ASKA『はじまりはいつも雨』、松下のCMから生まれたソロ最大のヒット
1991年3月6日リリースのASKAソロ3枚目のシングル。じわじわ伸びて9月にミリオン到達、累計約116万枚、1991年の年間5位。松下電器のコンポ『half』のCMソング。
作詞・作曲は飛鳥涼(ASKA)。当初アルバム収録予定だったが、CMで使われて問い合わせが殺到し急きょシングル化された。CHAGE and ASKAの活動と並行した、ASKA名義での最大のヒット。雨の季節に静かに沁みていく、春のバラード。
SPRING · 1991
平成3年 · 3・4・5月 · 全 27 件
バブル経済の絶頂がついにピークを越え、崩壊が静かに認識され始めた三ヶ月。2月末に湾岸戦争が終わった安堵と、3月に落成した『バブルの塔』新都庁舎が同居した。フジの月9『東京ラブストーリー』が3月に幕を閉じ、小田和正『ラブ・ストーリーは突然に』が春を席巻、ASKA『はじまりはいつも雨』が雨の季節に響いた。B'zが初のミリオンへ駆け出し、大相撲では18歳の貴花田が春場所で旋風を起こし、5月には千代の富士が引退して一時代が終わる。ストリートファイターIIがゲームセンターを熱狂させ、5月15日にはジュリアナ東京が開店——崩壊の入口で、まだ宴は続いていた春。
この季節を、シンヤの声で聴く1991年3月6日リリースのASKAソロ3枚目のシングル。じわじわ伸びて9月にミリオン到達、累計約116万枚、1991年の年間5位。松下電器のコンポ『half』のCMソング。
作詞・作曲は飛鳥涼(ASKA)。当初アルバム収録予定だったが、CMで使われて問い合わせが殺到し急きょシングル化された。CHAGE and ASKAの活動と並行した、ASKA名義での最大のヒット。雨の季節に静かに沁みていく、春のバラード。
1991年3月27日リリースのB'z 8枚目のシングル。オリコン週間1位、累計約117万枚で、B'z初のミリオンセラー。カネボウ化粧品の'91夏イメージソング。
作詞・稲葉浩志、作曲・松本孝弘。この曲からB'zの13作連続ミリオンという記録が始まった。1990年の無名デビューから約3年で、日本を代表するロックユニットへ駆け上がっていく、その本格的なブレイクの一曲。
1991年3月リリース。アメリカのロックバンド、エクストリームのバラードで、6月にビルボードHot 100の1位に到達。日本でもこの年の洋楽の代表曲になった。
作詞・作曲はヌーノ・ベッテンコートとゲイリー・シェローン。アコースティックギター2本だけというシンプルな編成で、ハードロックやグランジが渦巻く時代に、かえって際立った。当時のラジオから流れていた、春から初夏の名バラード。
1991年4月25日リリースの両A面シングル。オリコン週間1位を獲得し、ドリカムにとってシングルとして初の週間1位になった。『Eyes to me』は富士フイルムのCMソング。
作詞・吉田美和、作曲・中村正人。前年の『笑顔の行方』でのブレイクから、ついにシングルで頂点に立った。この勢いのまま、秋のアルバム『MILLION KISSES』が大ヒットし、ドリカムは国民的バンドへと駆け上がっていく。
1991年4月26日リリースの13枚目のシングル。オリコン最高2位。
作詞・夏目純、作曲・NOBODY。ローラースケートで一時代を築いた光GENJIだが、この頃はSMAPやKinKi Kidsなど次の世代が動き出していた、ジャニーズの過渡期。その春の一枚。
1991年5月10日リリースの11枚目のシングル。オリコン週間1位。これがプリンセス プリンセスにとって最後のオリコン週間1位作品になった。サントリー『紅茶の樹』のCMソング。
作詞・富田京子と中山加奈子、作曲・奥居香。『ダイアモンド』『世界でいちばん熱い夏』で時代を作った女性バンドが、翌1992年に解散を宣言する。その栄光の終盤に放たれた、最後の1位だった。
1991年5月15日リリースの13枚目のシングル。オリコン週間1位。
作詞・三浦徳子、作曲・後藤次利。アルバム『mind Universe』の収録曲をシングルとして切り出したもの。後藤次利との黄金コンビで、工藤静香がトップを走り続けていた時期の一曲。
1991年2月6日リリース(『Oh! Yeah!』との両A面)。春にかけて7週連続オリコン1位、1991年の年間1位、累計約270万枚。フジテレビ系ドラマ『東京ラブストーリー』主題歌。
