WINTER · 1995

1995の記録

平成7年 · 12・1・2月 · 全 68

11月23日に日本語版Windows 95が発売され、秋葉原に深夜2万人の行列ができた直後。globe『DEPARTURES』が元日リリースで小室哲哉サウンドの極点を迎え、安室奈美恵『Chase the Chance』で初のオリコン1位。Mr.Children『名もなき詩』が初週121万枚という史上初の記録を達成し、阪神・淡路大震災から1年の追悼が神戸で行われた。第46回紅白歌合戦、ビートルズ『Free as a Bird』、Mariah Carey & Boyz II Men『One Sweet Day』の16週連続1位――90年代J-POPと洋楽の頂点が一つの冬に重なり、そして世紀末に向かう日本の輪郭が静かに固まり始めた三ヶ月。

この季節を、シンヤの声で聴く

Music · 音楽39

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安室奈美恵『Chase the Chance』、初オリコン1位の136万枚

1995年12月4日リリース、安室奈美恵単独名義4thシングル。累計約136万枚、安室として初のオリコン週間1位獲得。

SUPER MONKEY'S時代を経て、ソロ移行後の小室哲哉プロデュース第4弾でついに頂点へ。前作『太陽のSEASON』『Body Feels EXIT』とユーロビート系の路線を続けて加速し、年末にもう一段ギアを上げてこの曲がチャートを取った。冬の街・カラオケ・テレビCMでこの曲が鳴り続け、安室奈美恵の名前が完全に時代のアイコンになる入口の1枚。アムラーという言葉が広がり始める数ヶ月前のタイミングだった。

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山下達郎『クリスマス・イブ』、JR東海『クリスマス・エクスプレス』で冬の定番

1983年12月14日リリース、山下達郎の冬の定番。JR東海『クリスマス・エクスプレス』CMタイアップで1989年にオリコン1位、1991年1月ミリオン突破。1995年冬時点でも有線・FMの絶対的定番曲。

JR東海『クリスマス・エクスプレス』は1989年から1992年まで制作され、深津絵里・牧瀬里穂などが遠距離恋愛のヒロインを演じた伝説的CMシリーズ。1995年冬の時点で、このCM自体は既にレギュラー放送終了していたが、山下達郎のクリスマス・イブは12月のテレビ・カラオケ・街頭・スーパーマーケット・コンビニで永久ループのように鳴り続ける完全定着の状態だった。後にオリコンチャートで30年以上連続トップ100入りという前人未到記録を打ち立てる曲。

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PRINCESS PRINCESS『The Last Princess』、最後のオリジナルアルバム

1995年12月13日リリース、PRINCESS PRINCESS最後のオリジナルアルバム。解散発表後の最終作で、岸谷香・中山加奈子らの5人で活動を締めくくる位置の作品。

1995年に解散を発表していたPRINCESS PRINCESSが、冬に出した最後のオリジナルアルバム。『Diamonds』『M』『世界でいちばん熱い夏』の80年代後半から90年代前半の女性バンドの代表として、最後のメッセージを込めた一枚だった。翌1996年5月31日の日本武道館『The Last Live』に向けて、ファンが冬の間に聴き続けた終止符のアルバム。

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DREAMS COME TRUE『LOVE LOVE LOVE/嵐が来る』、冬まで残った夏のNo.1

1995年7月24日リリース、DREAMS COME TRUE 18thシングル。フジテレビ系ドラマ『愛していると言ってくれ』主題歌、累計約249万枚で1995年年間1位。

豊川悦司・常盤貴子の月9ドラマと結びついた夏のNo.1ヒットが、年末年始のチャート・有線でもまだ強い余韻で鳴り続けていた冬。吉田美和の透き通った声と中村正人のアレンジが、冬のシーンでも『LOVE LOVE LOVE』の歌詞の親密さがそのまま機能した。年末の音楽特番・カラオケでも常連曲で、1995年の音楽年間ベストの締めくくりを担う1曲だった。

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Mr.Children『シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜』、夏から冬まで街で鳴り続けた

1995年8月10日リリース、Mr.Children 9thシングル。8月のオリコン週間1位を経て、累計約181万枚。売上・印税は阪神・淡路大震災義援金に充当。

8月のリリースから冬まで街・有線・カラオケで残り続けたミリオンセラー。スキップするリズムと跳ねるホーンのアレンジが、夏のドライブから冬の忘年会まで違和感なく繋がった。震災義援金として売上が充当された社会的メッセージとともに、Mr.Childrenが90年代の絶対的バンドであることを確認させた1曲。冬は次の『名もなき詩』に向けた期待が高まる時期だった。

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スピッツ『ロビンソン』、4月発売から冬を越えて1996年にミリオン突破

1995年4月5日リリース、スピッツ11thシングル。シングル発売から年末を超えて、翌1996年初めにミリオン突破。累計約162万枚。

春の発売時は最高4位の地味なスタートから、夏・秋・冬と通年で売れ続けて、年明けにミリオンセラーに到達するというロングセラーの典型例。冬のあいだもFM・有線・カラオケで定位置を保ち、忘年会・新年会のカラオケでも歌われ続けた。草野マサムネの透明な声が、震災・サリンの一年を通して日本の音風景の底に流れていた1曲。

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安室奈美恵『Body Feels EXIT』、秋から冬への助走曲

1995年10月25日リリース、avex移籍後初のシングルで小室哲哉プロデュース第一弾。オリコン最高3位・累計約88万枚。12月の『Chase the Chance』に繋がるユーロビート路線の起点。

