12月
KAN『愛は勝つ』、年末から年明けに大爆発した8週連続1位
1990年9月1日リリース、KAN 8thシングル。FM802のヘヴィー・ローテーションがきっかけで火がつき、冬に8週連続オリコン1位、累計約201万枚、1991年第33回日本レコード大賞受賞。
もともとはアルバム『野球選手が夢だった。』収録曲だったものが、フジテレビ系『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の挿入歌に使われたことで爆発的にヒット。「心配ないからね 君の想いが 誰かに届く」のサビが日本中で歌われた冬。湾岸戦争のニュース速報の合間に流れる年末年始の音風景の中心。1991年末の第42回紅白歌合戦に初出場、心は半泣きだったとKAN自身が後に語っている。
12月
サザンオールスターズ『真夏の果実』、夏から冬までずっと聞こえていた稲村ジェーン
1990年7月25日リリース、サザンオールスターズ28thシングル。桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』主題歌、累計約55万枚、年末から年始までずっと流れたロングヒット。
桑田佳祐の初監督作品『稲村ジェーン』の主題歌が、夏のリリースから冬までずっと有線・カラオケで定位置を保った。「四六時中も好きと言って 夢の中へ連れて行って」のメロディーは、忘年会・年越し・新年会のカラオケ定番で、KAN『愛は勝つ』と並んで90年冬の音風景の中心。映画自体は批評賛否あったが、楽曲は完全に独立して日本人の冬の記憶に定着した。
12月
PRINCESS PRINCESS『ジュリアン』、11月21日リリースが冬チャートを駆け抜けた
1990年11月21日リリース、PRINCESS PRINCESS 10thシングル。前年の『Diamonds』『世界でいちばん熱い夏』のミリオンに続く女性バンドの絶頂期にあたる冬の一枚。
岸谷香(当時:奥居香)・中山加奈子・富田京子・今野登茂子・渡辺敦子の5人が完全にスター化した時期で、女性バンドという形そのものが90年代J-POPの主流に組み込まれていく入り口。秋のリリースから冬の音楽特番・カラオケで繰り返し演奏された。Mr.Childrenでもglobeでもまだ世に出る前、PRINCESS PRINCESSがJ-POP女性アーティストの代表格だった時代の冬。
12月
Wink『Sexy Music』、89年末リリースが90年冬もまだ流れていた
1989年11月8日リリース、Wink 6thシングル、累計約81万枚。寺尾聰の曲ではなくBananaramaのカバー。1990年通して有線・テレビ歌番組の常連。
相田翔子と鈴木早智子の無表情パフォーマンスが90年代初頭のアイドル文化の特異点。前年の『淋しい熱帯魚』のレコード大賞受賞の余韻もあり、1990年冬の歌番組では必ずトリのほうで歌っていた。後にAKB48・モー娘。が引き継ぐ『女性ユニット』の系譜の原点に近い位置を持つアーティストの全盛期。
12月
米米CLUB『Shake Hip!』、89年リリースが90冬まで残ったブラスサウンド
1989年7月10日リリース、米米CLUB 9thシングル。累計約46万枚、米米CLUB初期の代表曲。1990年通してテレビバラエティ・ライブで定番演奏された曲。
石井竜也のステージパフォーマンスと米米CLUBのブラスセクションが完成期に入った時期の代表曲。90年冬時点で米米CLUBはアルバムツアーで全国を回り、テレビ歌番組・年末特番でも引っ張りだこ。1992年の『君がいるだけで』289万枚へ向けた助走期間にあたる冬。
12月
B'z『LADY-GO-ROUND』、秋リリースが冬まで残った松本×稲葉
1990年10月24日リリース、B'z 5thシングル、累計約36万枚。前作『太陽のKomachi Angel』のミリオンに続く秋から冬のヒット。
稲葉浩志・松本孝弘のコンビが完全に売れる軌道に入った時期の作品。アルバム『RISKY』(1990/11/21リリース)からの先行シングルで、後の『LOVE PHANTOM』『ねがい』に繋がるB'z王道路線の確立期。冬のFMロック番組・カラオケで男性が高音シャウトを真似する原型がここにあった。
12月
TM NETWORK『RHYTHM RED』、小室哲哉が次の10年へ向けて尖った
1990年5月10日リリース、TM NETWORK 7thオリジナルアルバム『RHYTHM RED』。ハードロック・ヘヴィメタル路線で、それまでのデジタル・ポップから大きく転換。
