ボーイズ II メン『End of the Road』、全米記録を塗り替えた1992年の洋楽
1992年6月リリース。映画『ブーメラン』サウンドトラック。全米ビルボードで13週連続1位という当時の新記録を樹立した。
作曲・プロデュースはベイビーフェイス(Babyface)ら。エルヴィス・プレスリーの記録を破る13週連続1位を達成。日本でも夏から秋にかけてFM・ラジオで広く流れた、R&Bコーラスの名バラード。
SUMMER · 1992
平成4年 · 6・7・8月 · 全 26 件
バブル崩壊が「複合不況」として誰の目にも明らかになり始めた一方、7月25日から8月9日までのバルセロナ五輪が日本を熱狂させた夏。14歳・岩崎恭子が競泳200m平泳ぎで金メダル、『今まで生きてた中で、一番幸せ』と語った。古賀稔彦・吉田秀彦の柔道、有森裕子のマラソン銀。テレビではTBS『ずっとあなたが好きだった』の“冬彦さん”がマザコンの代名詞として社会現象に。サザン『涙のキッス』が初のミリオン、米米CLUB『君がいるだけで』が年間1位、中島みゆき・小野正利もミリオンを記録。宮崎駿『紅の豚』が夏の映画館を満たし、スーパーマリオカートが発売された。五輪の高揚と不況の影が同居した夏。
この季節を、シンヤの声で聴く1992年6月リリース。映画『ブーメラン』サウンドトラック。全米ビルボードで13週連続1位という当時の新記録を樹立した。
作曲・プロデュースはベイビーフェイス(Babyface)ら。エルヴィス・プレスリーの記録を破る13週連続1位を達成。日本でも夏から秋にかけてFM・ラジオで広く流れた、R&Bコーラスの名バラード。
1992年7月18日リリースのシングル。7週連続オリコン1位、累計約155万枚でサザンオールスターズ初のミリオンセラー。TBS系金曜ドラマ『ずっとあなたが好きだった』主題歌。
作詞・作曲は桑田佳祐。桑田がドラマのために初めて書き下ろした楽曲で、“冬彦さん”ブームで話題のドラマと相乗して夏の大ヒットになった。同時発売の『シュラバ★ラ★バンバ』とオリコン1位・2位を独占したことでも知られる。
1992年7月1日リリース。オリコン2週1位、累計約108万枚。前年『SAY YES』に続くミリオンセラー。Panasonicのヘッドホンステレオのcmソング。
作詞・作曲はASKA。1991年の『SAY YES』の社会現象的ヒットの勢いそのままに、夏のバラードとして広く流れた。CHAGE and ASKAが絶頂期にあった夏の一曲。
1992年7月1日リリース。TBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』エンディングテーマ。
毎夏ヒットを届けるTUBEの、1992年夏の代表曲。前田亘輝のボーカルと春畑道哉の作曲による、海と夏のイメージそのもののバラード系ナンバー。
1992年7月29日リリース。フジテレビ系ドラマ『親愛なる者へ』主題歌(中島みゆき自身も出演)。中島みゆき初のミリオンセラー。
作詞・作曲は中島みゆき。『涙のキッス』の後ろで4週連続2位をキープし、シングルチャートで目立たなかった中島みゆきがポップス層に広く届いた一枚になった。
1992年8月1日リリース。フジテレビ月9『君のためにできること』主題歌。ミリオンセラーを記録し、第43回NHK紅白歌合戦に初出場した。
突き抜けるようなハイトーンボイスが話題になった。吉田栄作主演の月9ドラマの主題歌として夏から秋にチャートを駆け上がった、小野正利自身唯一のミリオンセラー。
1992年8月5日リリースの4枚目のシングル。テレビ朝日系のワイドショー『トゥナイト』などのタイアップで認知が広がった。