10月のリリース後にチャートを駆け上がり、12月の『Chase the Chance』の地ならしとなった曲。小室哲哉プロデュースのユーロビートサウンドで、ソロアーティスト・安室奈美恵の輪郭が完全に出来上がるまでの3ヶ月。冬のFM・MTV・カラオケでこの2曲が交互に流れ続け、ティーンエイジャーから20代女性までを巻き込んでいった。

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シャ乱Q『いいわけ』、夏のブレイクから冬まで残った関西ロック

1995年8月9日リリース、シャ乱Q 8thシングル。前作『ズルい女』に続くヒットで累計約120万枚、累計でシャ乱Qを国民的バンドへ押し上げた。

つんくの歌唱と作詞作曲、はたけのアレンジで、関西ロックバンドが完全に全国区になった夏の延長として冬まで残った。ブルース調のサビが、冬のスナック・忘年会の二次会・タクシーの中・カラオケのトリで歌い続けられた。「言い訳ばかりだね 君と話してると」のサビが、95年12月の繁華街の風景に刺さっていた曲。

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B'z『LOVE PHANTOM』、秋から冬まで聴こえ続けた稲葉のサビ

1995年10月11日リリース、B'z 18thシングル。テレビアニメ『神秘の世界エルハザード』第2期エンディングテーマ、累計約190万枚。

秋の終わりから冬の入口にかけてオリコンを支配したB'zの代表曲のひとつ。松本孝弘の重いギターリフと稲葉浩志の高音シャウトが、冬のFM・有線で繰り返された。B'zは1995年に『ねがい』『LOVE PHANTOM』と立て続けにミリオンを取り、年末のレコ大・紅白の議論でも常連だった年。冬のカラオケで男性が高音を絞り出す姿は、95年から96年にかけての風物詩。

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TRF『BRAND NEW TOMORROW』、秋リリースで冬の年末カラオケに

1995年10月16日リリース、TRF 11thシングル。前作群と同じく小室哲哉プロデュース、TRF5作連続ミリオンの流れの中の一曲。

TRFの黄金期最終盤で、SAMの振付・YU-KIのボーカル・小室哲哉プロデュースの三位一体が、年末カラオケと新年会の定番として機能した冬。『EZ DO DANCE』『survival dAnce』『BOY MEETS GIRL』『Overnight Sensation』に続く5作連続ミリオンの後半に位置し、年末の歌番組・忘年会DJイベントで必ず1回はかかる曲だった。1996年以降のTRFは少し勢いが落ちるので、これが冬の最後の頂点。

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中島みゆき『旅人のうた』、年末まで残った『家なき子2』主題歌

1995年5月19日リリース、中島みゆき32ndシングル。日本テレビ系ドラマ『家なき子2』主題歌、累計約153万枚。

夏のドラマ放送終了後も、中島みゆきの独特の低音と『泥に汚れた服を脱ぎ捨てるように』の歌い出しが、冬のFM夜の時間帯で繰り返された。25周年を超えていたベテランの中島みゆきが、ドラマ主題歌で90年代J-POP女性ボーカルの上位に再びチャートを取りに行った曲。冬の長距離ドライブ・夜行バス・FMで定位置を持っていた。

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WANDS『世界が終るまでは…』、94年末から丸1年経った冬

1994年12月10日リリース、WANDS 7thシングル。テレビアニメ『スラムダンク』エンディングテーマ、累計約197万枚。発売から1年が経過した1995年冬時点でもなお有線・カラオケで定位置。

前年クリスマス前にリリースされて、震災・サリン・春・夏・秋・と日本を通り抜けて、また年末年始に戻ってきた異例のロングヒット。スラムダンクのアニメ自体は1996年3月で放送終了するため、冬のテレビ朝日の土曜夕方にこのEDが流れる時間も残りわずかという空気もあった。湘北メンバーが歩く後ろ姿の映像とともに、90年代後半までずっと残り続けた。

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Mr.Children『Tomorrow never knows』、丸1年経った冬もチャート常連

1994年11月10日リリース、Mr.Children 6thシングル。累計約276万枚、Mr.Children最大の売上で90年代年間1位の代表曲。

前年秋にリリースされて、95年の春・夏・秋・冬と1年通してカラオケ・有線・FMで鳴り続けたロングヒットの極北。年末の音楽特番では『今年の代表曲』として何度も取り上げられ、紅白歌合戦でもMr.Childrenが出場した。冬のスキー場・温泉宿のラウンジ・忘年会の二次会、すべての場面でこの曲のイントロが流れた。

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Mariah Carey & Boyz II Men『One Sweet Day』、16週連続1位の歴史的記録

1995年11月14日リリース。ビルボードHot 100で1995年12月2日から1996年3月16日まで16週連続1位の歴代記録樹立(2017年Despacitoまで単独保持)。

Mariah Careyの『Daydream』からのシングルでBoyz II Menとのコラボ。前作『Fantasy』の8週1位に続いて、世界中のラジオ局がこの曲を流し続けた冬。日本でもFM-J Wave・FM東京の夜の番組で必ず1回はかかる曲だった。R&Bコーラスとマライアの高音域が組み合わさった、95年から96年にかけての洋楽の絶対的中心。

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The Beatles『Free as a Bird』、25年ぶりの新曲リリース

1995年12月4日リリース、The Beatlesの実質的な新曲。ジョン・レノンが残した1977年のデモテープに、ポール・マッカートニー・ジョージ・ハリスン・リンゴ・スターが新たな演奏を加えた歴史的1曲。

1970年のビートルズ解散から25年、ジョン・レノンの死から15年。世界中の音楽ファンが『ありえない』と思っていた『新曲』が冬に届いた事件。アンソロジーシリーズと連動したリリースで、日本のFM・テレビでも繰り返し特集が組まれた。94年から95年にかけて世界の音楽ジャーナリズムが追いかけ続けた『ビートルズ復活』プロジェクトの結実点として、ポップミュージック史の1ページを冬に追加した。