小室哲哉・宇都宮隆・木根尚登のTM NETWORKが、80年代のシンセポップ路線を一度壊して、ハードロックに振った話題作。1990年冬時点ではアルバムツアー終盤で、TMNとして大きな転換期。後の小室哲哉が90年代J-POPプロデューサーとして爆発する手前の助走期間にあたる。
12月
CHAGE&ASKA、1991年に向けた『SAY YES』前夜の冬
1990年冬時点のCHAGE&ASKAはアルバム『TREE』(1991年5月15日リリース)の準備期。1991年7月の『SAY YES』282万枚の大ヒットに向けた助走時期。
ASKAとCHAGEのふたりが、80年代のフォーク・ニューミュージック路線から90年代のJ-POP王道へ移行する直前の冬。年末年始のレコード会社の方針会議で『SAY YES』が次の柱になることが固まり、冬の間にレコーディングが進んでいた時期。日本中の歌好きにとって『恋人になる前の』CHAGE&ASKAの最後の冬だった。
12月
光GENJI、年末紅白の人気枠と『太陽がいっぱい』のロングヒット
1990年8月21日リリースの光GENJI 14thシングル『太陽がいっぱい』が冬まで継続ヒット。第41回紅白歌合戦で光GENJIは1988年から3年連続出場。
諸星和己・大沢樹生・佐藤敦啓らが在籍した光GENJIが、80年代アイドル王道の最終期で年末紅白の人気枠を保っていた冬。1988年『パラダイス銀河』の大ブレイクから3年、徐々にメンバーがソロ活動を視野に入れ始めた時期で、グループとしての光GENJIの黄金期の終盤にあたる冬。
12月
Mariah Carey『Love Takes Time』、デビューアルバムから3週連続1位
1990年9月11日リリース、Mariah Carey 2ndシングル。ビルボードHot 100で11月から12月にかけて3週連続1位、Mariahの2曲目のNo.1。
1990年6月リリースのデビューアルバム『Mariah Carey』からの2ndシングル。前作『Vision of Love』(8月4週連続No.1)に続いて秋から冬にかけてNo.1を獲得し、デビューイヤーで一気にスーパースターの地位を確立した。日本でもFM夜の番組で繰り返しオンエアされ、洋楽好きの大学生・社会人にとって90年冬の象徴的な1曲。
12月
Madonna『Justify My Love』、12月のNo.1とMV放送禁止騒動
1990年11月6日リリース、Madonna『The Immaculate Collection』からの新曲シングル。ビルボードHot 100で12月から1991年1月にかけて2週連続1位。
Lenny Kravitz共同プロデュースで、ささやき声を多用したスポークン・ワード路線。エロティックなミュージックビデオがMTVで放送禁止になる騒動の中でリリースされ、その挑発性を含めて90年代Madonnaの新しい方向性を予告した曲。日本でもMTV系番組と洋楽FMで取り上げられ、Madonnaがロック・スターから現代アート寄りのアイコンへ移行する冬の入り口にあった。
12月
Whitney Houston『I'm Your Baby Tonight』、12月のNo.1
1990年9月25日リリース、Whitney Houstonアルバム『I'm Your Baby Tonight』タイトル曲。ビルボードHot 100で12月1日付で1位獲得、Whitneyの8曲目のNo.1。
L.A.リード・ベイビーフェイス・プロデュースで、それまでの『The Greatest Love of All』『Where Do Broken Hearts Go』のバラード路線から、R&Bダンス路線へ振った新しい方向性。冬の洋楽FMで定位置を保ち、後の『I Will Always Love You』(1992)へ向けた躍進期。
12月
Stevie B『Because I Love You (The Postman Song)』、年越しの4週No.1
1990年9月リリース。ビルボードHot 100で12月8日から4週連続1位、年越しを跨ぐNo.1ヒット。
フリースタイル系の男性シンガーStevie Bが、メロディアスなバラードで突然の大ヒット。前後の『Justify My Love』『Love Takes Time』と並んで90年冬の洋楽FMの定番曲のひとつ。クリスマス・年越し・バレンタインのラブソング枠で繰り返し流れた、いわゆる『ワンヒット・ワンダー』に近い扱いの曲。
12月
C+C Music Factory『Gonna Make You Sweat (Everybody Dance Now)』、冬のクラブ・アンセム
1990年10月リリース。ビルボードHot 100で1991年1月から1位獲得、世界中のクラブ・スポーツアリーナのアンセムとして使われ続けるダンス・ナンバー。
