SMAP『しようよ』、オロナミンCのCMで初夏の街に流れていた
1995年6月6日リリース、SMAP 17thシングル。大塚製薬『オロナミンCドリンク』CMソング。6月19日週でオリコン週間1位、初動約35万枚。
SMAPがアイドルからエンターテイナーへと脱皮していく途中の1曲。明るくシンプルなメロディと「しようよ」の繰り返しが、夏のCMとして耳に残り続けた。木村拓哉が『ロングバケーション』でブレイクするのはこの翌年の春で、95年夏のSMAPはまだ「人気アイドルグループ」のフェーズだった。
SUMMER · 1995
平成7年 · 6・7・8月 · 全 69 件
1月の阪神・淡路大震災と春の異常事態から半年が経ち、列島が日常を取り戻そうとしていた季節。7月にプリント倶楽部とPHSが同時に登場して若者文化を塗り替え、5月にメジャーデビューした野茂英雄が7月のオールスター戦で全米の主役になり、8月15日には村山談話、戦後50年の節目。Mr.Children『シーソーゲーム』、サザン『あなただけを〜Summer Heartbreak〜』、DREAMS COME TRUE『LOVE LOVE LOVE』、MY LITTLE LOVER『Hello, Again』がチャートを埋め、夏休み映画『耳をすませば』『ダイ・ハード3』『アポロ13』が街を彩った、転換点としての夏。
この季節を、シンヤの声で聴く1995年6月6日リリース、SMAP 17thシングル。大塚製薬『オロナミンCドリンク』CMソング。6月19日週でオリコン週間1位、初動約35万枚。
SMAPがアイドルからエンターテイナーへと脱皮していく途中の1曲。明るくシンプルなメロディと「しようよ」の繰り返しが、夏のCMとして耳に残り続けた。木村拓哉が『ロングバケーション』でブレイクするのはこの翌年の春で、95年夏のSMAPはまだ「人気アイドルグループ」のフェーズだった。
1995年6月19日リリース。日本テレビ系『劇空間プロ野球』イメージソング。7月3日週でオリコン週間1位。
巨人軍の長嶋茂雄監督が番組のイメージソングを自ら選曲したというエピソードがあり、当時のスポーツニュースでも話題に。池森秀一の伸びる声と疾走感のあるサウンドが、夏のナイター中継のオープニングとして繰り返し流れた、夏のプロ野球の音的記憶。
1995年6月28日リリース。アルバム『Code Name.1 Brother Sun』先行シングル。作詞・作曲ともにASKA。
前年に『SAY YES』『YAH YAH YAH』で頂点に立ったCHAGE&ASKAが、その勢いを保ったまま夏に投入した一枚。タイトル通り痛みと前進を歌う力強いナンバーで、当時のスポーツ番組や夏のフェス系イベントとも相性がよかった。
1995年4月リリース(日本盤5月10日)。Billboard Hot 100で6月3日付から5週連続1位。映画『ドン・ファン』サウンドトラック。
カナダのロック歌手ブライアン・アダムスが、ジョニー・デップ主演の映画『ドン・ファン』のために書いたバラード。名手パコ・デ・ルシアのフラメンコギターが全編に絡み、ロックバラードにスペインの哀愁を持ち込んだ。初夏のFM・有線で大量に流れ、アカデミー歌曲賞にもノミネートされた。
1995年3月リリース。全英1位(4週)、Billboard Hot 100で7位、日本のオリコン洋楽チャートでも2位。アルバム『Nobody Else』先行曲。
当時イギリスで絶大な人気を誇ったボーイズグループ、テイク・ザットの代表曲。春の発売後もロングヒットし、1995年の英国ポップを象徴する一曲になった。日本でも来日公演と合わせて人気が高く、洋楽番組やFMで夏まで流れ続けた。ロビー・ウィリアムズが在籍していた時期の楽曲でもある。
1995年5月リリース。Billboard Hot 100で14位、全英1位。先行したアルバム『These Days』は日本のオリコンで1位(当時の外国人作品として最速級のチャートイン)。
ボン・ジョヴィがR&B色を帯びたバラードに挑んだ転換点の一曲。MVはタイで撮影された。アルバム『These Days』は日本で特に売れ、初夏のオリコンを外国人アーティストとして駆け上がった。スタジアム的な開放感より、しっとりした大人のロックバラードで、夏のドライブやFMにはまった。