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Whitney Houston『Exhale (Shoop Shoop)』、冬の入口のNo.1

1995年10月24日リリース、映画『Waiting to Exhale』主題歌。ビルボードHot 100で11月25日から12月の1週間連続1位、Whitneyの10曲目のNo.1。

Whitney Houston主演のフォレスト・ウィテカー監督の映画『Waiting to Exhale』のテーマソング。それまでのバラード路線から少しR&B寄りに振った曲で、12月の冬のFMで毎晩のように流れた。Whitney Houston・Mariah Carey・Janet Jackson・TLCといった90年代R&Bの女性アーティストが頂点に居続けたシーズンの代表曲。

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Coolio feat. L.V.『Gangsta's Paradise』、年末まで街で鳴り続けた

1995年8月1日リリース、Coolio『Gangsta's Paradise』からのシングル。ビルボードHot 100で9月-10月に3週連続1位、年間チャートで1位。

映画『Dangerous Minds』(危険な遊び)のテーマソング。Stevie Wonder『Pastime Paradise』をサンプリングしたメランコリックなビートと、Coolioの低音ラップが世界中で大ヒット。秋の1位から冬まで世界中のラジオ・MTV・クラブで鳴り続けた。日本のHIP-HOP・R&Bリスナーにとって95年の冬の象徴的な1曲で、夜のクラブで必ずかかる定番。

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TRF『Happening Here』、人気絶頂期の年末に出たダンスチューン

1995年12月11日リリース、12thシングル。オリコン最高3位、累計約25万枚。

小室哲哉プロデュースで時代のダンスシーンを引っ張っていたTRFの、年末のシングル。東京ドームでのコンサートも行うなど人気絶頂にあった時期で、クリスマス商戦に合わせて投入されたダンスナンバー。

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WANDS『Same Side』、NBAのCMに乗った年末の週間2位

1995年12月4日リリース、10thシングル。オリコン週間2位、累計約23万枚。NBA関連のCMソング。

『世界が終るまでは…』で大ヒットを飛ばしたWANDSが、年末に放ったシングル。バスケットボール人気が高まっていた時期に、NBAのCMタイアップで届けられた、ビーイング系のロックナンバー。

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観月ありさ『Don't be shy』、人気絶頂期に届いた冬のアイドルポップ

1995年12月1日リリース、10thシングル。イタリアのポップスを日本語でカバーした作品。

ドラマや映画で時代の顔だった観月ありさが、女優業と並行して出していた冬のシングル。海外のポップスを日本語でカバーするスタイルで、アイドル全盛期の華やかさをそのまま音にしたような1曲。

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Take That『Back for Good』、解散へ向かう英国の国民的バンドの名バラード

1995年リリース、UKシングルチャート1位・ビルボードHot 100最高7位。日本でも洋楽チャートの年間上位に入り、年末まで流れ続けた。

ゲイリー・バーロウが書いた切ないバラードで、世界中のチャートを制したTake Thatの代表曲。日本でもボーイバンド人気の追い風を受けて長くラジオで流れ、グループが解散へ向かう中で事実上のラストアンセムとして記憶された。

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The Cardigans『Carnival』、本国より日本で愛されたスウェディッシュ・ポップ

1995年リリース。J-WAVEの1995年間ランキングで上位に入るなど、本国以上に日本で突出した人気を誇った。アルバム『Life』は日本でヒットした。

スウェーデンのバンドが、本国より先に日本でブレイクした象徴的な1曲。ニーナ・パーションの可憐な歌声とレトロで甘いメロディが、日本のFMで繰り返し流れ、深夜ラジオのBGMとしても親しまれた。翌年の『Lovefool』での世界的ブレイクの入口になった。

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globe『DEPARTURES』、1月1日リリースで228万枚の冬の極点

1996年1月1日リリース、globe 4thシングル。累計約228万枚、JR東日本『JR ski ski』キャンペーンCMタイアップ。globeのキャリア最大の売上シングル。

小室哲哉プロデュース、KEIKOのメインボーカル、マーク・パンサーのラップという3人の形が完全に固まった一枚。1月1日リリースは音楽業界としても異例で、正月のラジオ・有線・カラオケで一気に火がついた。雪国へ向かう新幹線・スキー場・スノーボードショップで延々と鳴り続け、後に『冬の代表曲』として小室哲哉の最高傑作と呼ばれる曲になった。KEIKOは小室哲哉主催のオーディションから1年でこの座にたどり着いた。

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ZARD『マイ フレンド』、『SLAM DUNK』のエンディングで歌われた164万枚

1996年1月8日リリース、15thシングル。オリコン週間1位、累計約164万枚。日本テレビ系アニメ『SLAM DUNK』エンディングテーマ。

バスケットボール人気の絶頂と重なって大ヒットした、ZARD最大のシングル。坂井泉水の伸びやかな歌声が『SLAM DUNK』のエンディングで毎週流れ、年明けのチャートのトップを走った。アニメ世代の記憶に深く刻まれた1曲。

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スピッツ『空も飛べるはず』、『白線流し』とともに再ヒットした148万枚

1994年の曲が、1996年1月にフジテレビ系ドラマ『白線流し』主題歌として再発売され、オリコン週間1位・累計約148万枚に。

もともと1994年に出ていた曲が、1996年冬の青春ドラマ『白線流し』の主題歌に起用されて全国的な大ヒットになった。草野マサムネの透き通った声と切ないメロディが、卒業の季節の空気と重なり、スピッツ最大のシングルになった。

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FIELD OF VIEW『DAN DAN 心魅かれてく』、『ドラゴンボールGT』の主題歌

