SPRING · 1995

1995の記録

平成7年 · 3・4・5月 · 全 70

1月17日の阪神・淡路大震災と3月20日の地下鉄サリン事件という二つの非日常を経験した日本が、それでも桜を見て、卒業し、入学し、プロ野球を開幕させていった季節。松任谷由実『春よ、来い』が朝ドラとともに毎朝流れ、TRF・H Jungle with t・篠原涼子 with t.komuroで小室サウンドが完全に春のチャートを占拠。3月11日にクロノ・トリガーが発売され、3月25日からの選抜高校野球では震災で開催が危ぶまれた中、観音寺中央が初出場初優勝。4月19日には1ドル79円75銭の戦後最高値、ボランティア元年と呼ばれる流れが本格化していった、揺れと静けさが同居した三ヶ月。

この季節を、シンヤの声で聴く

Music · 音楽40

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松任谷由実『春よ、来い』、震災後の日本が毎朝聴いていた朝ドラ主題歌

1994年10月24日リリース、松任谷由実28thシングル。NHK連続テレビ小説『春よ、来い』主題歌で、1995年春に累計約151万枚に到達するロングヒット。

1994年10月3日から始まった朝ドラ『春よ、来い』の主題歌として、95年の冬と春は毎朝この曲がブラウン管から流れていた。震災の1月17日も、サリン事件の3月20日も、ニュースが切り替わるまでは穏やかなピアノのイントロが日本の朝の風景だった。「淡き光立つ にわか雨」の歌詞と桜の季節が重なって、震災後の慰めとして繰り返し受け止められた1曲。

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DEEN『Teenage dream』、3月末リリースの3rdシングル

1995年3月27日リリース、DEEN 3rdシングル。前2作『このまま君だけを奪い去りたい』『翼を広げて』からのヒット路線に続く、春の3枚目。

ビーイング系の本流アーティストとしてZARDと並走していた春。声質が柔らかく、サビが明快なメロディラインで、卒業・新生活のBGMとしてラジオ局のヘビーローテーション枠に入った。DEEN自体は前年7月メジャーデビューで、まだバンドとして上り坂の途中、95年春は『翼を広げて』の余韻も残しながら新譜を出していた時期だった。

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TRF『Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜』、3月のレコ大候補

1995年3月8日リリース、TRF 9thシングル。同年の日本レコード大賞受賞、累計約161万枚。TRF 5作連続ミリオンの3作目。

小室哲哉プロデュース全盛期、SAMの振付・YU-KIのボーカルという形が固まりきった一枚。3月のヒットチャートとカラオケランキングをそのまま4月以降のディスコとイベントへ引き継ぎ、年末のレコード大賞まで運んだ。震災の1月、サリンの3月、その合間を縫うように『EZ DO DANCE』『Overnight Sensation』が街頭テレビで延々と流れていた春。

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H Jungle with t『WOW WAR TONIGHT』、ダウンタウンと小室が春の社会現象に

1995年3月15日リリース、累計約210万枚、7週連続オリコン1位。フジテレビ系『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』での浜田雅功の一言がきっかけで、本物のシングルへ。

浜田雅功と小室哲哉のユニット。『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で浜田が小室に半分冗談で頼んだ一言から生まれた曲が、社会現象になった春。3月15日リリース、3月20日に地下鉄サリン事件、4月にはチャート1位を独走、というカレンダーで日本のメディア空気が高速に切り替わっていく。「時には起こせよ ムーヴメント」の歌詞が、当時の春の閉塞感に対する応援歌として受け取られた。

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WANDS『世界が終るまでは…』、スラムダンクEDが春までずっと鳴っていた

1994年12月10日リリース、WANDS 7thシングル。テレビアニメ『スラムダンク』エンディングテーマ、累計約197万枚。

上杉昇のハスキーボイスとビーイング系のキラキラしたアレンジが乗った、94年末から95年春までずっとチャート上位にいたロングヒット。土曜夕方のテレビ朝日系『スラムダンク』のエンディングで湘北メンバーが歩く映像と一緒に毎週流れ、94年クリスマス・95年正月・卒業・入学とすべての記念日を一緒に通り抜けた曲。

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Mr.Children『Tomorrow never knows』、春までずっと聞こえ続けた94年末のNo.1

1994年11月10日リリース、Mr.Children 6thシングル。累計約276万枚、Mr.Children最大の売上で90年代年間1位の代表曲。

フジテレビ系ドラマ『若者のすべて』主題歌として94年秋に出て、年末年始を超えて95年春までずっとカラオケ・有線・CMで鳴り続けた。震災のニュース映像、卒業式の校内放送、入学式の控え室、引っ越し業者のラジオ、そのすべての場面でこのイントロが流れていた春。新生活と桜と『勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく行くしかない』というフレーズが結びついたのは、ある特定の世代にとって決定的な記憶。

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中島みゆき『空と君のあいだに』、家なき子の春の余韻

1994年5月21日リリース、中島みゆき30thシングル。日本テレビ系ドラマ『家なき子』主題歌、累計約192万枚。

前年に社会現象になった『家なき子』の主題歌で、安達祐実の「同情するなら金をくれ」とともに日本中で何度も流れた。94年中の累計が95年に持ち越され、春先までカラオケランキングの常連だった。中島みゆきの低音の入り方と「君のために生きていこうなんて 大それたことは 望んでいないよ」の独特の節回しが、震災後の春のラジオでも違和感なく溶け込んだ。

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Mr.Children『innocent world』、94年6月発売・95年春までも残っていた前年代表曲

1994年6月1日リリース、Mr.Children 5thシングル。累計約183万枚、1994年の日本レコード大賞受賞曲。

コカ・コーラのCMタイアップで94年夏から95年春までCMが繰り返し流れていた。『Tomorrow never knows』『es』との3点セットでMr.Childrenが日本のサウンドスケープを完全に掌握していた時期。卒業旅行のレンタカー、カラオケの定番、コンビニのBGM、すべての記憶にこのイントロが入っている世代がいる。

