DREAMS COME TRUE『go for it!/雨の終わる場所』、資生堂CMのミリオン
1993年9月9日リリースの両A面シングル。資生堂「レセンテ」CMソング。1993年唯一のシングルながらミリオンセラー。
吉田美和が資生堂のCMに出演し、秋の定番CMソングとして広く流れた。ドリカムが国民的バンドへ駆け上がっていく時期の一枚。
AUTUMN · 1993
平成5年 · 9・10・11月 · 全 25 件
記録的な冷夏で米が不足し、政府がタイ米を緊急輸入した『平成の米騒動』の秋。10月28日、サッカーW杯アジア最終予選でロスタイムに同点とされ日本がW杯初出場を逃した『ドーハの悲劇』。プロ野球はヤクルトが15年ぶり日本一。テレビは月9『あすなろ白書』の“あすなろ抱き”と木村拓哉、土曜夕方に始まった『スラムダンク』、『料理の鉄人』が話題に。藤井フミヤ『TRUE LOVE』が200万枚、桑田佳祐がソロ初の1位、森高千里・ドリカムもチャートを賑わせた。ビーイング系J-POP全盛、ポケベルとコギャル文化が芽吹き、スズキ・ワゴンRが軽自動車の概念を変えた。バブルの余熱が冷め、新しい時代の輪郭が見え始めた秋。
この季節を、シンヤの声で聴く1993年9月9日リリースの両A面シングル。資生堂「レセンテ」CMソング。1993年唯一のシングルながらミリオンセラー。
吉田美和が資生堂のCMに出演し、秋の定番CMソングとして広く流れた。ドリカムが国民的バンドへ駆け上がっていく時期の一枚。
1993年9月22日リリース。長渕剛主演のTBS系ドラマ『RUN』主題歌。オリコン週間1位。
長渕剛が主演を務めたドラマの主題歌で、曲名もドラマ名も『RUN』。熱と渋さを湛えた、秋のドラマシーズンの一曲。
1993年9月1日リリースの8枚目のシングル。KDD(現KDDI)「001」CMソング。タイトルどおりオリコン週間1位を獲得した。
『どんなときも。』『もう恋なんてしない』のヒットで時代の歌い手になっていた槇原敬之の、秋のシングル。曲名『No.1』のとおり1位を取ったことが話題になった。
1993年9月29日リリース。小室哲哉作詞・作曲。約2年ぶりのシングルで、3作連続オリコン1位を記録した。
TM NETWORKを改名したTMNとして、活動終了(翌1994年4月発表)の直前に放った一曲。この後、小室哲哉はtrfや篠原涼子らのプロデュースで、90年代後半のシーンそのものを作り変えていく。その前夜のシングル。
1993年10月6日リリース。キリンビバレッジ「JIVE」CMソング。桑田佳祐のソロシングルとして初のオリコン週間1位。
サザンオールスターズの桑田佳祐が、ソロ名義で初めて頂点に立った一曲。秋の夜のムードを湛えた、大人のブルース調ナンバー。
1993年10月11日リリース。全日空(ANA)の九州キャンペーンソング。森高千里にとって初のオリコン週間1位。
大分・湯布院の街並みをモチーフにした歌詞で、ANAの九州キャンペーンと連動し、秋の旅行シーズンに広く流れた。作詞は森高千里自身。
イギリスのレゲエバンドUB40が、エルヴィス・プレスリーの名曲をレゲエ調にカバー。全米7週1位。映画『硝子の塔』(1993年10月日本公開)の主題歌として日本でも認知された。
元はエルヴィス・プレスリーが歌った『好きにならずにいられない』を、UB40がゆったりしたレゲエにアレンジ。シャロン・ストーン主演の映画とともに、1993年の秋に日本でも流れた、心地よいカバー。
1993年11月10日リリース。フジテレビ月9『あすなろ白書』主題歌。オリコン5週連続1位、累計200万枚超。藤井フミヤのソロ初シングル。
チェッカーズ解散へ向かう藤井フミヤがソロで放った最初の一打。木村拓哉も出演した月9ドラマの大ヒットと相乗し、ウェディングソングの定番としても長く愛された。