1996年1月リリース、シングル。テレビアニメ『ドラゴンボールGT』オープニングテーマで、ビーイング系FIELD OF VIEWのミリオンヒット。

国民的アニメ『ドラゴンボール』の新シリーズGTのオープニングとして、世代を問わず親しまれた1曲。ビーイング系らしい爽やかでドラマチックなサウンドが、年明けのお茶の間に流れ続けた。後にカバーや配信で何度も蘇る定番曲になっていく。

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内田有紀『幸せになりたい』、広瀬香美が書いた冬ドラマの主題歌

1996年1月24日リリース、シングル。オリコン最高6位。TBS系ドラマ『キャンパスノート』主題歌で、広瀬香美が作曲・編曲。

女優として人気だった内田有紀が歌手としても活動していた時期の、冬のシングル。『ゲレンデがとけるほど恋したい』の広瀬香美が手がけ、スキーシーズンの空気をまとった爽やかなポップとして親しまれた。

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George Michael『Jesus to a Child』、亡き人へ捧げた6分の鎮魂歌

1996年1月リリース、UKシングルチャート1位・ビルボードHot 100最高7位。アルバム『Older』のリードシングル。

亡くした大切な人への想いを込めて書かれた、6分を超える静かな大作バラード。リリースと同時に英国チャートの頂点に立ち、年明けの深夜のFMで冬の定番曲として流れた。ジョージ・マイケルの円熟を示した1曲。

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Babylon Zoo『Spaceman』、リーバイスのCMから生まれた衝撃の英国1位

1996年1月リリース、UKシングルチャート初登場1位(5週連続)。リーバイスのCMに使われ、発売初週に当時の記録的な売上を記録した。

1995年末のリーバイスのジーンズのCMで流れて火がつき、年明けに爆発的なヒットになったテクノとロックを融合させた1曲。独特のスペーシーな音像が話題を呼び、日本のFMやMTVでも流れた、1996年初頭を象徴する洋楽。

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Mr.Children『名もなき詩』、初週121万枚の史上初記録

1996年2月5日リリース、Mr.Children 10thシングル。フジテレビ系ドラマ『ピュア』主題歌。初週約120万枚は当時のオリコン史上初の単独週間100万枚超え、累計約231万枚。

前作『シーソーゲーム』からほぼ半年ぶりのシングルで、ドラマ『ピュア』の和久井映見・所ジョージとともに2月の冬の終わりに登場。「あるがままの心で 生きられぬ弱さを 噛みしめ ながら」のオープニングは、桜井和寿のソングライターとしての到達点を象徴する。CDの初週単独ミリオン突破は当時のオリコン史上初めての記録で、Mr.Childrenが90年代J-POPの中心であることを完全に確定させた1曲。

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JUDY AND MARY『そばかす』、『るろうに剣心』OPで取ったバンド初の1位

1996年2月19日リリース、シングル。オリコン週間1位(バンド初)、累計約103万枚。フジテレビ系アニメ『るろうに剣心』オープニングテーマ。

YUKIのキュートで力強いボーカルで人気を広げていたJUDY AND MARYが、アニメ『るろうに剣心』のオープニングで初のオリコン1位・ミリオンを達成した1曲。バンドが世代を超えて愛される存在になった、ブレイクの決定打。

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X JAPAN『DAHLIA』、ハードロックが頂点に立った週間1位

1996年2月26日リリース、13thシングル。オリコン週間1位。同名アルバムの先行シングル。

ヘヴィメタル/ハードロックを軸とするX JAPANが、メインストリームのチャートで週間1位を取った1曲。激しさと美しさを併せ持つサウンドが、90年代の日本のロックの隆盛を象徴していた。同日発売の大黒摩季『あぁ』との一騎打ちも話題になった。

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THE YELLOW MONKEY『JAM』、バンド史上最大のヒットになった1曲

1996年2月29日リリース、9thシングル。オリコン最高6位、累計約60万枚で、バンドのシングル最高売上を記録した。

妖艶なロックンロールで支持を広げたイエモンが、バンド史上最大のヒットにした1曲。吉井和哉が『バンドの国歌』と語るこの曲は、ニュースを見つめる視点を歌った歌詞とともに、聴く者の胸に深く残った。ロックがJ-POPのど真ん中に立った瞬間。

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V6『MADE IN JAPAN』、バレンタイン当日に出たグループ初の1位

1996年2月14日(バレンタインデー)リリース、2ndシングル。オリコン週間1位(グループ初)、累計約46万枚。

デビュー曲『MUSIC FOR THE PEOPLE』に続くV6の2枚目。バレンタインデー当日というリリース戦略も話題になり、グループとして初の週間1位を取った。新世代のジャニーズが定着していく、その勢いを示した1曲。

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華原朋美『save your dream』、時代の歌姫になっていく冬のシングル

1996年初頭リリース、シングル。小室哲哉プロデュース。『I BELIEVE』に続くヒットで、華原朋美が時代の歌姫として駆け上がっていた時期の1曲。

小室哲哉プロデュースで一気にスターになった華原朋美が、ブレイクの勢いそのままに届けた冬のシングル。TKサウンドが日本中を席巻していた時期で、彼女のクリアな歌声が年明けのチャートを彩った。

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大黒摩季『あぁ』、『味いちもんめII』の主題歌で週間2位

1996年2月26日リリース、13thシングル。オリコン週間2位(1位はX JAPAN『DAHLIA』)。テレビ朝日系ドラマ『味いちもんめII・京都編』主題歌。

『ら・ら・ら』の『味いちもんめ』に続き、その続編『味いちもんめII』の主題歌として書き下ろされた大黒摩季のパワフルなナンバー。X JAPANの『DAHLIA』と同日発売の激戦の中で週間2位を記録した。