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Hootie & the Blowfish『Hold My Hand』、95年春の洋楽ラジオで連呼された

1994年9月リリース。アルバム『Cracked Rear View』からの1stシングルで、ビルボードHot 100最高10位。アルバムは1995年に全米21回プラチナを獲得。

南部出身の4人組ロックバンドが、田舎臭いギターとDarius Ruckerの低音ボーカルで全米のラジオを席巻した。日本でもJ-WAVE・FM東京の昼の番組でずっとかかっていた春で、洋楽専門店のレジ前にもアルバム『Cracked Rear View』が積まれていた。続くシングル『Let Her Cry』『Only Wanna Be With You』もチャート上位入りで、95年は完全にHootieの年だった。

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SMAP『KANSHAして』、NTTのCMから初登場1位を取った16thシングル

1995年3月3日リリース、SMAP16thシングル。NTT『テレチョイス』のCMソングで、初週約21万枚・オリコン初登場1位。

アイドルからエンターテイナーへと脱皮していく途中のSMAPが、初登場1位を取った1曲。林田健司の楽曲をカバーしたファンキーなナンバーで、NTT『テレチョイス』のCMで春の街に流れていた。歌でも勢いを増し、彼らが国民的グループへ駆け上がっていく時期のヒット。

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THE BOOM『風になりたい』、宮沢和史が作った『日本のサンバ』

1995年3月24日リリース、THE BOOM16thシングル。アルバム『極東サンバ』からのシングルカットで、宮沢和史のサンバへの傾倒から生まれた。

『島唄』で知られるTHE BOOMの宮沢和史が、日本語でサンバをやりたいという思いから作り上げた陽気な1曲。打楽器が鳴り響く祝祭的なアレンジで、テレビ番組やイベントで繰り返し使われ、春から夏にかけて長くチャートに残った。のちにCMや運動会でも定番化していく、明るさの象徴のような曲。

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スピッツ『ロビンソン』、4月5日リリースの11thシングル

1995年4月5日リリース、スピッツ11thシングル、累計約162万枚。レコーディングは1月17日の阪神・淡路大震災当日に東京で行われた。

草野マサムネの透明な声と「誰も触れない 二人だけの国」という歌詞が、震災・サリンを経た春の空気にすっと入った1曲。タイトルは草野が以前タイ旅行で印象に残った『ロビンソン百貨店』に由来する仮タイトルがそのまま採用された。シングルとしては最高4位とそれほど派手なスタートではなかったが、夏・秋・冬と街に流れ続けて翌1996年にミリオンを突破した90年代J-POPの定型。

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安室奈美恵『太陽のSEASON』、4月26日に安室単独名義1stシングル

1995年4月26日リリース、安室奈美恵単独名義の1stシングル。前作『TRY ME 〜私を信じて〜』のヒットを受けたユーロビート路線第2弾で、VERONICA SALESの『SEASON』のカバー。

SUPER MONKEY'S時代を抜けた安室奈美恵が自分の名前だけでオリコンを駆け上がり始めた春。前年9月の『TRY ME』が約97万枚に到達した余韻のなかで、もう一段ユーロビート寄りに振り切ったこの曲が、夏のディスコ・カラオケ・テレビで繰り返された。秋の『太陽のSEASON』以降『Body Feels EXIT』『Chase the Chance』『Don't wanna cry』とブレイクの加速度がついていく入口の1枚。

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TUBE『ゆずれない夏』、4月26日リリースの夏先取りシングル

1995年4月26日リリース、TUBE 27thシングル。前田亘輝・春畑道哉の黄金期にあたる夏ソング系列の1枚で、初夏のラジオ・カラオケで定位置を獲得。

1990年代前半、TUBEの新譜は『今年の夏を決める儀式』として春のうちに発表されるのが当たり前だった。4月26日リリースの『ゆずれない夏』も、その春は教習所・部活・コンビニ・スポーツ用品店で繰り返し流された。震災後の重い空気を切り替える夏BGMの予感として、卒業後すぐの若者の春から夏にかけての時間軸を支配した曲。

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Montell Jordan『This Is How We Do It』、95年春の全米No.1になったヒップホップソウル

1995年初頭リリース、1995年4月15日からビルボードHot 100で7週連続1位。モンテル・ジョーダンのデビュー曲で、R&Bチャートでも7週1位。

95年の春に全米No.1を独走したヒップホップソウルのアンセム。重心の低いグルーヴとシンガロングしやすいフックで、クラブからカーステレオまでを満たした。R&B/ヒップホップが完全にメインストリームの音になっていく流れを象徴する、95年春のダンスフロアの代表曲。

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シャ乱Q『ズルい女』、5月3日リリースの大ブレイク曲

1995年5月3日リリース、シャ乱Q 7thシングル。累計約160万枚、全国有線大賞グランプリ、日本レコード大賞優秀作品賞・編曲賞。

つんく作詞・作曲、はたけ編曲。それまで関西のロックバンド枠だったシャ乱Qが、ゴールデンウィーク直前のリリースから5月中旬以降に一気に火がついて、夏のチャートを独占する流れに乗った曲。野太いシャウトとブルース調のサビは、Mr.Children・TRF・H Jungle with tといった春の主役群とは別ベクトルで、ロック寄りのカラオケ需要を一気に飲み込んだ。

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Mr.Children『【es】〜Theme of es〜』、震災翌日の歌詞会議から生まれた8thシングル