1993年11月3日リリース。フジテレビ系ドラマ『白鳥麗子でございます!』(第2シリーズ)エンディングテーマ。ダブルプラチナ。
『負けないで』『揺れる想い』でこの年を席巻したZARDの、秋のシングル。坂井泉水(さかいいずみ)の歌声と、ビーイング系サウンドが最も輝いていた時期の一曲。作曲は織田哲郎・栗林誠一郎。
1993年秋にリリースされた、マライア・キャリーのバラード。全米ビルボードで4週1位。日本でもアルバム『Music Box』の大ヒットとともに広く流れた。
アルバム『Music Box』は日本で220万枚以上を売り上げる特大ヒット。その中の『Hero』は、洋楽ラジオの定番として1993年秋から冬にかけて大量にオンエアされた、勇気を歌い上げる名バラード。
1993年は記録的な冷夏で米が大不足。9月30日に政府がタイ・中国・米国からの緊急輸入を発表した。店頭から米が消え、輸入されたタイ米のブレンド販売が話題になった。
冷夏による不作で、国産米が大幅に不足。スーパーや米屋から米が消え、買い占めも起きた。緊急輸入されたタイ米(細長いインディカ種)は炊き方や好みが合わず賛否を呼び、国産米とのブレンドが推奨された。食卓が政治と天候に揺さぶられた秋。
1993年9月27日、羽田空港(東京国際空港)の新しい国内線ターミナルビル(愛称『ビッグバード』)が開業。同日に東京モノレールの新駅も開業した。
当時の日本最大級の空港施設として、ガラス張りの大空間が話題になった。沖合展開で生まれ変わる羽田空港の象徴で、空の旅がより身近で快適なものになっていく時代の入口だった。
1993年10月11日放送開始のフジテレビ月9ドラマ。石田ひかり・筒井道隆の主演。木村拓哉が演じた取手治の“あすなろ抱き”が話題に。主題歌は藤井フミヤ『TRUE LOVE』。
柴門ふみ原作、北川悦吏子脚本の青春群像劇。平均視聴率27.0%。木村拓哉が背中から抱きしめる“あすなろ抱き”が流行語になり、当時SMAPの木村が一気に注目された。
1993年10月16日放送開始のテレビ朝日系アニメ。井上雄彦原作のバスケットボール漫画のアニメ化。Jリーグ開幕の年に、バスケットボール人気を押し上げた。
東映アニメーション制作。OPテーマは当初BAAD『君が好きだと叫びたい』、EDは大黒摩季『あなただけ見つめてる』。不良少年・桜木花道のバスケ青春物語が、お茶の間にバスケットボールブームをもたらした。
1993年10月10日放送開始のフジテレビ系番組。架空の『美食アカデミー』主宰役に鹿賀丈史。陳建一・道場六三郎・石鍋裕ら『鉄人』に挑戦者が同じ食材で対決する。
毎回テーマ食材を決め、鉄人と挑戦者が制限時間内に料理で勝負する斬新な形式が大ヒット。実況や審査の演出も話題になり、のちにアメリカでもリメイクされ国際的な人気を得た。秋の夜の新定番。
スティーヴン・スピルバーグ監督。日本公開は1993年7月17日で、興行収入128億5000万円の空前の大ヒット。秋以降もロングランが続いた。
本物のような恐竜をCGとアニマトロニクスで描き、映画の映像表現を一変させた。夏に公開され、秋になってもロングラン上映が続き、誰もが恐竜の話をした年だった。
1993年9月、スズキが初代ワゴンRを発売。車高の高いスクエアなボディで『乗り降りしやすく荷物が積みやすい』軽自動車として大ヒットし、新ジャンルを確立した。
それまでの軽自動車にはなかった背の高いデザインで、実用性が支持され爆発的に売れた。各社が追随し『軽トールワゴン』という一大ジャンルが生まれた。軽自動車の概念を変えた一台。
1993年頃、女子高生を中心にポケットベルが急速に普及。数字の語呂合わせで気持ちを伝える『ポケベル暗号』が広まり、制服を着崩す『コギャル』が注目され始めた。