1995年6月19日リリース、JUDY AND MARY 7thシングル。オリコン最高4位、初のTOP10入りで累計約67万枚。トヨタ・カローラツーリングワゴンCMソング。
YUKIの弾けるボーカルとカラフルなバンドサウンドで、ジュディマリが一般層に届いた最初のヒット。カローラのCMで夏の街に流れ、軽快な疾走感が、窓を開けたドライブの季節にぴたりと重なった。
1995年6月21日リリース、UAのデビューシングル。ビクター・スピードスターレコーズより。藤原ヒロシ・朝本浩文プロデュース。
翌年『情熱』でブレイクするUAの出発点。藤原ヒロシらが手がけたクラブ寄りのトラックに、UAの深く伸びる声が乗る。チャート的には地味な滑り出しだったが、95年の夏に確かに芽吹いていた新しい才能の記録。
1995年6月25日リリース。スタジオジブリ映画『耳をすませば』主題歌。映画公開とテレビ放送を経てオリコン最高22位までロングヒット。
ジョン・デンバーの『故郷へかえりたい』に日本語詞をつけて生まれた、『耳をすませば』の主題歌。月島雫が歌うクライマックスとともに記憶され、発売当初は地味だったが映画とともにじわじわ広がった。夏休みの劇場の余韻を持ち帰るような一曲。
1995年7月7日リリース、B'z 17thシングル。7月17日付・7月24日付でオリコン週間1位、累計約139万枚。
前作『ねがい』に続いて2作連続のチャートトップ。タイトル通りの軽快なポップロックで、シリアスなロック路線とは対照的な「夏向けB'z」のサイドを担う1枚。同じ夏に2曲ヒットを連続させる体力が、当時のB'zの全盛ぶりを物語る。
1995年7月17日リリース。フジテレビ月9ドラマ『いつかまた逢える』主題歌。7月31日週でオリコン週間1位。
桑田佳祐が自作のなかでも特に気に入っている1曲として後に語ることになるバラード。福山雅治主演の月9『いつかまた逢える』の毎週の余韻と一体化し、95年夏の月曜深夜の感情そのものとして記憶された。テレ朝『クレヨンしんちゃん』のスペシャル版エンディングにも一時的に使われている。
1995年7月24日リリース。TBS系ドラマ『愛していると言ってくれ』主題歌。累計約235万枚、1995年オリコン年間1位。
豊川悦司と常盤貴子主演の聴覚障害をテーマにしたドラマと共に、夏の金曜夜の感情を独占した1曲。吉田美和の声がそのまま「告白の瞬間の体温」のように響き、カラオケ・結婚式・卒業式と季節を越えて歌われ続けた。90年代邦楽史上最大級のシングルヒットの1つ。
1995年4月リリース(日本盤5月25日)。Billboard Hot 100で7月15日付に2位、26週のロングチャート。ベイビーフェイス制作。
前年『I'll Make Love to You』で記録的ヒットを放ったボーイズIIメンの、アルバム『II』からのシングル。ベイビーフェイスが手がけた繊細なアコースティック・バラードで、4人のコーラスワークが際立つ。派手さはないが夏のあいだチャート上位に居続け、日本のFMでも落ち着いた夜の時間帯に流れた。
1995年3月リリース。映画『バッドボーイズ』(ウィル・スミス主演)サウンドトラック収録。Billboard Hot 100で13位、全英2位、世界で約500万枚。
ジャマイカ出身ダイアナ・キングの、レゲエとポップを溶かした軽快なダンスチューン。マイケル・ベイ監督によるMVにはウィル・スミス本人も登場した。映画『バッドボーイズ』の世界的ヒットとともに夏のFM・クラブで鳴り、跳ねるリズムが季節の高揚感に合っていた。
1995年7月7日リリース、久保田利伸 15thシングル。自身初のアニメ主題歌で、ソニーレコードより。
日本のR&B・ソウルを切り拓いた久保田利伸が、学生時代に野球部だった自身の経験も重ねて作った一曲。伸びのある歌声と跳ねるリズムが、夏のグラウンドやFMに似合った。翌年の『LA・LA・LA LOVE SONG』につながる時期の、夏らしいグルーヴ。
1995年7月15日リリース、渡辺美里のシングル。タイトルどおり夏に合わせて投入された季節感のある一枚。
毎夏の西武球場ライブで知られる渡辺美里が、その名のとおり夏に向けて出したアッパーな一曲。彼女のパワフルな声と相まって、95年の夏イベントやFMの定番として鳴った。夏=美里、という当時の図式を体現する。
1995年7月7日リリース、スピッツ12thシングル。オリコン最高2位、累計約98.1万枚でトリプル・プラチナ。