1995年5月10日リリース、Mr.Children 8thシングル。初週約52万枚、累計約157万枚。『CROSS ROAD』から5作連続のミリオンセラー。

ドキュメンタリー映画『【es】 Mr.Children in FILM』の主題歌として制作。先に映像とメロディだけが用意され、歌詞のないまま札幌のレコーディングへ。その前夜に阪神・淡路大震災が発生し、桜井和寿は約10日かけて歌詞を書き上げた。「臆病風に吹かれて 波風が立った世界を 颯爽と渡ってく為に いったい何が必要なんだろう」の問いかけは、95年春の日本そのものに向けられた言葉として受け止められた。

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酒井法子『碧いうさぎ』、『星の金貨』とともに春から初夏に響いたバラード

1995年5月10日リリース、酒井法子27thシングル。日本テレビ系ドラマ『星の金貨』主題歌で、オリコン1位・累計約100万枚と自身最大のヒット。

聴覚を失ったヒロインを演じた酒井法子主演の人気ドラマ『星の金貨』の主題歌で、静かなバラードが春から初夏のチャートを長く支配した。アイドルとして親しまれていた彼女の歌手としての代表曲となり、ドラマの切ない物語とともに記憶に残る1曲になった。

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My Little Lover『Man & Woman/My Painting』、小林武史が仕掛けた両A面デビュー

1995年5月1日リリース、My Little Loverのデビューシングル(両A面)。小林武史プロデュースで、初動は低かったがロングヒットになった。

Mr.Childrenらを手がける小林武史が中心となって始めたMy Little Loverのデビュー曲。akkoの透明な歌声と作り込まれたサウンドが、発売直後より口コミでじわじわ広がった。この年の夏には『Hello, Again』で大ブレイクし、年末のデビューアルバム『evergreen』は300万枚を超える。その快進撃の出発点になった春のシングル。

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Madonna『Take A Bow』、ビルボードHot 100で7週連続1位

1994年12月6日リリース、Madonna『Bedtime Stories』からのシングル。ビルボードHot 100で1995年1月から2月にかけて7週連続1位、Madonnaのキャリア最長首位記録。

Babyfaceとの共作で、それまでのダンスポップからR&Bバラード路線に切り替えた成熟期Madonnaの代表曲。日本でもFMラジオ・MTV Japan・タワーレコードの店頭でずっとかかっていた春で、洋楽好きの大学生・社会人にとっては95年初頭の象徴的な1曲だった。

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Boyz II Men『On Bended Knee』、94年末から95年正月のNo.1バラード

1994年11月14日リリース、Boyz II Men 4thシングル。ビルボードHot 100で1994年12月から1995年1月にかけて6週連続1位。

前作『I'll Make Love to You』が14週連続1位を獲得した直後の作品。R&Bコーラスの黄金パターンで、94年クリスマスから95年バレンタインまで日本のラジオ局でも繰り返し流された。FMの夜の番組ではこの曲とMariah Carey、TLCがほぼセットで流れていた。

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Mariah Carey『Hero』、月9『For You』主題歌として春に再ヒット

1993年10月19日リリース、Mariah Carey『Music Box』からの2ndシングル。ビルボードHot 100で4週連続1位。日本ではフジテレビ系月9ドラマ『For You』主題歌として95年1月期に再評価。

中山美穂主演の月9ドラマが1月9日から3月20日に放送され、主題歌としてMariah Careyの『Hero』が起用された。震災・サリンと続く重いニュースの夜、月9のエンディングでこの曲のサビが鳴ると、日本中の20代女性が一斉に同じ気持ちになる、というのが95年春のテレビの強度だった。

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TRF『CRAZY GONNA CRAZY』、1995年の正月に鳴り続けた小室サウンドの頂点

1995年1月1日リリース、TRF8thシングル。小室哲哉プロデュースの3か月連続リリース第1弾で、累計約158万枚を売り上げTRF最大のヒット・オリコン週間1位。

元日に発売され、1995年の幕開けとともに街のあちこちで鳴っていた小室サウンドの代表曲。この年のTRFはCRAZY GONNA CRAZY・masquerade・Overnight Sensationを毎月連続で投入し、テレビCMからディスコ、カラオケボックスまでがTRF一色だった。avexとTRFが時代の音を決めていた時期の、その勢いを象徴する1曲。

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桑田佳祐 & Mr.Children『奇跡の地球』、AAAから生まれた世代を超えた1曲

1995年1月23日リリース。桑田佳祐とMr.Childrenによるエイズ啓発キャンペーン『Act Against AIDS』のチャリティシングルで、累計約172万枚・オリコン週間1位。

サザンの桑田佳祐と、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったMr.Childrenの桜井和寿が並んで歌った、エイズ啓発(AAA)のためのチャリティ企画曲。世代の違う二組が一緒に歌うこと自体が話題になり、95年の年明けのテレビで繰り返し取り上げられた。売上がチャリティに充てられる前提のシングルとしてもミリオンに届いた。

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奥田民生『息子』、コカ・コーラのCMから流れた脱力のロックンロール

1995年1月15日リリース、奥田民生3rdソロシングル。コカ・コーラのCMソングに起用され、オリコン最高2位。ニューヨークでレコーディングされた。

ユニコーン解散後、ソロとして自分の音を確かめていた奥田民生が、コカ・コーラのCMに乗せて全国に届けた1曲。肩の力が抜けたロックンロールと、ニューヨーク録音の海外ミュージシャンの演奏が、小室サウンド全盛の95年の中でかえって新鮮に響いた。

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安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S『TRY ME 〜私を信じて〜』、ブレイク前夜のユーロビート

1995年1月25日リリース、安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S名義のシングル。ミナミスポーツのCMに起用され、有線とディスコ発で累計約73万枚まで伸びた。

後にソロでブームを巻き起こす安室奈美恵が、まだSUPER MONKEY'Sを率いていた頃のヒット。発売直後は低い順位だったが、ディスコでかかるユーロビートと有線放送のリクエストでじわじわ上昇し、最終的にトップ10入りした。このヒットが、この年の春からのソロ本格化につながっていく出発点になった。

