバーで、1998年秋から年末にかけて存在感を放った。
1998年10月21日リリースの6thシングル。シャープ『MD-J』CMソング。ダンスボーカルグループの先駆けとして人気を集めた。
沖縄出身のISSAらによるダンスボーカルグループが、キレのあるダンスとR&B寄りのサウンドで支持を広げていた時期の一曲。1990年代後半のダンスボーカルブームを牽引した。
映画『アルマゲドン』主題歌。米Billboard Hot 100で4週連続1位、Aerosmith史上初の全米1位シングル。映画は1998年10月10日に日本公開された。
隕石衝突の超大作映画とともに、シネコンで爆発的に流れた1998年秋を象徴する一曲。ダイアン・ウォーレン作曲のパワーバラードで、スティーヴン・タイラーの娘リヴ・タイラーが映画に出演していたことも話題に。
1998年11月25日リリース。フジテレビ系ドラマ『タブロイド』主題歌。累計117万枚で、この年3枚目のミリオンシングル。
1998年のGLAYは『誘惑』『SOUL LOVE』と連続ミリオンを放った絶頂の年。『BE WITH YOU』はしっとりとしたバラード系で、ドラマの世界観とマッチした。無敵状態の年末攻勢を象徴する一曲。
映画『タイタニック』主題歌。1998年初頭に日本でシングル発売され、映画のロングラン公開とともに1998年を通じて愛され続けた洋楽の代表曲。
映画『タイタニック』は1998年春から夏にかけての超大ヒット洋画で、日本でも長く公開された。その主題歌として繰り返し流れ、秋になっても記憶に新しい曲として機能した。1998年の洋楽を象徴する一曲。
1998年6月のフランスW杯で日本代表が初出場。結果は3戦全敗だったが、中田英寿らの活躍と『世界との差を肌で感じた』経験が、秋以降も語り継がれた。
1997年のジョホールバルでの初出場決定の熱狂から本大会へ。アルゼンチン・クロアチア・ジャマイカに敗れたが、ここで得た経験が日本サッカーの成熟につながった。秋には中田の海外移籍とともに、未来への期待が膨らんでいた。
1998年10月23日、日本長期信用銀行(長銀)が特別公的管理を申請し実質破綻。バブル崩壊後の不良債権処理が招いた、当時戦後最大規模の銀行破綻だった。
1997年の北海道拓殖銀行・山一証券に続く金融機関の破綻で、『金融危機の秋』として記憶されている。失業率が上がり『日本列島総不況』という言葉が流行語になった時代背景の中の出来事だった。
1998年10月8日〜12月24日放送のフジテレビ木曜劇場。木村拓哉・中山美穂のW主演ミステリードラマ。最高視聴率30.8%、平均25.2%。
記憶喪失を軸にしたラブサスペンスで、ミステリー色の強い作風が話題に。木村拓哉の連続大ヒット枠のひとつで、当時の彼の影響力を示す高視聴率を記録した。秋から年末にかけてのテレビ文化を象徴したドラマ。
1998年10月31日公開。本広克行監督、織田裕二・深津絵里主演。興行収入101億円・観客動員700万人で当時の邦画実写歴代最高を記録した。
1997年のテレビドラマから映画化された本作は、公開初日に有楽町で開館前に3,200人が行列を作る人気だった。テレビドラマの映画化という新しいビジネスモデルを確立し、邦画がここまでヒットするのかと業界を驚かせた。
1996〜1997年に社会現象を起こしたたまごっちのブームが、1998年に沈静化。秋には『ブームが落ち着いた』空気が漂い、翌年には大量の在庫処分が報じられた。
あれほど品切れが続いた卵型の機械が、1998年に入ると入手しやすくなった。爆発的なブームの後の『祭りの後』のような空気が、1998年秋にはあった。流行の移ろいの速さを象徴する出来事だった。
1997〜1998年にかけて『環境ホルモン』『ダイオキシン』が社会問題化。ゴミ焼却場のダイオキシン問題などが連日報道され、1998年秋にも関連の話題が相次いだ。