「ロビンソン」の大ブレイクに続いてスピッツが1995年の夏に放ったシングル。クリスマスに偏りがちな恋人たちの記念日に対し七夕を主役にしたいという思いから、発売日を7月7日に合わせた。爽やかなギターポップが、ロビンソンと並んで1995年の夏の街に流れ続けた。
1995年7月19日リリース、H Jungle with t 2ndシングル。小室哲哉プロデュース。
浜田雅功と小室哲哉のユニットH Jungle with tが、社会現象となった「WOW WAR TONIGHT」に続いて夏に投入した第2弾シングル。前作と同じく小室サウンドのダンスビートで、1995年夏のテレビ・カラオケに浜田の歌声が再び響いた。
1995年8月1日リリース。8月14日付でオリコン週間1位、2作連続1位。ミズノ「'95 BASEBALL GOODS イチローエディション」CMソング。
前作『Rusty Nail』(1994/7)からほぼ1年ぶりのシングル。YOSHIKIによる作詞作曲のメロディアスなバラードで、ハードロックバンドとしてのXとは違う一面が前面に出ている。野球用品のCMと結びついた起用も95年らしく、夏のグラウンドや量販店で繰り返し流れた。
1995年8月2日リリース。小室哲哉プロデュース、篠原涼子のシングル。
前年の『恋しさと せつなさと 心強さと』で大ブレイクした篠原涼子と小室哲哉の組み合わせ第2弾。シンセとアッパーなビートで夜のクラブとカラオケに刺さる仕様で、95年小室哲哉サウンドのもう一つの方向性を担った。
1995年8月9日リリース。globeのデビューシングル。フジテレビ系ドラマ『ひとりにしないで』主題歌。
小室哲哉自身がメンバーとして参加するユニットの始まり。KEIKOのハイトーン、マーク・パンサーのラップ、シンセの上で疾走するメロディという組み合わせは、後の『DEPARTURES』『Can't Stop Fallin' in Love』に直結する。残暑のドライブにこのデビュー曲が流れていた夏。
1995年8月10日リリース、Mr.Children 9thシングル。8月21日・28日付でオリコン週間1位、累計約181万枚。売上金・印税は阪神・淡路大震災義援金に充当。
Mr.Childrenが頂点にいた時期の代表曲のひとつ。スキップするようなリズムと跳ねるホーンに、桜井和寿の言葉遊びが乗る。当時のテレビでも繰り返し『義援金として被災地へ』とアナウンスされ、阪神・淡路大震災の半年後に出されたこの曲は、音楽だけでなく社会的なメッセージとしても受け止められた。
1995年8月21日リリース、MY LITTLE LOVER 3rdシングル。日本テレビ系ドラマ『終らない夏』主題歌。累計約185万枚。
akkoの繊細なボーカル、小林武史プロデュースの透明感あるサウンド。タイトル通りの「またね」のニュアンスが、夏休みの終わりと9月の予感に重なり、当時の高校生・大学生の夏の記憶と直結した。ドラマ放送中の8月終盤から9月にかけて、夕方のラジオでこの曲を聴いた人は多い。
1995年8月1日リリース。Billboard Hot 100で3週1位、1995年Billboard年間チャート1位。映画『Dangerous Minds』主題歌。
スティーヴィー・ワンダー『Pastime Paradise』をサンプリングした楽曲。ミシェル・ファイファー主演の学園もの映画と一体化し、サウンドトラックともに全米で大ヒット。日本のFMでもヘビーローテーションされ、ヒップホップが普通のお茶の間にも届き始めた頃の象徴的な曲。
1995年8月23日に米国でラジオ初オンエア・MV公開、商業リリースは9月12日。Billboard Hot 100史上初の女性アーティストによる首位デビューを果たし、8週連続1位を獲得。
Tom Tom Club『Genius of Love』をサンプリングしたアップテンポなR&Bポップ。マライア・キャリーがダンサブルな方向に大きく舵を切った転換点。8月末の解放感とハイトーンのボーカルがちょうど重なり、日本のFM・洋楽番組では夏の終わりから秋にかけて大量に流れた曲。
1994年発表の楽曲が、1995年夏公開の映画『バットマン フォーエヴァー』サウンドトラックに起用され再ヒット。Billboard Hot 100で8月26日付に1位。