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Sheryl Crow『All I Wanna Do』、グラミーを獲った95年の洋楽ラジオの定番

1994年後半リリース、ビルボードHot 100で6週連続2位。1995年のグラミー賞で最優秀レコード賞を受賞し、日本でもプラチナ認定。

気だるい昼下がりのような雰囲気のこの曲は、94年末から95年春にかけて全米と日本の洋楽ラジオを席巻した。95年初頭のグラミー賞で最優秀レコード賞を受賞し、シェリル・クロウは一躍時代を代表するシンガーソングライターになった。カフェやFMから流れる、あの空気感を作った1曲。

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Bon Jovi『Always』、ベスト盤『Cross Road』とともに日本を席巻したバラード

1994年リリース、ビルボードHot 100最高4位。ベスト盤『Cross Road』に収録され、同アルバムは日本でボン・ジョヴィ初の1位・110万枚超を記録。

ボン・ジョヴィのベスト盤『Cross Road』とともに、94年末から95年にかけて日本で爆発的に売れたパワーバラード。日本ではこのベスト盤がバンド初の1位になり、洋楽好きでなくても口ずさめる定番として春のラジオで流れ続けた。ハードロックバンドの曲が日本の茶の間まで届いた象徴的な1曲。

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TLC『Creep』、95年初頭の全米No.1になったR&Bの大ヒット

1994年10月リリース、1995年1月28日からビルボードHot 100で4週連続1位。アルバム『CrazySexyCool』の先行シングル。

94年末に出たアルバム『CrazySexyCool』の先行シングルとして、95年の年明けにビルボードのトップに立ったR&Bナンバー。気だるくクールなグルーヴと女性3人のコーラスが、この後のR&B/ヒップホップの大衆化を予感させた。95年春の洋楽シーンを語るうえで欠かせない、女性グループのアルバム史上最大のヒットの幕開けの曲。

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Ini Kamoze『Here Comes the Hotstepper』、映画『プレタポルテ』とともに流れたダンスホール

1994年12月にビルボードHot 100で2週連続1位。ロバート・アルトマン監督の映画『プレタポルテ』(日本公開1995年5月27日)のサウンドトラックに起用。

一度聴いたら離れないフックで知られるレゲエ/ダンスホールのヒット。94年末に全米1位を取り、ファッション業界を描いた映画『プレタポルテ』とともに95年春の日本でもクラブやラジオで流れた。ジャンルを越えてかかる軽快さで、その時代の空気をまとった1曲。

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Real McCoy『Another Night』、ディスコとラジオを満たしたユーロダンス

ドイツのユーロダンスグループによる楽曲で、1994年11月にビルボードHot 100最高3位、ダンスチャート1位。45週にわたりチャートインしたロングヒット。

ドイツ発のユーロダンスが世界を覆っていた時期を代表する1曲。打ち込みのビートと女性ボーカル、ラップを組み合わせた構成が、95年初頭のディスコやFM、有線で繰り返し流れた。日本でもユーロビート/ダンスの定番として親しまれ、当時のクラブの夜を思い出させるサウンド。

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篠原涼子 with t.komuro『もっと もっと…』、2月の街を走った小室サウンド

1995年2月8日リリース、篠原涼子5thシングル。小室哲哉プロデュース、累計約62万枚。前年『恋しさと せつなさと 心強さと』のヒットに続く第2弾。

前作『恋しさと せつなさと 心強さと』が累計約202万枚のダブルミリオンを記録した直後の春。バブル後のテレビCMやドラマOPに小室サウンドが入り込んでいた時期で、篠原涼子のクリアな高音とテクノっぽいビートが、震災のニュース映像の合間に流れる広告のBGMとしても繰り返し耳に入った。

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ZARD『Just believe in love』、坂井泉水の声が冬の終わりに鳴った14thシングル

1995年2月1日リリース、ZARD 14thシングル。初登場2位、11週チャートイン、累計約65万枚。

前年の『Don't you see!』のミリオンを経て、坂井泉水の声が完全にチャートの定位置に。アップテンポで前向きな歌詞は、震災直前の少し疲れたムードを切り替えるように2月の有線で繰り返された。ZARDがビーイング系の中で最も安定した売上を保っていた時期で、シングル発売直後にアルバム『forever you』も4月3日にリリースされる流れだった。

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福山雅治『HELLO』、26歳の誕生日に出た初登場1位のミリオン

1995年2月6日(福山の26歳の誕生日)リリース、10thシングル。フジテレビ系ドラマ『最高の片想い』主題歌で初登場1位、累計約187万枚。

誕生日に発売され、ドラマ『最高の片想い』の主題歌として一気に駆け上がった福山雅治の代表曲。当時はまだ珍しかったマキシシングルの形態で、その形式として初のミリオンを記録した。俳優と歌手の両輪で人気を確立していく時期の、決定打になった1曲。

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森高千里『二人は恋人』、春のドラマ主題歌になったセルフプロデュース曲

1995年2月10日リリース、森高千里25thシングル。日本テレビ系ドラマ『恋も2度目なら』主題歌で、オリコン最高5位。

作詞も自ら手がける森高千里が、日テレのドラマ主題歌として届けた春の1曲。ミニスカートでドラムを叩くセルフプロデュースのイメージが定着していた時期で、CMやバラエティでも引っ張りだこだった彼女の、明るいポップスらしさがよく出ている。

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観月ありさ『あなたの世代へくちづけを』、主演ドラマと一体だった小室サウンド

1995年2月13日リリース、観月ありさ8thシングル。小室哲哉プロデュースで、観月主演のフジテレビ系ドラマ『ヘルプ!』主題歌。

モデル出身でドラマの主役を張っていた観月ありさが、自身主演の『ヘルプ!』の主題歌として歌った小室プロデュース曲。女優が主題歌も歌うという当時の王道パターンで、彼女がオリコンのトップ10に入った最後のシングルでもある。小室サウンドがドラマと完全に結びついていた時代の1枚。