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岡本真夜『FOREVER』、『TOMORROW』に続くプラチナヒット

1996年2月12日リリース、2ndシングル。オリコン最高4位。映画・ドラマのタイアップを持ち、日本レコード協会プラチナ認定。

デビュー曲『TOMORROW』が177万枚の大ヒットになった岡本真夜の、続く2枚目のシングル。シンガーソングライターらしい温かいメロディで、前作の勢いを受けて冬のチャート上位に入った。

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SMAP『胸さわぎを頼むよ』、カネボウのCMから流れた週間2位

1996年2月2日リリース、20thシングル。オリコン週間2位、累計約50万枚。カネボウの春夏キャンペーンのCMソング。

『俺たちに明日はある』で初登場1位を取ったSMAPが、続いてカネボウの化粧品CMに乗せて届けた1曲。バラエティ『SMAP×SMAP』が始まり、国民的グループへと駆け上がっていく時期のヒット。

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hitomi『Sexy』、TBCのCMから初のトップ10入り

1996年2月28日リリース、5thシングル。オリコン初のトップ10入り、累計約31万枚。TBC(東京ビューティーセンター)のCMソング。

avexの女性シンガーhitomiが、エステのCMタイアップで初めてトップ10に入った1曲。小室サウンド全盛のavexの勢いの中で、彼女がアーティストとしての地位を固めていった時期の作品。

news · ニュース・出来事4

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オウム真理教関連、12月-2月の関連報道と解散命令の確定

1995年5月の麻原彰晃逮捕以降、年末・年明けまで関連幹部の逮捕・送検・裁判準備の報道が連日続いた冬。10月30日に東京地裁がオウム真理教への宗教法人解散命令を出し、確定は1996年1月30日の最高裁決定までもつれた。

前年5月の麻原逮捕以降、関連事件の容疑者の裁判準備が冬まで続いた。10月30日の東京地裁による解散命令の後、12月19日に東京高裁が抗告棄却、翌年1月30日に最高裁が特別抗告棄却で確定。報道番組がスタジオに『オウム真理教問題』専門解説者を常設し、関連書籍が書店店頭に並んだ。当時の市民は『カルト』『マインドコントロール』『信者の救出』といった言葉を冬のあいだ繰り返し耳にしていた。1996年4月の麻原裁判初公判に向けて準備が進む冬。

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年末年始の特集番組、1995年回顧と1996年の予測

1995年12月末から1996年1月初頭、NHK・民放各局で『1995年回顧』『21世紀へのカウントダウン』『新春経済展望』『阪神大震災を忘れない』といった特集番組が連日放送された。

震災・サリン・野茂英雄・無党派・小室哲哉・Windows 95、と1995年は出来事が多すぎたため、年末特番では『今年の10大ニュース』が異例の長尺で組まれた。テレ朝『ニュースステーション』久米宏の特集、TBS『筑紫哲也ニュース23』、フジ『FNN系列年越し』、それぞれが震災・サリンの追悼と新春への希望を交互に伝えた。家族で『ニュース』を観ながら年越しした人が多い冬。

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阪神・淡路大震災1周年、神戸ルミナリエ前夜の追悼

1996年1月17日、阪神・淡路大震災から1周年の追悼式典が神戸で実施。前年12月15日から1月8日には第1回神戸ルミナリエが開催され、約254万人が訪れた。

1995年12月、震災犠牲者の鎮魂と神戸の復興を願って始まった神戸ルミナリエの第1回。約254万人が訪れ、冬の神戸の中心街に光の建造物が並んだ。年が明けて1月17日、神戸市東遊園地での追悼式典に、村山富市首相時代から橋本龍太郎首相に交代した新首相と、被災地の遺族が集まった。震災から1年の冬、復興は道半ばだったが『日常を取り戻す』という言葉が公の場で繰り返し語られた。

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橋本龍太郎内閣発足、1月11日に村山富市から交代

1996年1月11日、橋本龍太郎が第82・83代内閣総理大臣に就任。自民党・社会党(後の社民党)・新党さきがけの3党連立を継承、村山富市内閣からの交代。

1994年6月から続いた村山政権が辞任し、自民党総裁の橋本龍太郎が首相に。橋本は通産大臣時代の対米交渉で『強い首相』のイメージがあり、震災後の復興・経済対策・行政改革を看板に新政権をスタート。冬のNHK・民放のニュースで連日この交代劇が伝えられ、新内閣の閣僚紹介と所信表明演説が冬の政治話題の中心だった。

tv · テレビ5

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第46回NHK紅白歌合戦、12月31日に上沼恵美子・古舘伊知郎

1995年12月31日、NHKホールで生放送。両組司会は2年連続で上沼恵美子・古舘伊知郎、総合司会は宮本隆治・草野満代が史上初の男女総合2人体制。

震災・サリンの年の締めくくり。前年度の社会的事件を背景に、Mr.Children・スピッツ・安室奈美恵・globe・TRFなどが出演した冬の風物詩。NHK新ロゴ(3つのたまご)初使用、NHKワールドプレミアム国際放送開始も同年から。家族が紅白を観ながら年越しそばを食べる、という90年代の年末の標準的な過ごし方の一年。

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『新世紀エヴァンゲリオン』、12月-1月のクライマックス放送

1995年10月4日から1996年3月27日まで、テレビ東京系水曜18時30分放送。庵野秀明監督、GAINAX制作の全26話のSFアニメ。冬は中盤からクライマックスへの転換期。

10月の放送開始から、12月-1月にかけて使徒との戦闘が深層心理戦に切り替わり、後に『ATフィールド』『リリス』『シンクロ率』などの専門用語が中学生・高校生・大学生に共有語化していった冬。クラスで『エヴァ観た?』が朝の挨拶になり、ビデオデッキで予約録画する家庭が増えた。深夜帯にも再放送が組まれ、第拾参話の使徒侵入回・第拾六話の使徒の中に取り込まれる回、と冬から春にかけて衝撃の回が連発した。