イギリスのシンガー、シールのバラード。元は1994年のアルバム収録曲だったが、6月公開のジョエル・シューマカー監督『バットマン フォーエヴァー』に使われたことで火がつき、夏に全米1位まで駆け上がった。オルガンと弦楽が緩やかにうねる荘厳なメロディは、日本でも映画公開と連動してFMで繰り返し流れた。翌1996年のグラミー賞で最優秀レコード賞・最優秀楽曲賞を受賞する。
1995年7月28日リリース。Billboard Hot 100史上初の初登場1位を9月2日付で達成(ギネス記録)。アルバム『HIStory』収録、R.ケリー作曲。
二枚組大作『HIStory』からのバラードシングル。R.ケリーが書いた包み込むようなメロディを、マイケルが伸びやかに歌い上げる。チャート史上初めて『初登場1位』を獲得した曲としてギネスに認定され、その記録は世界中のニュースになった。日本でも夏の終わりから秋にかけてFMで頻繁にかかった。
1995年8月9日リリース、GLAY 5thシングル。オリコン初登場13位、累計約23万枚。
翌1996年からの大ブレイク前夜の、まだ上り坂のGLAY。TAKUROのメロディとTERUの声が、夏のタイトルどおりの開放感を持つ一枚で鳴っていた。後の国民的バンドぶりを知る耳で聴くと、その芽がもう見えている。
1995年3月15日リリース。7週連続オリコン1位、累計約210万枚。フジテレビ系『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で浜田雅功が小室哲哉に頼んだ一言から、実際のシングルへ。
浜田雅功と小室哲哉のユニット。『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で浜田が小室に半分冗談で頼んだ一言から生まれた楽曲がリアルに大ヒットしてしまった年。春から夏にかけて運転中・カラオケ・コンビニ・どこに行っても流れていた、95年夏の生活背景音そのもの。小室哲哉プロデュース全盛期の入口を象徴する一枚でもある。
1995年3月8日リリース。同年の日本レコード大賞受賞、累計約161万枚。TRF 5作連続ミリオン中の代表曲。
小室哲哉プロデュース、SAMの振付、YU-KIのボーカルという完成された型で、95年のフロアとカラオケを支配した。夏のフェス・イベント・ディスコでこの曲が流れるのは半ば義務だった。「BOY MEETS GIRL」と並ぶTRFの黄金期を象徴する一曲。
1995年4月5日リリース、スピッツ11thシングル。オリコン最高4位ながら累計約162万枚のロングセラーで、夏になっても有線・カラオケ・店舗BGMで鳴り続けた。
春に発売されたが、夏のあいだも街頭・有線・カラオケで流れ続け、結果的に1995年の夏の音風景を象徴することになった曲。草野マサムネの透明な声と「誰も触れない二人だけの国」という歌詞が、震災後の少し疲れた空気の中で受け入れられた。シングルとしては地味な売れ方ながら、年が明けても伸び続けて1996年にミリオンを突破し、90年代J-POPの代表曲になった。
1995年4月21日リリース、hitomiのデビューシングル。エイベックスより、小室哲哉プロデュース。コダック『スナップキッズEX』CMソング。TOP10には届かないながらロングヒットで自身最大の売上。
小室哲哉プロデュースで登場したhitomiの始まり。アッパーなダンスポップで、春の発売後も夏に向けて売れ続けた。コダックのCMとともに、使い捨てカメラで夏の思い出を撮っていた頃の空気と結びつく一曲。
1995年5月10日デビューシングル。TBS系ドラマ『セカンド・チャンス』主題歌。発売8週目に週間1位を獲得、累計約177万枚。
「涙の数だけ強くなれるよ」の出だしで誰もが知ることになる曲。デビュー直後はあまり売れず、ドラマと口コミでじわじわ伸び、夏に1位へ。当時の女性新人最大のヒットとなり、卒業ソング・応援ソングの定番として現在まで歌い継がれる。
1995年5月19日リリース、中島みゆき32ndシングル。日本テレビ系ドラマ『家なき子2』主題歌。6月5日週でオリコン週間1位を獲得、自身3作目のミリオン。
前年の『空と君のあいだに』に続き、安達祐実主演ドラマの主題歌として中島みゆきが再びお茶の間に。低音から立ち上がる独特の歌唱と、社会の片隅の人を見つめる視線が、震災後の余韻が残る初夏の空気にしっくりはまった。