プロデュースは長戸大幸、作曲は織田哲郎。翌1993年1月の『負けないで』大ブレイクの直前作で、坂井泉水(さかいいずみ)の透明感ある歌声が深夜のテレビと夏の空気に溶けた、Being系サウンド台頭を告げる一曲。
1992年2月末に全米ビルボード4週連続1位。日本でも1992年を通して大ヒットしたアコースティック・バラード。
ハードロックバンドが見せたアコースティックな一面。ボーカルのエリック・マーティンが若い頃の実体験で書いた曲で、Mr. Big最大のヒット。日本で特に人気が高く、90年代を代表する洋楽バラードとして親しまれた。
1992年5月4日リリース。オリコン6週連続1位、年間1位、累計約289万枚。初動約92万枚は当時の歴代最高。フジテレビ月9『素顔のままで』主題歌。
5月リリースだが、ドラマ『素顔のままで』(中山美穂・安田成美)の高視聴率とともに夏まで売れ続けた。カールスモーキー石井のボーカルとコミカルなステージで国民的人気を得た米米CLUB最大のヒット。
1992年5月27日リリースの10枚目のシングル。オリコン1位、年間3位、累計約176万枚。カルビー「ポテトチップス」CMソング。
作詞・稲葉浩志(いなばこうし)、作曲・松本孝弘。連続ミリオンを更新し続けていたB'zの、夏に向けたアッパーチューン。ポテトチップスのCMで広く流れた。
1992年7月1日、東京〜山形を結ぶ山形新幹線が開業。在来線を改軌して直通する日本初の「ミニ新幹線」方式で、400系「つばさ」が走った。
福島から先は在来線の線路の幅を新幹線に合わせて直通させる新方式。東京と山形が一本で結ばれ、所要時間が大きく縮まった。地方と都市を近づけた、夏の出来事だった。
1992年7月3日放送開始のTBS金曜ドラマ。主演・賀来千香子。佐野史郎演じるマザコン男「冬彦さん」が流行語になり、最終回視聴率34.1%を記録した。
母に依存する夫・冬彦の不気味さが話題を呼び、『冬彦さん』はマザコン男の代名詞になった。主題歌はサザン『涙のキッス』。その年の新語・流行語大賞の流行語部門で金賞を受賞した。
1992年3月放送開始のテレビ朝日系アニメ。武内直子原作。夏以降にキャラクター玩具が爆発的に売れ、女児の変身ヒロインブームを巻き起こした。
放送当初は苦戦したが、夏にかけて玩具が大ヒットして社会現象になった。OPテーマ『ムーンライト伝説』も親しまれ、少女向けアニメの新しい潮流を作った作品。
1992年7月放送開始のフジテレビ月9ドラマ。吉田栄作主演。主題歌は小野正利『You're the Only…』。
映画『ゴースト』に着想を得たラブファンタジー。トレンディドラマ全盛期の夏の月9枠で、吉田栄作の人気を支えた。大塚寧々の女優デビュー作でもある。
1992年7月18日公開のスタジオジブリ作品。興行収入54億円。アニメーション映画として初めて年間興行収入1位を記録した。
飛行艇乗りの『ポルコ・ロッソ』を森山周一郎が演じ、加藤登紀子がマダム・ジーナ役と主題歌『時には昔の話を』を担当。大人の渋さと哀愁が漂う、ジブリ作品の中でも異色の一作。夏の映画館の記憶。
1992年7月11日日本公開。ティム・バートン監督、マイケル・キートン主演。ミシェル・ファイファーのキャットウーマン、ダニー・デヴィートのペンギンが共演した。
1989年『バットマン』の続編。ティム・バートンらしい退廃的でゴシックな世界観が際立った。夏の洋画大作として話題になり、関連グッズも人気を呼んだ。
1992年7月27日、バルセロナ五輪の競泳女子200m平泳ぎ決勝で、14歳の岩崎恭子が2分26秒65の五輪新記録で金メダル。競泳史上最年少の五輪金メダリストになった。
静岡出身の中学生が、56年ぶりの日本人女子競泳金メダルを獲得。レース直後の『今まで生きてた中で、一番幸せです』というコメントが、その年の流行語になった。バルセロナの夏を象徴する瞬間だった。