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大黒摩季『ら・ら・ら』、『味いちもんめ』とともに春のチャート1位を走った

1995年2月20日リリース、大黒摩季10thシングル。中居正広主演のテレビ朝日系ドラマ『味いちもんめ』主題歌で、オリコン1位・累計約134万枚と自身最大のヒット。

ビーイング系のパワフルな女性ボーカルとして人気を確立していた大黒摩季の、最大のヒット曲。中居正広が板前を演じたテレ朝のドラマ『味いちもんめ』の主題歌として、春のチャートのトップを走り続けた。前作に続く連続1位で、彼女の名前を茶の間まで広げた1曲。

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DREAMS COME TRUE『サンキュ.』、春の別れと感謝に寄り添ったバラード

1995年2月22日リリース、DREAMS COME TRUE17thシングル。オリコン最高2位、累計約107万枚。アルバム『DELICIOUS』の先行シングル。

卒業や旅立ちの季節に、身近な人への『ありがとう』を素直に歌ったドリカムのバラード。発売は1995年の早春で、別れと感謝が重なる春に長く愛され、のちのちまで卒業式や結婚式の定番として歌い継がれていく。吉田美和の伸びやかな歌声が、節目の季節の気持ちにそっと寄り添った。

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EAST END×YURI『MAICCA〜まいっか』、日本語ラップを茶の間に広げた連続ミリオン

1995年2月13日リリース、EAST END×YURI2ndシングル。デビューから2作連続ミリオンというオリコン史上初の記録を達成し、テレビ朝日系ドラマ『さんかくはぁと』主題歌。

前作『DA.YO.NE.』で火がついた日本語ラップのブームを決定づけた1曲。日常のだるさを『まいっか』と受け流すゆるい言葉遊びが、ヒップホップになじみのなかった層にも一気に広がった。ラップが特別なものではなく、お茶の間のヒット曲になった瞬間を象徴する春のシングル。

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TRF『masquerade』、3か月連続リリース第2弾のラテン調ダンスナンバー

1995年2月1日リリース、TRF9thシングル。小室哲哉プロデュースの3か月連続リリース第2弾で、オリコン週間1位・累計約138万枚のミリオンセラー。

正月のCRAZY GONNA CRAZYに続く、TRFの3か月連続リリース第2弾。ラテンの香りを効かせたダンスナンバーで、この曲も難なくオリコン1位を獲得した。CRAZY GONNA CRAZY、masquerade、Overnight Sensationと毎月のように1位を更新していく、小室哲哉とavexが頂点に駆け上がっていく時期の勢いを体現した1曲。

news · ニュース・出来事4

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地下鉄サリン事件、3月20日朝の通勤時間帯

1995年3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄(現東京メトロ)の丸ノ内線・日比谷線・千代田線の5本の列車で猛毒サリンが散布された無差別テロ。死者14名、負傷者約6300人。

都心の通勤時間帯にオウム真理教が引き起こした化学兵器テロ。地下鉄駅から運び出される乗客の映像が午前のテレビニュースに流れ、霞ヶ関・築地・小川町・八丁堀の駅前が報道陣で埋まった。震災から2ヶ月、桜が咲く前の月曜の朝に、もう一度日本の日常が断ち切られた感覚を多くの人が共有した日。

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1ドル79円75銭、戦後最高値の超円高

1995年4月19日、東京外国為替市場で1ドル79円75銭を記録。1973年の変動相場制移行以来の円の最高値で、日銀・財務省が史上最大規模の協調介入を行った。

震災・サリンに続いて為替の歴史的事件が春に重なった。自動車・家電などの輸出企業の業績懸念が一気に強まり、円高不況の議論がワイドショーから経済番組まで日常に。海外旅行・留学・輸入品が異常に安く、当時の20代の若い人にとっては『初めてのヨーロッパが現実的に行けた春』としてポジティブに記憶されている側面もある。

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阪神・淡路大震災、1月17日午前5時46分

1995年1月17日午前5時46分発生、マグニチュード7.3、最大震度7。死者6434名、住宅全半壊約25万棟。神戸市・芦屋市・西宮市を中心に甚大な被害。

戦後最大規模の都市直下型地震。テレビが朝の情報番組から速報に切り替わり、画面に倒壊した阪神高速・燃える長田区・崩落した阪急電車車両が映った。春先までに自衛隊・全国の自治体・延べ約138万人のボランティアが入り、後に『ボランティア元年』と呼ばれる流れが生まれた。震災後の春は、テレビCMの差し替え、列車の徐行運転、千羽鶴と募金箱が日常風景になった。

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ボランティア元年、被災地に集まる延べ138万人

1995年は『日本のボランティア元年』と呼ばれる。震災翌日から被災地に駆けつけた市民が春までに最大日2万人、最初の1年で延べ約138万人に達した。

震災までは『ボランティア=特別な人がやること』の意識が強かった日本で、大学生・社会人・主婦が瓦礫撤去・炊き出し・避難所運営に自発的に入る流れが完全に普通になった春。テレビは『被災地に行きたい人は窓口に』とアナウンスし、神戸へ向かう深夜バスは満員、リュックを背負った若者で三宮駅周辺が埋まった。後の特定非営利活動促進法(NPO法)1998年成立の起点。

tv · テレビ4

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NHK朝ドラ『春よ、来い』、橋田壽賀子自伝の朝の風景

1994年10月3日から1995年9月30日放送、NHK連続テレビ小説第52作。原作・脚本は橋田壽賀子自身の自伝的小説。前半ヒロインは安田成美、後半は中田喜子。

NHK放送開始70周年記念作品。脚本家として戦中戦後を生き抜いた橋田壽賀子自身の半生を描き、朝8時15分からの放送が95年春の家庭の風景の一部だった。途中で安田成美が太平洋戦争のシーンの後で降板し、中田喜子に交代する珍しい流れも話題に。松任谷由実の主題歌と橋田ドラマの組み合わせが、震災・サリンの春にも穏やかなテンポを保ち続けた。