1995年5月31日リリース、B'z 16thシングル。6月12日付・6月26日付でオリコン週間1位を獲得。
稲葉浩志・松本孝弘のコンビが90年代前半に量産していた連続1位作の1枚。攻撃的なギターリフから入る王道のロックナンバーで、夏のドライブ・スタジアム的な開放感を持つ曲。1995年も結局B'zが2曲連続でチャートを取りに来る年だった。
1995年5月29日リリース。Billboard Hot 100で7週連続1位(7月から)、1995年Billboard年間チャート2位。
アルバム『CrazySexyCool』からの3rdシングル。HIVとドラッグをテーマにしたMV、レフト・アイのラップ、T-Boz の低音ボーカル、シャリースの伸びやかなコーラスが融合した完成形のR&B。日本でもFM・洋楽番組でかかり続け、95年夏の海外ヒット曲の象徴の一つ。
1995年5月3日リリース、シャ乱Q 7thシングル。発売後じわじわ伸び、7月10日付でオリコン最高2位、累計約145万枚。
つんく率いるシャ乱Qが、大阪の路上ライブから這い上がってメジャーで大ブレイクした一枚。演歌的な情念とロックを混ぜた歌謡ロックで、発売直後より夏に向けてロングヒットし、カラオケの定番になった。バンド史上最大の売上を記録した代表曲。
1995年5月3日リリース、L⇔R 7thシングル。オリコン初登場1位、ミリオンセラー。フジテレビ月9ドラマ『僕らに愛を!』主題歌。
黒沢健一を中心としたL⇔Rが、ビートルズ的なポップセンスで頂点に立った瞬間。江口洋介主演の月9主題歌として初夏の月曜夜に毎週流れ、バンド最大のヒットになった。きらめくコーラスとメロディが、95年のポップスの幸福な側面を代表する。
1995年5月10日リリース、Mr.Children 8thシングル。オリコン1位、初週約52万枚・累計約157万枚。ドキュメンタリー映画『【es】Mr.Children in FILM』テーマ。
『innocent world』『Tomorrow never knows』に続く絶頂期のミスチルが、内省的な問いを大きなスケールで歌い上げた一曲。同名の自身のドキュメンタリー映画のテーマで、初夏のチャート1位を飾った。同じ夏に『シーソーゲーム』も控える、まさにミスチルの年の象徴。
1995年5月15日リリース、FIELD OF VIEW の実質的デビュー曲。オリコン最高3位、累計約89.8万枚。フジテレビ系ドラマ『輝く季節の中で』主題歌。
ビーイング系の王道を継ぐ爽やかなロックポップで、デビュー作ながら一気に3位まで届いた。浅岡雄也の伸びやかな声が初夏の空気に合い、街でもドラマでも繰り返し流れた。同じビーイングのDEENやWANDSと並ぶ、95年の量産ヒットの一角。
1995年8月15日、村山富市首相(社会・自民・さきがけ連立内閣)が閣議決定として『戦後50周年の終戦記念日にあたって』を発表。
わが国の『植民地支配と侵略』を公式に謝罪した最初の総理談話。「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明する」という文言が、その後の歴代内閣に公式の歴史認識として継承されていく出発点となった。戦後50年という節目に発表されたことに重みがあり、当時のテレビ・新聞でも大きく扱われた。
1995年4月19日の東京外国為替市場で1ドル79円75銭の戦後最高値を記録。夏にかけても80〜90円台の超円高が続き、輸出企業の業績悪化と空洞化議論を加速させた。
経団連の豊田章一郎会長が村山首相に直談判するなど、夏の政財界の重要テーマは円高対策。一方で個人消費者にとっては『国内旅行より海外旅行のほうが安い』状況が現実になり、ハワイ・グアム・サイパンへの夏休み旅行ブームが膨らんだ。9月以降の日銀大規模介入で100円台へ戻していく。
1995年7月12日〜9月20日、フジテレビ系水曜劇場、全11回。主演:浅野温子、共演:柳葉敏郎。
警視庁捜査一課の女性警部補・沙粧妙子が連続猟奇事件と元恋人の影を追うサイコ・サスペンス。当時のトレンディドラマの軽さとは別系統の重い1時間で、サスペンスとしての完成度が後年まで語り継がれた。浅野温子の演技と独特の沈んだトーンが、夏の夜10時のフジテレビの空気を決めた。
1995年7月3日〜9月18日、フジテレビ月曜21時、全12回。主演:福山雅治、共演:桜井幸子・椎名桔平・今田耕司・大塚寧々。脚本:水橋文美江。主題歌:サザンオールスターズ『あなただけを 〜Summer Heartbreak〜』。