作詞・作曲は小田和正。オフコース解散後のソロ名義で初のミリオンになった。ドラマ『東京ラブストーリー』(1月〜3月放送)の社会現象とともに爆発的に広がり、初週74万枚は当時のオリコン史上最高初動。「月9ドラマ×主題歌」で大ヒットが生まれる方程式を決定づけた、この春の象徴的な一曲。
1991年2月リリース。スウェーデンの男女デュオ、ロクセットの曲で、アメリカやヨーロッパの多くの国で1位になった。この春、日本でもチャート上位に入った。
作詞・作曲はペール・イェソンとマリー・フレドリクソン。映画『プリティ・ウーマン』の主題歌『It Must Have Been Love』(1990年)に続くヒットで、明るく弾むポップが春の空気に合った一曲。
1991年6月10日リリースの3枚目のシングル。7月にオリコン週間1位、累計約170万枚、1991年の年間4位。映画『就職戦線異状なし』の主題歌。
作詞・作曲・編曲は槇原敬之。バブル崩壊直前の就職活動を描いた映画とともに、新生活へ踏み出す人たちのアンセムになった。シングル3作目にして初のミリオン。発売は6月だが、この春に新社会人になった世代の心情と分かちがたく結びついた一曲。
バブル景気の景気の山は1991年2月とされる。株価は1989年末の史上最高値からすでに下落しており、この春、「バブル崩壊」という言葉が一気に世に広まり始めた。
日経平均は1989年末の3万8915円から下がり続け、1991年春は2万4000円前後。地価も都市部で下落に転じ始めた。まだ「不景気」と断言されてはいないが、「なんだか雲行きが怪しい」という不安が、都会のビジネスパーソンの間に滲み始めていた。賑わいとほころびが同居した、独特の春。
1991年3月9日、丹下健三設計・高さ243メートルの新東京都庁舎が西新宿に落成した。建設費は約1569億円。4月1日に都庁が移転した。
当時日本一の高さを誇った超高層ビルで、その豪華さから「バブルの塔」「タックス・タワー」とも揶揄された。バブルの絶頂期に計画・建設されたものが、まさに崩壊の入口で完成した。時代の象徴のような建物が、この春の新宿の空に立った。
1991年4月1日、牛肉とオレンジの輸入自由化が発効した。1988年の日米合意を受けたもので、小売価格が下がり、輸入牛肉や輸入オレンジが家庭の食卓に浸透し始めた。
長年の日米貿易摩擦の決着として、外国産の肉や果物が近所のスーパーで手軽に買えるようになった。安い輸入牛肉が並ぶ一方で、国内の畜産農家やみかん農家には不安が広がった。生活の足元が静かに変わっていった春。
1991年2月28日、多国籍軍の勝利で湾岸戦争が終結した。日本は130億ドルの資金援助をしたが戦闘員を出さず、「小切手外交」という国際的な批判も受けた。
テレビの戦争中継を毎日見ていた日本に、春は「戦争が終わった」という安堵をもたらした。一方で、「日本は国際社会に何ができたのか」という議論が始まった春でもあった。遠い戦争の終わりと、足元の問い直しが重なっていた。
1991年4月8日放送開始のフジテレビ系・月9ドラマ。主演は浅野ゆう子。『東京ラブストーリー』の後の月9枠で、デビュー直後のSMAPの中居正広・稲垣吾郎が生徒役で出演した。
学校を舞台にした群像劇で、主題歌はチェッカーズが手がけた。後に国民的グループになるSMAPのメンバーが学生役で映っており、今見ると『SMAP前夜』の貴重な記録になっている。トレンディドラマ全盛の春の月9。
1991年4月19日放送開始のTBS系ドラマ。田村正和が父、小泉今日子が娘を演じた。主題歌の小泉今日子『あなたに会えてよかった』は約158万枚の大ヒットになった。
嫁ぐ日を控えた娘と父の絆を描いたホームドラマ。小林武史がプロデュースした主題歌『あなたに会えてよかった』がドラマ以上に語り継がれ、この年のレコード大賞でゴールドディスク賞を受賞した。浜田雅功が娘の婚約者役で出演。
1991年4月11日放送開始のTBS系アニメ。原作は森下裕美。小学生のアシベと、白いゴマフアザラシの『ゴマちゃん』の日常を描いた。
ほのぼのとした日常コメディで、ゴマちゃんの愛らしさが子どもから大人まで人気を集めた。のちにリメイクもされる長寿コンテンツの原点。バブル期の終わりの、温かく庶民的な空気を映したアニメだった。
1991年1月放送開始のNHK大河ドラマ。真田広之が足利尊氏、武田鉄矢が楠木正成を演じた。平均視聴率26.0%・最高34.6%で、この年の最高視聴率ドラマ。春も放送中だった。
南北朝時代を正面から描いた初めての大河ドラマ。真田広之の尊氏、武田鉄矢の正成、柳葉敏郎の佐々木道誉らが入り乱れる権力闘争を描いた。当時10代の宮沢りえも出演し話題に。日曜の夜、多くの茶の間がこの歴史絵巻を観ていた春。