ポケベルに数字を送り、語呂合わせ(0840=おはよう、4649=よろしく)で会話する文化が若者に定着した。都市部の女子高生『コギャル』が独自のファッションで注目を集め、のちのギャル文化の入口になった。携帯電話以前の、もどかしくも甘い連絡手段の時代。
1993年9月場所(秋場所)で、横綱・曙が14勝1敗で優勝。同年1月に外国出身力士として初めて横綱に昇進した曙が、その地位を不動のものにした。
ハワイ出身の巨漢・曙が、初の外国人横綱として土俵に君臨した時代。若き貴花田・若花田(のちの貴乃花・若乃花)との対決も人気を呼び、大相撲が大いに盛り上がっていた秋だった。
1993年10月28日、サッカーW杯アジア最終予選の最終戦・日本対イラク。後半ロスタイムに同点とされ2-2の引き分け、得失点差で3位となりW杯初出場を逃した。
三浦知良、中山雅史の得点で2-1とリードしながら、試合終了間際に追いつかれた。テレビ中継は深夜にもかかわらず高視聴率を記録。あと一歩で届かなかった夢は『ドーハの悲劇』と呼ばれ、日本サッカーの記憶に深く刻まれた。初出場は4年後の1998年フランス大会まで待つことになる。
1993年の日本シリーズでヤクルトスワローズが西武ライオンズを4勝3敗で破り、15年ぶりの日本一。MVPは川崎憲次郎。
野村克也監督の『ID野球』が結実した日本一。西武との接戦を制し、古田敦也ら若い選手が育ったチームが頂点に立った。秋の夜の、もうひとつのドラマだった。
1993年10月1日、シャープが液晶ペンコム「ザウルス」PI-3000を発売。価格は6万5000円、電池込み250グラムで、ペンによる手書き入力を売りにした携帯情報ツールだった。
電子手帳シリーズの後継として、ビジネスに必要な機能を1台に凝縮した新ジャンルの製品。オプションの外付けモデムでファクス送信もでき、1993年度のグッドデザイン賞を受賞した。ザウルスの名は恐竜を意味する「サウルス」に由来し、のちに日本のPDAを代表するブランドに育っていく。
フィリピン発祥のゲル状食品ナタデココが、1993年に日本で大ブーム。コリコリした食感とヘルシーなイメージで、ファミレスやスーパーのデザートに相次いで採用された。
デニーズのメニュー採用をきっかけに、1993年にマスコミで大きく取り上げられブームに。独特の歯ごたえとヘルシーさが受け、この年を象徴する食のトレンドになった。翌年以降のティラミス・パンナコッタへと続く、デザートブームの一つ。
1993年秋、JR東海が「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンを開始。翌1994年の平安遷都1200年に先駆けたスタートだった。
首都圏や中京圏から東海道新幹線で京都へ観光客を誘致するキャンペーンで、季節ごとの京都の名所を映像とキャッチコピーで紹介するスタイルが定着し、30年以上続く長寿シリーズとなった。紅葉や桜の美しい映像で、ふと旅に出たくなる気分を誘うCMとして愛された。
アサヒ飲料が1993年3月1日に発売した「お茶どうぞ 十六茶」のCMには小林聡美が初代キャラクターとして起用され、その後およそ10年にわたりCMに出演し続けた。
16種類の素材をブレンドした健康志向のお茶飲料として売り出され、食事に合う飲み物という提案が支持を集めた。小林聡美が軽妙な語り口で商品を紹介するCMは、発売の年から長く親しまれ、この秋も店頭やテレビで見かける定番飲料になっていた。
ここに並べたのは、1993年秋に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。
1993年 秋を聴く