歌手としても俳優としても上り調子だった福山雅治を月9に据えた1本。サザンの主題歌と組み合わせ、月9=夏の恋愛ドラマというフォーマットを95年の形に更新した。月曜夜のフジテレビが社会的な共通言語だった時代の象徴。
1995年7月期、TBS系金曜22時。主演:豊川悦司、常盤貴子。主題歌:DREAMS COME TRUE『LOVE LOVE LOVE』。
聴覚障害を持つ画家とOLの恋愛を描いたメロドラマ。豊川悦司の手話演技、常盤貴子の繊細な表情、ドリカムの主題歌が一体となって夏の金曜夜の話題を作った。直接的なセリフより手話と視線で感情を伝える構成が、当時のドラマとしては実験的でもあった。
1995年4月15日〜7月1日、日本テレビ系土曜21時、全12回。主演:安達祐実。主題歌:中島みゆき『旅人のうた』。
1994年に社会現象になった『家なき子』の続編。「同情するなら金をくれ」の安達祐実が、震災後の春から初夏にかけてゴールデンタイムの土曜夜を引っ張った。中島みゆきが主題歌に起用される構造も前作からの継承で、初夏の音風景にこの主題歌が刻まれた。
1995年6月17日日本公開。監督ジョエル・シューマカー、主演ヴァル・キルマー。北米約1億8400万ドル、世界約3億3600万ドル。
ティム・バートン版から監督が交代し、ポップでネオン的な色彩のバットマン世界へ。リドラー役にジム・キャリー、トゥーフェイス役にトミー・リー・ジョーンズ。主題歌Seal『Kiss from a Rose』が映画とともに夏のラジオを支配し、翌年グラミー最優秀レコード賞へ。
1995年7月15日公開、東宝配給・スタジオジブリ作品。配給収入18.5億円、観客動員約209万人で1995年邦画配給収入1位。
宮崎駿や高畑勲を支えてきた近藤喜文が監督した唯一の長編。月島雫と天沢聖司の中学3年の夏物語に、地球屋・カントリーロード・バロン、そして物語を書く高揚感を重ねた青春アニメ。近藤監督は1998年に46歳で逝去するため、結果的に最初で最後の監督作品となった。本名陽子が歌うエンディングテーマ『カントリー・ロード』も夏休みの音風景に。
1995年7月1日日本公開。監督ジョン・マクティアナン、主演ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン共演。1995年日本洋画興行成績1位。
ニューヨーク市街を舞台にした第3作。マクレーン刑事と通りすがりの一般人ゼウスがコンビを組み、爆弾犯サイモンの謎かけに振り回されていくロードムービー的アクション。ハリウッド大作の夏休み興行が定着していた時期で、邦画『耳をすませば』と並ぶ夏の劇場の主役だった。
1995年7月22日日本公開。監督ロン・ハワード、主演トム・ハンクス。世界興行収入約3億5500万ドル。
1970年に実際に起きたアポロ13号の月着陸船事故と地球帰還を、トム・ハンクス演じるラヴェル船長の視点で描いた実録劇。『フォレスト・ガンプ』(1994)の翌年のトム・ハンクスがそのまま勢いを保ち、95年夏のアメリカ映画の代表作に。劇場で「Houston, we have a problem」のセリフが日本人にも届いた夏。
1995年7月29日日本公開。監督ブラッド・シルバーリング、主演クリスティーナ・リッチ。世界興行収入約2億8800万ドル。
クラシックなアメコミの優しい幽霊キャスパーをフルCGキャラクターとして主役に据えた、当時としては野心的な実写+CG映画。夏休みのファミリー客が劇場に向かう動機になった作品の一つで、クリスティーナ・リッチがアダムス・ファミリーから引き続き'90sの子役象徴として記憶された。
1ドル80円前後の超円高を背景に、95年夏は海外旅行が国内より割安な状況に。ハワイ・グアム・サイパンなど近距離リゾートのツアー商品が大量に売れた。
JTB・日本旅行・近畿日本ツーリストの夏ツアー、エイチ・アイ・エスの格安航空券販売が伸び、空港のチェックインカウンターは家族連れと若いカップルで埋まった。当時の女性誌・旅行誌では「初めての海外」「ハワイ完全攻略」といった特集が組まれていた。
1995年頃から『スーパールーズ』と呼ばれるさらに長いタイプも登場し、女子高生のあいだでルーズソックスが定番化。同年は流行語大賞のトップ10入りはしなかったが、翌1996年に『コギャル』が大賞候補に。