1991年3月9日公開の映画ドラえもんシリーズ第12作。千夜一夜物語(アラビアンナイト)の世界を冒険する物語。配給収入は約20億円。
毎年3月の春休みに公開される映画ドラえもんは、この時代の子どもたちの春の定番だった。家族で映画館に出かけ、大長編のドラえもんを観る。春休みのにおいとセットの記憶として残っている一作。
1991年5月15日、東京・芝浦にディスコ『ジュリアナ東京』が開店した。お立ち台、ボディコン、ワンレン、ユーロビート——1990年代前半のポップカルチャーを象徴する場所になった。
景気がピークを越えた直後の開店にもかかわらず、若者を中心に大流行した。お立ち台で扇子を振って踊る光景は、後年まで『バブルの象徴』として語り継がれる。だが実際にはバブルが崩れ始めた後に生まれた、いわば『宴の名残』だった。1994年まで続いた。
1991年3月の大相撲春場所で、18歳の貴花田(のちの横綱・貴乃花)が初日から11連勝するなど12勝3敗の好成績を挙げ、史上最年少で敢闘賞と技能賞を同時受賞した。
前頭の下位から平幕で11連勝は27年ぶりの快挙で、若き天才の登場に土俵が沸いた。この春場所の優勝は横綱・旭富士だったが、話題をさらったのは貴花田。2か月後の夏場所での千代の富士撃破・引退劇への、大きな伏線になった。
1991年5月14日、夏場所3日目に横綱・千代の富士が引退を表明した。前々日に18歳の貴花田に敗れて金星を献上し、3日目も敗れて即日の決断だった。
通算31回の優勝を誇った『ウルフ』が、「体力の限界、気力もなくなり引退することになりました」と涙ながらに会見した。若い貴花田に敗れての引退は、世代交代を鮮やかに示す出来事だった。一つの時代が、この春に静かに幕を下ろした。
1991年4月、NTTが超小型携帯電話「mova(ムーバ)」を発売。重さ約230グラム・体積約150ccと当時世界最小・最軽量クラスで、発売前に約5万件の申し込みが殺到した。
モトローラの小型機マイクロタックに対抗し、NEC・松下・三菱・富士通の4社体制で開発された端末で、従来機より体積38%減・重量36%減を実現した。人気が過熱して供給が追いつかず、発売が4月下旬にずれ込むほどだった。肩掛けのショルダーホンの時代から、手のひらに載る携帯電話へと変わっていく入り口だった。
1991年3月7日、カプコンの対戦格闘ゲーム『ストリートファイターII』がアーケードで稼働開始した。8人のキャラから選んで対戦する『対戦台』が新しく、社会現象的な大ヒットになった。
見知らぬ相手と隣り合って戦う対戦台の文化が生まれ、各地のゲームセンターに長い行列ができた。波動拳・昇龍拳といった必殺技が子どもたちの合言葉になり、格闘ゲームブームの号砲となった。のちのeスポーツの原点とも言われる。
1991年2月1日にカルピス食品工業から発売された「カルピスウォーター」が、薄めずそのまま飲める手軽さで爆発的ヒット。発売2か月後の4月からテレビCMが始まり、9月末までに1250万ケースを突破した。
それまで原液を水で割って飲むものだったカルピスを、そのまま飲めるペットボトル・缶飲料にした商品。発売初年度から出荷が急拡大し、1991年のヒット商品番付にも名を連ねた。自動販売機やコンビニで手軽に買える「懐かしいのに新しい」飲み物として、若者から家族層まで幅広く浸透した。
武田薬品のドリンク剤「アリナミンV」のCMにアーノルド・シュワルツェネッガーが「魔人V」役で出演。「ちちんブイブイ、だいじょーブイ」のフレーズが流行語になった。
シュワルツェネッガーの起用は1990年で、コミカルにはじける姿が話題を呼び、1991年にかけてお茶の間の人気CMとなった。ハリウッドの大スターが日本のCMで体を張って笑いを取る様子は、当時の日本のCM景気を象徴する光景だった。
キリンビバレッジの微炭酸果汁飲料「シャッセ」のCMに観月ありさが起用され、CM曲「伝説の少女」(1991年5月15日リリース)とともに話題になった。
キリンビールから飲料事業が独立して発足したキリンビバレッジの主力商品としてシャッセが売り出され、当時デビューしたばかりの観月ありさを起用したCMが評判となった。CM曲「伝説の少女」がそのまま観月ありさの歌手デビュー曲にもなっている。
ここに並べたのは、1991年春に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。
1991年 春を聴く