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『ダウンタウンのごっつええ感じ』、浜田雅功主演の日曜夜の人気コント番組

フジテレビ系の日曜夜のコント番組。1991年12月8日から1997年11月2日まで放送。主演の浜田雅功は、この春『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』での一言がきっかけでH Jungle with t『WOW WAR TONIGHT』も大ヒットさせていた。

松本人志・浜田雅功を軸に、今田耕司・東野幸治・板尾創路・蔵野孝洋・YOUらが揃った関西芸人の総力戦。浜田は同じ春、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で小室哲哉に半分冗談で頼んだ曲がそのままヒットして、コントとヒット曲の両方で存在感を放っていた。土曜深夜の『ダウンタウンDX』とは別枠で、日曜の夜の若者の決まりごとだった。

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『美少女戦士セーラームーンSuperS』、3月4日から放送開始

1995年3月4日から1996年3月2日まで、テレビ朝日系土曜19時放送、東映アニメーション制作。シリーズ第4作で全39話、ちびうさが主役化したシーズン。

セーラームーンシリーズの中でちびうさを主役側に据えた挑戦作。小学生の女子が土曜の夕方に集中して観るアニメ枠で、当時の女児文化の中心だった。続編映画『セーラー9戦士集結! ブラック・ドリーム・ホールの奇跡』は12月23日公開と、95年通してセーラームーンの年だった。

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月9『For You』、中山美穂主演でシングルマザーを描いた1月期の話題作

1995年1月9日から3月20日まで、フジテレビ系月曜21時の連続ドラマ。中山美穂主演、シングルマザーの恋愛を描く全11回。脚本は中園ミホ。

中山美穂が約3年ぶりの月9主演で、未婚のまま出産したシングルマザーを演じる挑戦作。共演に高嶋政伸・高橋克典・森口博子・香取慎吾。主題歌はMariah Carey『Hero』。最終回が偶然にも3月20日、地下鉄サリン事件と同じ日の放送となり、ニュース速報のテロップとともに記憶された春の月9。

movie · 映画4

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『フォレスト・ガンプ/一期一会』日本公開、3月の映画館を埋めた

1995年3月11日、日本公開。トム・ハンクス主演、ロバート・ゼメキス監督。前年のアカデミー賞作品賞・主演男優賞・監督賞・脚色賞・編集賞・視覚効果賞の6部門受賞。

日本での公開タイミングが震災から2ヶ月後、地下鉄サリン事件の9日前という不思議な時期。「人生はチョコレートの箱のようなもの」の名言と、ジョン・レノン・エルヴィス・ベトナム戦争・ピンポン外交といったアメリカ近代史をフォレストが横切っていく構成が、不安定な気分の春の日本人にちょうど良い『遠い場所の長い物語』として受け止められた。

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『クール・ランニング』、ジャマイカのボブスレー実話が春のレンタルビデオで定着

1993年米国公開、1994年12月日本公開のディズニー実写映画。1988年カルガリー冬季五輪のジャマイカ・ボブスレー代表チーム実話に基づくスポーツコメディ。

前年末に劇場公開された作品が、年明けのレンタルビデオでヒットを継続。震災・サリンの暗いニュースが続く春に、貧しいジャマイカチームが氷上競技に挑む笑える話として、レンタルビデオ屋の店頭ピックアップから家族鑑賞需要まで広がった。「Feel the Rhythm! Feel the Ride!」の合言葉が学校の中でも流行した時期。

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TSUTAYA・ゲオのレンタルビデオ全盛、新生活の必須消費

1995年春、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)のTSUTAYAとゲオを中心にレンタルビデオ・CDの月会員制が全国へ急速に拡大しており、新社会人・大学生の標準消費の一部だった。

VHSカセットが棚にずらりと並び、新作・準新作・旧作で料金が違うシステムが完成していた時期。新生活で一人暮らしを始めた若者が最初にやることが『近所のTSUTAYAで会員カードを作る』だった春。週末に7本まとめて借りて月曜まで観るというパターンが定着していた。

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『耳をすませば』ロードショー準備期、春の宣伝先行で話題に

スタジオジブリ作品『耳をすませば』は1995年7月15日に劇場公開。春の時点ではテレビCM・予告編・関連書籍が先行して春の話題として動き始めていた。

近藤喜文監督・宮崎駿脚本のジブリ作品が夏休みに向けて春から仕掛けが始まり、東京・神奈川の街並みを舞台にした映像と『カントリー・ロード』のテーマ曲が、4月以降のテレビ予告で繰り返し流された。夏休み映画として『ダイ・ハード3』『アポロ13』と並ぶ春後半の期待作だった。

trend · 流行・カルチャー5

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globe結成、小室哲哉の次のプロジェクトが動き出した春

1995年初頭にglobeが結成され、小室哲哉・マーク・パンサー・KEIKOの3人組として準備が進む。デビューシングル『Feel Like dance』は同年8月9日発売。

TRF・篠原涼子 with t.komuro・H Jungle with tの大ヒット中に、小室哲哉が次に組み立てていたのがglobe。95年春の時点ではメディアにまだほぼ姿を見せていなかったが、レコーディングと方向性決定はこの春に集中していた。同年夏のデビューで初週ミリオン、年末にはアルバム約414万枚という小室サウンドの最大瞬間風速を作る源流が、春の小室サウンド全盛と並行して動いていた。