1992年7月、バルセロナ五輪の柔道男子71kg級で、左ひざを負傷した古賀稔彦が金メダル。前後して吉田秀彦(78kg級)も金メダルを獲得した。
大会直前の練習で左ひざ靭帯を痛めながら、痛み止めを打って出場し優勝。『平成の三四郎』と呼ばれた技の切れと執念が日本中を感動させた。盟友・吉田秀彦との連日の金メダルだった。
1992年7月25日、スペインでバルセロナ五輪が開幕(〜8月9日)。日本は金3・銀8・銅11の計22個のメダルを獲得した。
時差の関係で連日深夜に競技中継があった。岩崎恭子の金、柔道の古賀・吉田、有森裕子のマラソン銀など日本選手の活躍に沸いた。バブル後の不況感の中で、純粋に熱くなれた2週間だった。
1992年8月、バルセロナ五輪の女子マラソンで有森裕子が2位、銀メダル。日本女子陸上では1928年以来64年ぶりの五輪メダルだった。
終盤までトップ争いを演じての銀メダルで、日本の女子マラソン黄金期の幕開けを告げた走りだった。4年後のアトランタでは銅メダルと『自分で自分を褒めたい』の名言を残す。
1992年8月16日、夏の甲子園2回戦で、明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜を5打席連続で敬遠した。賛否を呼んだ語り草の一戦。
高校屈指の強打者・松井を全打席歩かせる作戦に球場は騒然となった。試合は明徳義塾が勝利。『勝つこと』と『正々堂々』をめぐる議論を残し、のちにメジャーまで行く松井の伝説の序章になった。
富士フイルムのレンズ付フィルム「写ルンです」が夏の行楽の定番に。1991年には水深3メートルまで使える防水タイプと、世界初のフラッシュ内蔵パノラマ「パノラミックFlash24」が登場し、1992年夏にはラインナップが出揃っていた。
写ルンです自体の発売は1986年7月。以後フラッシュ付き・望遠・防水・パノラマと商品展開が続き、1991年に「レンズ付フィルム」が統一呼称とされた。海水浴や旅行に一つ持って行き、撮り終えたら本体ごと現像に出すスタイルが、この頃の夏の記録の定番だった。
1992年8月27日、任天堂がスーパーファミコン用『スーパーマリオカート』を発売。国内約382万本を売る大ヒット。マリオカートシリーズ第1作。
マリオたちがゴーカートで競う、2人同時プレイのレースゲーム。友達と画面を分け合って遊ぶ対戦が新鮮で、シリーズ化される人気フランチャイズの原点になった。
1992年頃、アジアンスイーツ人気とともにタピオカが日本で第1次ブームに。当時は白く小粒で、ココナッツミルクに入れるデザートが主流だった。
後年のドリンク型とは違い、白い小粒のタピオカをデザートとして食べるスタイル。エスニック料理ブームの一環で、おしゃれな喫茶店やレストランに並んだ。バブルの余韻が残る食の流行。
1992年、大塚製薬ポカリスエットのCMに15歳の新人、一色紗英が起用された。CMソングは織田哲郎の「いつまでも変らぬ愛を」。
一色紗英のポカリスエットCM出演は1992年から1994年までの3年間で、透明感のある姿がブランドイメージにぴったりと評された。1992年版は複数パターンが制作された。後年まで「伝説のポカリCM」として語り継がれるシリーズの始まりだった。
サントリーの缶コーヒー「BOSS」が1992年8月27日に発売され、矢沢永吉が「しがないサラリーマン」を演じ「まいったなあ」とつぶやくCMシリーズが話題となった。
「働く人の相棒」をコンセプトに開発された缶コーヒーで、大物ロックスターの矢沢永吉があえてくたびれたサラリーマン役を演じるギャップがCMの見どころだった。このCMシリーズは発売後、約6年にわたり続いた。
ここに並べたのは、1992年夏に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。
1992年 夏を聴く