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NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』終了、『秀吉』開始へ

1995年12月10日、西田敏行主演のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』が最終回。1996年1月7日からは竹中直人主演『秀吉』が開始、視聴率年間平均約30%の高水準。

1995年大河は西田敏行が徳川吉宗を演じる『八代将軍吉宗』で平均視聴率約26%。震災・サリンの一年の終わりを締めくくる江戸時代ものとして、日曜夜の家庭の話題だった。年明けからは竹中直人の『秀吉』が始まり、独特のテンションで戦国時代を駆け抜ける演技が話題に。冬の日曜20時の家族視聴の標準で、新年の幕開けとして茶の間の中心に。

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月9『ピュア』、和久井映見・堤真一の1月期で平均視聴率23.5%

1996年1月8日から3月18日まで、フジテレビ系月曜21時の連続ドラマ全11話。和久井映見(折原優香役)主演、堤真一(沢渡徹役)・高橋克典・高岡早紀・篠原涼子・風吹ジュンが共演。平均視聴率約23.5%、最高約25.9%。

知的障害を持つ主人公・優香(和久井映見)と新聞記者・徹(堤真一)の心のふれあいを描いたヒューマンドラマ。震災・サリンを経た冬の日本に、静かで純度の高い物語として受け入れられた。Mr.Children『名もなき詩』が主題歌として放送と並走してメガヒットへ向かい、毎週月曜21時のオープニングで流れる『あるがままの心で〜』のフレーズが冬の月曜の象徴になった。篠原涼子は前年の歌手としてのヒットから女優としても映る入口。

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『白線流し』、1月期木曜劇場で7人の青春群像

1996年1月11日から3月21日まで、フジテレビ系木曜22時の連続ドラマ。長瀬智也・酒井美紀主演、長野県松本市の高校を舞台にした青春群像劇。平均視聴率約11%、最高約13%。

信本敬子脚本、長野県松本北高校の7人の男女の友情と恋愛を、卒業の春を境に2クール分追いかけた青春ドラマ。主題歌スピッツ『空も飛べるはず』(1994年4月リリース)がドラマ放送に合わせて再注目を浴び、累計約88万枚を超えるロングセラーへ。第8回ザテレビジョンドラマアカデミー賞最優秀賞・主題歌賞・キャスティング賞・監督賞、酒井美紀の新人俳優賞受賞。冬のフジテレビ木曜の決まり事だった2ヶ月半。

movie · 映画3

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『12モンキーズ』、ブルース・ウィリス主演の冬のSF映画

テリー・ギリアム監督、ブルース・ウィリス・ブラッド・ピット出演のタイムトラベルSF映画。米国1995年12月27日公開、日本では1996年初頭ロードショー。

ブルース・ウィリスがダイ・ハードシリーズで動から、テリー・ギリアムの不条理SFで静の演技を見せた話題作。ブラッド・ピットが精神病患者役で熱演し、後にアカデミー賞ノミネートを獲得。冬の映画館の話題作として、新宿・渋谷・池袋の単館上映から大規模公開まで広がった。年末年始の映画デート・カップル・家族の話題に上った1本。

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邦画『Shall we ダンス?』、1月27日公開で社会現象に

1996年1月27日公開、周防正行監督、役所広司・草刈民代・竹中直人出演。1996年邦画興行収入第2位の27.2億円、配給収入16億円のヒット。

中年サラリーマンが社交ダンス教室に通い始める、というシンプルな筋を、周防正行監督が役所広司の朴訥な存在感と草刈民代のリアルなダンサー演技で組み上げた1作。冬の公開から春までロングランで、当時の中高年男性が映画館に戻ってくるきっかけになった。後にハリウッドリメイクもされる国際的評価を獲得。

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『トイ・ストーリー』日本公開、世界初の長編フル3DCG映画

1996年3月公開予定でピクサー・ディズニー製作の世界初フル3DCGアニメーション映画。冬から春にかけて宣伝が日本でも展開、家族向け話題作として注目。

1995年11月22日の北米公開で大ヒットしたピクサーの長編デビュー作。日本公開を控えた冬は、ウッディとバズ・ライトイヤーのキャラクターグッズが先行発売され、児童書・絵本の派生商品が並び始めた。3DCGアニメーションという『新しい映像表現』が一気に大衆化する入口の冬。1996年春以降の家族映画市場をピクサーが主導していく流れの始まり。

trend · 流行・カルチャー5

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アムラーの胎動、安室奈美恵ファッションが冬の女子高生に浸透

1995年冬から1996年春にかけて、安室奈美恵をファッションの参照点とする『アムラー』が女子高生・若い女性の間で広がる。細い眉、長い髪、厚底靴、超ミニスカートのスタイル。

『TRY ME』『太陽のSEASON』『Body Feels EXIT』『Chase the Chance』と続いた1995年を経てイメージが完成しつつあった安室奈美恵を、女子高生・専門学校生・OLの初任者が真似ていった冬。渋谷109・原宿のショップで『安室風』を打ち出す服が並び始め、ヘアサロンでも『安室カット』の指名が増えていった。後に『アムラー』として社会現象化するのは1996年春以降だが、その種は1995年冬から1996年初頭にかけて完全に蒔かれていた。

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たまごっち発売前夜、バンダイの企画と1996年春の社会現象に向けて