書籍『奪われし未来』の翻訳出版を火付け役に、『生殖に影響する化学物質』としてメディアが連日報道。スーパーの食品や学校でも心配の声が上がり、『環境ホルモン』が一種の流行語に。1998年の不安の時代気分を象徴するキーワードだった。
1998年9月、中田英寿がイタリア・セリエAのペルージャでリーグデビュー。対ユヴェントス戦で2ゴールを決め、現地の大手紙から高評価を受けた。
フランスW杯で存在感を示した中田が、アジア人として異例の世界最高峰リーグへ移籍。デビュー戦でユヴェントス相手に2ゴールという衝撃的な活躍で、『日本人が世界で戦える』という高揚感が広がった秋だった。
1998年7月に若乃花が横綱に昇進し、弟・貴乃花とともに史上初の兄弟横綱が実現。秋場所は二人がそろって横綱として土俵に上がった。
若貴ブームは1990年代の大相撲人気を支えた柱で、兄弟横綱の実現は国民的ニュースになった。1998年秋場所はその『若貴時代』の頂点。二人が同じ番付の頂点に立つ姿に、相撲ファンが沸いた秋だった。
1998年、横浜ベイスターズが38年ぶりの日本一を達成。クローザー佐々木主浩が年間45セーブの活躍でMVP。『ハマの大魔神』が新語・流行語大賞の年間大賞に。
権藤博監督のもと『マシンガン打線』で快進撃。佐々木主浩のフォークボールは各球団が最も恐れた決め球で、1998年の防御率は驚異的だった。『ハマの大魔神』というニックネームが爆発的に普及した秋。
1998年の新語・流行語大賞は『ハマの大魔神』が年間大賞。トップテンに、パイレーツの『だっちゅーの』、田中真紀子の『凡人・軍人・変人』などが選ばれた。
『ハマの大魔神』は横浜の日本一と佐々木主浩から。『だっちゅーの』はバラエティ出身の女性デュオのギャグで、お茶の間を沸かせた。『凡人・軍人・変人』は政治の世界の流行語。暗さと笑いが同居した1998年を映していた。
1998年8月29日、Appleの初代iMac(G3)が日本発売。半透明ボンダイブルーのスケルトンボディが『パソコンのデザインを変えた』と話題になった。
当時のパソコンはベージュの箱型が主流で、iMacの登場は衝撃を与えた。スティーブ・ジョブズの復帰後初の大型製品で、一体型デザインとUSB搭載が先進的。パソコンを持つことがファッションになる一歩手前の感覚を生んだ。
1998年9月3日、コナミがPlayStation向けに発売。小島秀夫監督による潜入ステルスゲームで、全世界600万本を超える大ヒットになった。
完全3Dのグラフィックと映画的な演出、ドラマチックなストーリーが革命的と評された。発売日の秋葉原には行列ができ、『ゲームとは何か』を再定義した作品として語り継がれる。プレイステーション時代の頂点を象徴する一本。
1998年11月28日、スターバックスの関西1号店「梅田HEP FIVE店」が大阪市北区にオープンした。西日本初の店舗だった。
1996年8月に銀座で日本1号店を開いたスターバックスが、ついに関西へ進出した。1998年3月末時点で全国18店舗というまだ希少な存在で、ロゴ入りの紙カップを持って街を歩くスタイルそのものが新しかった。ラテやカプチーノというエスプレッソ系メニューの呼び名も、この頃から少しずつ日常語になっていった。
1998年11月、加藤あいが広末涼子の後任としてNTTドコモのポケットベルCMに起用された。以後、長くドコモのイメージキャラクターを務めた。
ポケベルからケータイへの移行期。携帯電話やPHSに押されてポケベルの契約数は減り始めていたが、CMには変わらずフレッシュな若手女優が起用され続けた。加藤あいはこのCMをきっかけに知名度を大きく上げ、2006年頃までドコモの顔として活躍した。
ここに並べたのは、1998年秋に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。
1998年 秋を聴く