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1995年の桜、東京は3月29日開花・4月3日満開

1995年の東京の桜は気象庁標本木で3月29日開花、4月3日満開。神戸の桜は地震後の倒壊家屋の中で例年通り咲いた光景が報道された。

震災で大きな被害を受けた神戸でも、瓦礫の隙間や仮設住宅の脇で桜が咲き、新聞各紙が一面にその写真を載せた春。東京・上野公園・千鳥ヶ淵・目黒川では、いつも通りの花見客が戻り、震災・サリンを経た日本にとって『日常の確認』としての花見だった。会社員のレジャーシートの上では『缶チューハイ・コンビニおにぎり・カラオケ機材なしの肉声合唱』という95年春の定番風景。

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卒業・入学・新生活、新社会人のリクルートスーツとワンルーム

1995年3月の大学卒業者は約49万人、4月の新入社員入社式が各社で実施。バブル崩壊後の就職難で『就職氷河期』という言葉が定着しはじめた春。

1991年バブル崩壊後の長期不況で、95年は『就職氷河期』のド真ん中。リクルートの『就職ジャーナル』を抱えた4年生が震災・サリンのニュースを横目に内定を取りに動いた春。一方で内定を取った人は3月末に上京し、ワンルーム6畳・ユニットバス・電子レンジ・小型テレビ・布団・新スーツの定型パッケージで新生活を開始。狛江・武蔵小山・三鷹・京急蒲田あたりの不動産屋の店頭が一年で最も混む季節だった。

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コギャル・ルーズソックス、渋谷とセンター街の女子高生文化

1995年春、女子高生のルーズソックス・茶髪・厚底ローファー・短いスカートのコギャル・スタイルが完成形に近づき、渋谷109周辺と原宿が拠点として定着。

ルーズソックスは前年からピチピチ・ハイソックスの反動で爆発的に広まり、95年春は『ソックタッチ』を使って固定する方法まで一般化していた。プリント倶楽部はまだ夏(7月)発売前で、女子高生の遊び場は『プリクラ』なしのままカラオケ・ファストフード・渋谷109が中心。コギャル文化が初期段階で熱量を持っていた春。

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『写ルンです』、デジタルカメラ前夜の春の旅行必需品

富士フイルムの使い切りカメラ『写ルンです』が1990年代前半に標準化し、1995年春時点で年間約8000万本の販売規模。フィルム27枚撮りで税込1280円前後。

卒業旅行・花見・新生活のスナップは全部『写ルンです』。コンビニ・ドラッグストア・観光地の売店で気軽に買えて、撮影後はそのまま現像窓口に出すスタイルが完成していた。フィルムカメラ全盛の春で、ピントが少しブレた粗い画像が逆に時代の質感として残り、当時撮られた写真は今でもアルバムから出てくる。

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第67回選抜高校野球、観音寺中央が初出場初優勝

1995年3月25日から4月5日まで阪神甲子園球場で開催。決勝で観音寺中央(香川)が銚子商業(千葉)を4対0で破り、初出場で初の全国制覇。

震災から約2ヶ月後の開催で、一時は開催が危ぶまれた大会。エース久保尚志投手の安定感が大会を通して光り、東海大相模戦完封勝利、星稜に6対4の逃げ切り、関西に13対6で圧勝という勝ち上がり。香川の小さな高校が阪神甲子園で優勝旗を掲げた瞬間は、震災で揺れた被災地に近い人にとっても象徴的な春の出来事になった。

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Jリーグ1995年シーズン開幕、第3年目の春

1995年Jリーグは3月18日サントリーシリーズ開幕、14クラブで競技。前年覇者のヴェルディ川崎と鹿島アントラーズ・横浜マリノスらの上位争い。

1993年開幕で熱狂したJリーグの3年目。バブル的人気からは少し落ち着き、地域に根ざしたクラブとして定着していくフェーズに入っていた春。三浦知良・ラモス瑠偉のヴェルディ、ジーコの鹿島、井原正巳の横浜マリノスといった当時の象徴選手たちがピッチに立ち、サポーター文化が日本のスポーツ観戦様式として春から夏にかけてさらに広がっていった。

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大相撲春場所、貴乃花対武蔵丸の熱戦

1995年3月12日から26日まで大阪府立体育会館で開催の大相撲三月場所。貴乃花が13勝2敗で6度目の幕内最高優勝、武蔵丸との千秋楽決戦。

貴乃花・若乃花の若貴ブームが当時のスポーツニュース定番で、武蔵丸・曙との横綱争いがゴールデンタイムの話題だった春。震災・サリンの暗いニュースの合間に大相撲春場所中継が流れていたNHKの夕方は、若貴の取組だけ会社員が立ち止まって店頭テレビを見上げる、という風景があった。

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マイケル・ジョーダンNBA復帰、『I'm back.』の2語

1995年3月18日、マイケル・ジョーダンが約1年7ヶ月のマイナーリーグ野球挑戦を経てシカゴ・ブルズに復帰。記者会見の声明はFAXで送られた『I'm back.』の2語だけ。

1993年10月の引退発表からマイナーリーグ・バーミングハム・バロンズで野球に挑戦していたジョーダンが、3月にNBAへ復帰。同シーズンは55番をつけてバックインドルフのチームをプレーオフへ。日本でもCS放送・スポーツニュース・ナイキCMでブルズとジョーダンが復権し、95年春のスポーツ用品店ではエア・ジョーダンの新作が一気に売れた。

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オリックス・ブルーウェーブ『がんばろうKOBE』、4月のプロ野球開幕

1995年4月開幕、仰木彬監督2年目のオリックス・ブルーウェーブが阪神・淡路大震災の被災地・神戸を本拠地とする立場から『がんばろうKOBE』を腕章につけてシーズンに臨んだ。

震災で本拠地のグリーンスタジアム神戸も損壊した中で、選手は左袖に『がんばろうKOBE』の縫い取りをつけて開幕。エース野茂英雄は5月に近鉄からメジャーリーグへ移籍し、若いイチローと田口壮を中心にした打線が前年から続く勢いを春先から見せていた。シーズン後半の独走と日本シリーズ進出は夏以降の話だが、春の出だしでこのスローガンが定着したことが象徴的だった。

slang · 流行語1

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『がんばろうKOBE』『無党派』『安全神話の崩壊』、春の流行語の予兆