1996年11月23日発売予定のたまごっち(バンダイ)。冬の時点では女子高生向けマーケティング調査が進み、新製品発表会の準備中。

1995年冬はまだ世間にたまごっちの存在は知られていない時期。バンダイ社内では1995年から女子高生対象の市場調査が進められ、『携帯できる育成ゲーム』としての企画が形になりつつあった。1996年春に試作品ができ、11月の正式発売へ向けたカウントダウンが始まる手前の冬。ポケベル・PHS・プリント倶楽部・ルーズソックスといった若年層文化の流れの中で、次の社会現象が水面下で動いていた時期。

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プリント倶楽部、夏の登場から半年で完全社会現象

1995年7月にアトラスから発売されたプリント倶楽部(プリクラ)が、半年で全国のゲームセンター・ショッピングモール・コンビニ前に設置され、女子高生・カップルの定番遊びに。

1995年夏に登場したプリクラが、秋・冬と急速に設置数を増やし、東京・大阪・名古屋のゲームセンター・サンマルクカフェ・ファミレス入口にも置かれるように。1台あたり1日100組以上が利用、シール写真を交換しあう女子高生のコミュニケーション様式が完全に定着した冬。クリスマスデート・初詣・新年会と、冬のイベントとプリクラがセットになっていった。

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お年玉・初詣・新年会、95→96年越しの定型風景

1995年12月31日から1996年1月3日の年末年始は、紅白を観ながら年越しそば→初詣→お年玉→新年会、という日本人の標準的な過ごし方が完全に定着していた時期。

震災・サリンの一年を経て、それでも変わらない『お正月のかたち』が冬の家庭に戻ってきた年末年始。お年玉は5000円-1万円が小学生・中学生の相場で、千歳市から那覇市までの初詣神社が全国ニュースで紹介された。明治神宮の初詣参拝者は300万人超え、東京・神奈川・千葉のショッピングモールも元日から営業を再開していた。新年会のカラオケでは前年のヒット曲が一斉に歌われた。

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スキー・スノボブームの最終ピーク、苗場・志賀高原の混雑

1995-96年シーズンの全国スキー場リフト輸送人数は約3億人と1991-92年シーズンに次ぐ歴代水準。苗場・志賀高原・ニセコがスキーバス・夜行新幹線で連日満員。

1987年映画『私をスキーに連れてって』から続いていたスキーブームの最終局面。1995年冬時点ではスノーボードが急速に台頭し、ゲレンデでスキー客とスノボ客の比率が変わりつつあった。週末の苗場・志賀高原はリフト40分待ち、コンビニ前のスキーバス停留所に金曜深夜の若者が並ぶ風景。globe『DEPARTURES』が車内のBGMとして必ず流れていた冬。

sports · スポーツ4

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プロ野球オフシーズン、ヤクルト日本一の余韻と野茂2年目への期待

1995年プロ野球はヤクルトスワローズが2年ぶり3度目の日本一(対オリックス・ブルーウェーブ4勝1敗)。冬のオフは野茂英雄2年目への期待、イチロー首位打者2連覇の余韻が続く。

10月の日本シリーズでヤクルト・オリックスが対戦し、野村克也と仰木彬の名将対決として記録された秋。冬のスポーツ番組では『仰木マジック』『古田敦也の頭脳』『野茂英雄のメジャー2年目』が定番の話題で、ゴルフ・サッカー以上にプロ野球が冬の話題の中心。1996年シーズン開幕に向けたキャンプ情報・トレード情報が新聞の冬の毎朝の楽しみだった。

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アトランタ五輪へ向けた冬の選考、サッカーとマラソンの代表選び

1996年7月開催のアトランタ五輪に向け、冬は各競技の代表選考が大詰め。男子サッカーは三浦知良・井原正巳らを軸に予選通過、女子マラソンでは有森裕子・浅利純子らが選考レースに出場。

1996年夏のアトランタ五輪が半年後に控え、冬から春にかけて代表選考の話題がスポーツ番組を埋めた。日本代表として28年ぶりの男子サッカー出場、女子マラソンの2回連続メダル期待、競泳・体操の若手台頭。お正月の箱根駅伝、大相撲初場所、全日本選手権各種、と冬のスポーツがアトランタ予選と並行して進んでいた時期。

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第72回箱根駅伝、1月2日-3日 山梨学院大が優勝

1996年1月2日-3日に開催された第72回東京箱根間往復大学駅伝競走。山梨学院大学が3度目の総合優勝。

正月の風物詩、箱根駅伝。1月2日朝8時の大手町スタートから3日の復路ゴールまで、日本テレビ系で生中継。家族が炬燵でテレビを見ながらおせちを食べ、走者の表情を追いかける2日間。山梨学院大は前年に続く優勝で、ケニア出身のステファン・マヤカ選手など外国人選手の活躍が話題に。お正月のリビングルームに必ずある音風景の象徴。

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貴乃花・宮沢りえ婚約解消後、若貴ブームの冬

1993年に大きく報じられた貴乃花と宮沢りえの婚約解消から約2年。1995年冬から1996年初場所にかけて、貴乃花は横綱昇進が近づき若貴兄弟が大相撲の中心であり続けた。

1995年11月場所で貴乃花が優勝、1996年1月場所(初場所)では若乃花・貴乃花・武蔵丸・曙の対決が連日テレビ中継された。お正月のテレビでは大相撲が冬の必須コンテンツで、夕方17時から19時のNHK中継時間帯に家庭の食卓のテレビが必ずこの番組をつけていた。若貴ブームの最も高い熱量を持っていた冬。

slang · 流行語1

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1995年新語・流行語大賞、年間大賞は『無党派』

1995年12月発表の新語・流行語大賞で年間大賞は『無党派』。トップ10入りに『がんばろうKOBE』『安全神話の崩壊』『マインドコントロール』『NOMO』『官官接待』など。