渋谷109・SHIBUYA109カルチャーが形になっていく時期。プリクラ+PHS+ルーズソックスの3点セットが女子高生の象徴になり、雑誌『egg』『Cawaii!』などストリート雑誌が増えていった。94年までの『ロハス系』『フェミ系』とは違う、より派手で記号的なファッションへの転換点。
1990年代前半に郊外型店舗が一気に増えたカラオケボックスは、95年夏には学生・社会人どちらにとっても標準的なレジャー。シダックス、ビッグエコー、ベスト電器系のカラオケ館などが全国に拡大。
DREAMS COME TRUE『LOVE LOVE LOVE』、サザン『あなただけを』、Mr.Children『シーソーゲーム』、TRF『Overnight Sensation』が一晩のうちに何度も歌われた。深夜営業のカラオケが、95年の若者の夏の時間の延長線として機能していた。
1995年10月4日からテレビ東京系で放送開始予定の『新世紀エヴァンゲリオン』が、夏の段階で『ニュータイプ』『アニメージュ』等のアニメ雑誌で大きく予告特集された。
庵野秀明監督、GAINAX制作のオリジナルアニメ。エヴァが社会現象化するのは秋以降だが、夏にはすでにアニメファンのあいだで『何かすごいのが始まるらしい』という空気が出来上がっていた。10月放送開始直前の8月号・9月号で各誌が表紙級の扱いをし、95年秋のアニメ界の地殻変動の前触れになった。
仰木彬監督2年目のオリックスが、阪神・淡路大震災復興スローガン『がんばろうKOBE』を掲げ、6月以降首位を独走。パ・リーグ優勝(阪急時代を含めて通算11度目)。
1月の阪神・淡路大震災で本拠地の神戸が壊滅的被害を受けたチームが、震災復興の象徴として戦った1年。21歳のイチローが首位打者・盗塁王・打点王・最多安打・最高出塁率の打者5冠を獲得(夏の時点では満21歳、誕生日は10月22日)、夏のグリーンスタジアム神戸は被災者と関係者の特別な場所になった。「がんばろうKOBE」はその年の流行語にもなった。
1995年7月11日(日本時間12日)、テキサス州アーリントンのザ・ボールパーク・イン・アーリントンで開催されたMLBオールスター戦で、ナ・リーグ先発登板。2回1安打無失点、ストライク三振2つを奪う。
5月2日のメジャーデビューから2か月、ロサンゼルス・ドジャース1年目の野茂英雄が前半戦13登板で6勝1敗・防御率1.99の好成績を残し、ナ・リーグ先発投手に選ばれた。日本中の家庭・職場でTV中継が見守られ、トルネード投法と奪三振ショーが社会現象に。最終的に最多奪三振タイトルとナ・リーグ新人王を獲得する。
野村克也監督6年目のヤクルトが、オマリーの活躍と古田敦也の頭脳的リードでセ・リーグを制覇。日本シリーズではオリックスを4勝1敗で破り日本一に。
夏の段階で首位を維持し、最終的に2年ぶり4度目のセ・リーグ優勝を達成。古田敦也が日本シリーズでイチローを徹底封じ込めた配球は、後年まで野球論の題材として語られる。野村ID野球が頂点に届いた年。
1995年7月、ゴルフ発祥の地セント・アンドルーズ・オールドコースで開催された第124回全英オープン。米国のジョン・デイリーが、コスタンティノ・ロッカとのプレーオフを制して2度目のメジャー優勝。
セント・アンドルーズという聖地、ジョン・デイリーの豪快なドライバーショット、ロッカの18番グリーン上での跪く姿が話題に。日本でも深夜のテレビ中継が定着し、ゴルフ番組の夏のハイライトとして語られた大会。
1995年8月7日〜21日、阪神甲子園球場で開催。決勝で帝京(東東京)が3-1で星稜(石川)を破り、6年ぶり2度目の全国制覇。大会キャッチコピーは『君の勇気に会いに行く』。
甲子園球場が本拠地の阪神タイガースが震災で苦しんだ年、夏の高校野球は復興のシンボル的に取り上げられた。お盆休みのテレビ・ラジオで2週間ずっと甲子園中継が流れていた夏の風景。決勝の帝京・星稜戦は接戦で記憶に残った試合の一つ。
野茂英雄の活躍を受けて『NOMO』が夏のスポーツ紙・テレビで連呼され、年末の新語・流行語大賞で年間大賞のトップ10入りを果たす。
アメリカのスポーツメディアが『NOMO』と書き続けたことが日本に逆輸入され、夏のあいだは新聞・テレビで毎日のように『NOMO』『TORNADO』が踊った。同じ年、『がんばろうKOBE』『無党派』も年間大賞圏に。1995年は日本人の言葉感覚としてもスポーツ・社会・震災のキーワードが日常を埋めた年。