1995年の流行語大賞では『無党派』が年間大賞、トップテンに『がんばろうKOBE』『安全神話の崩壊』『マインドコントロール』などが入る。春の時点でこれらの言葉が新聞紙面に頻出。

震災で建物・高速道路の倒壊によって『日本の建築の安全神話の崩壊』、サリン事件で『地下鉄・都市生活の安全神話の崩壊』が同時に語られた春。テレビ朝日『ニュースステーション』久米宏の文脈、TBS『ニュース23』筑紫哲也の文脈、朝刊の見出し、すべてに『神話の崩壊』というフレーズが繰り返された。

tech gadget · モノ・ガジェット4

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クロノ・トリガー発売、3月11日のドリーム・プロジェクト

1995年3月11日発売、スクウェアのスーパーファミコン用RPG。堀井雄二・坂口博信・鳥山明という業界トップ3が組んだドリーム・プロジェクトで、累計出荷約230万本。

ドラゴンクエストの堀井雄二、ファイナルファンタジーの坂口博信、ドラゴンボールの鳥山明。当時の少年漫画・RPGファンにとって異次元の組み合わせが発売前から大ニュースだった。震災1ヶ月後に予定通り発売され、ゲームショップに並んだ少年たちと家に持ち帰った後の春休みのプレイ体験は、90年代RPGの絶対的な記憶。タイムトラベルRPGとして時代を渡る物語は、95年の春そのものに重なって今でも語られる。

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プレイステーション対セガサターン、次世代ハード戦争の春

1994年11月22日セガサターン、12月3日プレイステーションが日本で発売。1995年春時点で両機合計の販売台数が約120万台超、本格的な次世代ハード戦争のスタート期。

それまでスーパーファミコン一強だった家庭用ゲームの市場が、3次元グラフィックスとCD-ROMの新ハードに一気に移り変わるタイミング。セガサターン『バーチャファイター』『バーチャレーシング』に対して、プレイステーション『リッジレーサー』『ナムコミュージアム』。3月にはサターンに『バーチャファイター リミックス』、PSに『鉄拳』が登場。家電量販店のゲーム売場が春休みの少年たちで埋まる、95年春の風景。

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Windows 95発売前夜、雑誌とパソコン売場で広がる期待

Windows 95は同年11月23日に日本発売予定で、春の時点ではマイクロソフトの英語版『Chicago』ベータが話題に。PC雑誌・新聞・家電量販店のパソコン売場で前評判が高まっていた。

それまでDOS/V・Windows 3.1の世界だった日本のパソコンが、春のあいだに『次の秋に革命が来る』というニュースに支配された。NEC PC-9821・富士通FMV・IBM Aptivaが店頭に並ぶ売場で、店員が『あと半年待つかどうか』を客に聞くやり取りが繰り返されていた。同年内に発売されることが確実視され、雑誌『日経パソコン』『ASCII』が特集を打ち続けた春。

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ポケットベル全盛、女子高生の語呂合わせ数字文化

1995年はポケットベル(ポケベル)契約者数が約1078万件のピークを迎える年。女子高生の語呂合わせ通信『0840(おはよう)』『3470(さよなら)』『724106(なにしてる)』が広く一般化。

PHSはまだサービス開始前(7月)、携帯電話は仕事用で高価という時代で、若者の連絡手段はポケベルだった。公衆電話の前で女子高生が数字を打つ姿が春の街の定番で、教室では『今日4649ね』とプッシュ音だけが響く。震災・サリンの春にも友達同士の合言葉的なポケベル文化は揺らがず、春の卒業旅行のグループ連絡もポケベル経由で回っていた。

food · 食べもの1

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カゴメ「野菜生活100」発売(1995年5月)

カゴメが1995年5月、野菜と果実を100%使用したジュース「野菜生活100」を250g缶で発売した。

健康志向の高まりを背景に、コンビニの冷蔵ケースに並んだ新顔の野菜果実ジュースだった。当初は缶入りのみの展開で、後にパックやペットボトルへとラインナップを広げていく、現在まで続くロングセラーの出発点にあたる。

cm ads · CM・広告1

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ポカリスエット CM「ダチョウ編」中山エミリ起用(1995年)

大塚製薬「ポカリスエット」のCM「チャレンジシリーズ」2作目として、当時高校生だった中山エミリが南アフリカでダチョウに乗ろうと奮闘するCMが1995〜96年に放送された。

南アフリカの荒野でダチョウを追いかける中山エミリの一生懸命な姿が話題になった。CMソングはFIELD OF VIEWの「突然」(1995年5月発売)で、ポカリスエットの新学期・新生活キャンペーンの定番として親しまれた時期にあたる。

infrastructure · 街・インフラ1

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JR神戸線、4月1日に74日ぶり全線復旧

1995年4月1日、JR神戸線の住吉〜灘間が営業再開し、震災から74日ぶりに全線復旧。最後まで残った六甲道駅は高架橋ごと倒壊していたが、奥村組の工事で路盤をジャッキで持ち上げる方法により約3ヶ月で復旧。

1月17日に倒壊した六甲道駅は当初『復旧に2年』と言われていたが、診断の結果、崩壊した路盤を約10メートルの高さまでジャッキで水平に持ち上げる工法が採用され、震災から74日後に営業再開した。阪神電鉄も1月26日の甲子園〜青木間から段階的に運転再開し、3月1日に西灘〜岩屋間が走り始めたが、本線の全線復旧は6月26日までかかった。阪急神戸線は6月の段階再開を経て完全復旧は8月。再開した駅のホームで『おかえりなさい』と書かれた段ボールを掲げる駅員の写真が、新聞各紙の一面に出た春。

ここに並べたのは、1995に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。

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