震災・サリン・無党派ブームの政治状況・野茂英雄メジャー挑戦が、すべて流行語に反映された冬。同年6月の参議院選挙以降『無党派層』という言葉が定着し、政治学者と評論家がワイドショーで連呼した。流行語大賞の発表が年末ニュースで大きく取り上げられ、テレビ朝日『ニュースステーション』『ニュース23』『おはよう日本』のすべてで特集された。

tech gadget · モノ・ガジェット4

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Windows 95 日本語版発売、11月23日深夜の秋葉原2万人

1995年11月23日(勤労感謝の日)午前0時、マイクロソフトWindows 95日本語版が発売開始。秋葉原のラオックス・ザ・コンピューター館前に深夜2万人超の行列、ニュース番組が一斉に中継。

Microsoft日本法人とPCメーカー社長が集まって午前0時にくす玉を割る『お祭り騒ぎ』の発売イベント。前年から続いた英語版『Chicago』の話題が日本語版発売で爆発し、社会現象としてゴールデンタイムのテレビニュースで取り上げられた。12月にかけて家電量販店のPCコーナーが連日満員、ボーナス商戦の主役。1996年正月明けからは『Win95搭載機』をうたうメーカーが価格競争を始めた冬。インターネット元年の入口となった社会的事件。

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ポケベル数字文化のピーク、PHSの登場で混在する冬

1995年は契約者数約1078万件のピークを迎えたポケットベル、7月に開始されたPHSがじわじわ普及し始めた冬。両者が共存する若者の連絡ツール時代。

PHSのDDIポケット・NTTパーソナルの基地局が都市部で広がり、月数千円で『使える携帯電話』として大学生・若手社会人に受け入れられた冬。一方でポケベルの『0840(おはよう)』『889(早く)』『724106(なにしてる)』の語呂合わせ通信は完成形になっていて、女子高生・男子高生の間ではまだ主役。家電量販店のショーケースに新型ポケベルとPHS端末が並んでいた95年冬の風景。

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インターネット普及前夜、Windows 95 とパソコン通信のあいだ

1995年冬、Windows 95日本語版発売を受けて、家庭からのインターネット接続が初めて現実的な選択肢に。NIFTY-Serve・PC-VAN・People等のパソコン通信から、ダイヤルアップ・プロバイダ接続への移行期。

Windows 95にはInternet Explorer 1.0が付属し、これが日本の家庭にウェブブラウザという概念をはじめて持ち込んだ。AOL・So-net・@niftyといった商用プロバイダが冬から続々サービス開始、月額3000-5000円のダイヤルアップ接続が広告された。電話料金が別途加算される従量制で、深夜の『テレホーダイ』(NTT 23時-翌8時定額)が学生・社会人の標準パターン。世紀末・21世紀・インターネット元年というキーワードが冬の雑誌見出しに踊り始めた。

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プレイステーション対セガサターン、年末商戦のシェア争い

1995年末時点でプレイステーションとセガサターンの累計販売台数がそれぞれ約200万台規模に。ソフトラインナップとブランド戦略でシェア競争が本格化した年末年始。

プレステ『リッジレーサー革命』『鉄拳2』『ワイプアウト』、サターン『バーチャファイター2』『ナイツ』『デイトナUSA』。両者がそれぞれの強みを打ち出して、年末商戦の家電量販店ゲーム売場がにぎわった冬。お年玉とクリスマスプレゼント需要が重なり、12月の家電量販店ランキングで両機種が交互に1位を取り合った。1996年に向けて『次世代RPG』ファイナルファンタジー7発表(まだ先)、『ドラクエ7』への期待感も漏れ伝わった。

food · 食べもの1

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セブン-イレブンの節分巻き寿司、関西以西へ販売拡大(1995〜96年の節分)

セブン-イレブンは1989年に広島の一部店舗で節分の巻き寿司の販売を始め、1995年には関西以西のエリアに販売を拡大していた。「恵方巻」という名称が全国採用されるのは1998年から。

当時はまだ「恵方巻」という名前ではなく、「節分の巻き寿司」「丸かぶり寿司」などと呼ばれていた。関西の節分の風習が、コンビニを通じて西日本に広がっていく過渡期にあたる。関東・全国での定着はこの数年後になる。

cm ads · CM・広告1

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JR SKISKI「ラクに行こう。」江角マキコ・竹野内豊起用(1995-96シーズン)

JR東日本のスキーキャンペーン「JR SKISKI」1995-96シーズンは、江角マキコと竹野内豊が出演し、キャッチコピー「ラクに行こう。」、CMソングはglobeの「DEPARTURES」が起用された。

新幹線でゲレンデへ向かう都会的な社会人カップルを描いたイメージCMで、スキー・スノーボードブームを牽引した長寿キャンペーンの一本。CMソングのDEPARTURESは1996年1月にシングル発売され、globeの代表曲としてミリオンヒットとなった。

infrastructure · 街・インフラ1

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コンビニ24時間営業の完全定着、冬の深夜の灯り

1995年冬時点で、セブン-イレブン・ローソン・ファミリーマートの全国店舗の大半が24時間営業に移行完了。冬の深夜の住宅街にコンビニの灯りが必ず1つはある時代の確立。

おでん・中華まん・ホットコーヒー・冬限定スイーツが冬のコンビニの主役。震災後の被災地でもいち早く再開し、ライフラインとして機能した記憶も新しい冬。同時に深夜のコンビニが学生・若手社会人・タクシードライバー・看護師などの夜勤者の生活拠点として定着、雑誌コーナー前で30分立ち読みしていく光景が当たり前だった。1996年に向けてプリント倶楽部・PHS・公衆電話と一緒に『若者の冬の街の風景』を形作っていた。

ここに並べたのは、1995に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。

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