セガのアーケード3D格闘ゲーム『バーチャファイター2』は1994年末に稼働開始、1995年夏のゲームセンターの主役。家庭用セガサターン版は同年11月発売予定だった。
テクスチャマッピングと滑らかなポリゴンによる3D格闘の完成形として、夏のゲーセンには筐体の前に行列ができた。鈴木裕プロデュース、ジャッキー・パイ・ラウ・アキラ等の登場人物が日常会話に出てきた時期で、アーケード文化が一般層に最も広がっていた頃の代表作。
1995年7月1日、NTTパーソナルとDDIポケットがPHSサービスを開始。アステルは同年10月1日に開始。携帯電話より小型・安価で、学生や女性に急速に広まった。
当初は『ポケット電話』『簡易型携帯電話』とも呼ばれた。月額・通話料が安く、子機サイズで持ち歩きやすかったため、女子高生・大学生・主婦層が一気に手にした。短いメッセージのやりとりもでき、ポケベルからの乗り換え層を一気に取り込んだ夏。後に『ピッチ』の愛称で呼ばれていく。
1995年7月25日、アトラスが開発・セガが発売した『プリント倶楽部』が登場。当初はゲームセンター向けの新ジャンルとして導入され、夏のうちに女子高生を中心にブームへ。
アトラスの営業担当が『資料出力中の写真をシールに出せたら』というアイデアから着想したと伝えられる。設置店では女子高生の長蛇の列ができ、撮ったシールを交換する文化が生まれた。1997年までに2万2000台が出荷され、『プリクラ』として日常語化していく出発点。
1995年7月15日にセガサターンが44,800円→34,800円、7月21日にPlayStationが39,800円→29,800円に値下げ。
前年末に発売された次世代機2機種が、夏休み商戦に向けて一気に価格を下げてきた。ファミコン・スーパーファミコンとは別世代の3Dゲーム市場が本気で始まり、家電量販店のゲームコーナーが急に広くなった夏。バーチャファイター2やリッジレーサーが店頭で動き続けていた季節。
1995年8月24日、米国などで Windows 95 英語版が先行発売。日本語版は1995年11月23日発売の予告がすでに行われており、夏のテレビ・新聞でも大規模に取り上げられた。
Microsoftの大規模な広告キャンペーン、ローリング・ストーンズ『Start Me Up』のテーマソング、米国深夜の発売イベント開始など、ソフトウェアの発売がここまで大きな話題になるのは初めてに近い現象。日本人にとっては『何かパソコンの世界が変わるらしい』という秋への前奏曲として、夏のニュース・雑誌特集を埋めた。
日清食品が1995年夏、レモングラスの香るトムヤム風味のカップ麺「カップヌードル サマーヌードル」を期間限定で発売した。
「緊急限定発売」というコピーで売り出されたが、レモングラスの風味がレモン味と誤解されるなどして苦戦し、後年「日清の黒歴史」と呼ばれるようになった一品。CMソングには真心ブラザーズの「サマーヌード」が起用され、曲自体は大ヒットした。
日本コカ・コーラの缶コーヒー「ジョージア」で、飯島直子が働く男性に語りかける夏のCMが1995年に放送された。
1994年から始まった「男のやすらぎ」キャンペーンの一環で、20〜30代の働く男性に向けて飯島直子が癒やしを届けるという内容だった。この年の懸賞キャンペーンには応募が3400万通超に達し、飯島の起用がジョージアの缶コーヒー市場シェア上昇にもつながったとされる。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から半年。夏の時点では仮設住宅入居が進み、神戸・西宮・芦屋の被災地で復興と仮住まいが日常化していた。
阪急・JR・阪神の鉄道網は段階的に復旧していたが、神戸の街にはまだ更地と仮設住宅、復旧途上の高架道路が混在していた夏。オリックスの『がんばろうKOBE』、Mr.Childrenが『シーソーゲーム』売上を義援金に充てた件、そして全国のメディアが定期的に復興特集を組んでいた。震災後の最初の夏は『日常を取り戻す』というテーマと向き合う季節だった。
ここに並べたのは、1995年夏に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。
1995年 夏を聴く