ロバート・クライヴィレスとデヴィッド・コールのプロデュース・チームによる、フリーダム・ウィリアムズのラップとマーサ・ウォッシュのパワフルなボーカルが組み合わさったハウス・ダンス曲。クラブ・運動会・スポーツ中継のBGM・テレビCMで90年代を通して使われ続ける『社会的フレーズ』化した1曲の登場期。冬のディスコ・テクノパーティーで必ずかかった。
12月
THE BLUE HEARTS『BUST WASTE HIP』、6thアルバム
1990年9月19日リリース、THE BLUE HEARTS 4thオリジナルアルバム『BUST WASTE HIP』。『情熱の薔薇』を収録し、累計約100万枚超のミリオン。
甲本ヒロト・真島昌利らのTHE BLUE HEARTSが90年代の入り口で出した代表的アルバム。冬のFMロック番組・大学のサークル・カラオケの男声合唱パートで定番。後のハイロウズ・クロマニヨンズへ繋がる甲本ヒロトの活動の中期にあたる時期で、若者文化の精神的支柱としてのバンド像が完成していた冬。
12月
JUN SKY WALKER(S)『白いクリスマス』、Panasonicのラジカセから流れた冬の1位
1990年11月リリース、シングル。Panasonicのラジカセのキャンペーンソングで、バンドにとって唯一のオリコン週間1位を記録した。
バンドブームを牽引したジュンスカが、家電のCMに乗せて取った唯一の週間1位。爽やかなポップロックが冬のイメージと重なり、年末のパーティーやラジオでよく流れた、バンドブーム期の到達点のひとつ。
12月
酒井法子『イヴの卵』、クリスマスを前に届いた冬のアイドルポップ
1990年11月21日リリース、シングル。オリコン最高10位。
『のりピー』の愛称で全盛期にあった酒井法子が、クリスマスを前にした冬の恋を歌った1曲。アイドル文化がまだ華やかだった時期の、年の瀬の街によく似合うポップ。
12月
LINDBERG『MEN'S TALK』、秋の連続リリースを締めくくった1曲
1990年11月21日リリース、シングル。オリコン初登場4位、累計約17万枚。
渡瀬マキのボーカルで女性層をつかんだLINDBERGが、1990年秋の連続リリースの最後に放った1曲。ドリカム・Winkらと同日発売の激戦の中で4位に食い込み、バンドブーム期の勢いを冬まで持ち込んだ。
12月
徳永英明『壊れかけのRadio』、ドラマとともに1990年を通じて流れ続けた
1990年7月リリース、シングル。TBS系ドラマ『季節はずれの海岸物語』関連で徳永本人も出演し、夏から年末まで長くチャートに残ったロングヒット。累計約37万枚。
徳永英明が自ら作詞・作曲した、ラジオを聴いて育った少年の記憶を描いた1曲。夏に出てから時間をかけて広がり、1990年を通じて流れ続けた、彼の代名詞のような曲。冬のラジオの夜にも似合う、世代を超えて歌い継がれる名曲。
12月
中森明菜『Dear Friend』、約1年ぶりの復帰を告げた初登場1位
1990年7月リリース、シングル。タイアップなしで初登場1位、累計約55万枚。約1年3か月ぶりの活動再開作で、この年の年間6位に入り冬まで聴かれ続けた。
長い休止を経て中森明菜が約1年ぶりに発表した復帰シングル。タイアップなしでも初登場1位を取り、年間6位のロングランで1990年の後半から年末まで流れ続けた、歌姫の健在を示した1曲。
12月
SHOW-YA『限界LOVERS』で知られる女性バンドの90年の到達点『ギャンブリング』
1990年リリース、シングル。寺田恵子をボーカルに擁する女性ハードロックバンドの作品で、第1期の末期にあたる。
『限界LOVERS』で知られる女性ハードロックバンドSHOW-YAが、バンドブーム末期に放った1曲。寺田恵子のパワフルな歌声で女性ロックの草分けとして存在感を放っていたが、翌1991年に寺田が脱退し第1期が幕を閉じる、その直前の作品。
12月
Chris Isaak『Wicked Game』、映画『ワイルド・アット・ハート』から火がついた妖艶なバラード
1990年末から全米で再浮上し、1991年初頭にビルボードHot 100で6位。デヴィッド・リンチ監督の映画で使われ、白黒のビーチのMVがMTVで話題になった。
リバーブの効いたギターとファルセットが醸す、夢のように妖しいバラード。デヴィッド・リンチの映画とモデルが出演するMVで火がつき、1990年末から1991年初頭の日本のFMでも繰り返し流れた、夜に似合う1曲。
12月
Enigma『Sadeness (Part I)』、グレゴリオ聖歌とテクノを混ぜた衝撃
1990年10月リリース、欧州を中心に世界14か国で1位。ビルボードHot 100でも最高5位。アルバム『MCMXC a.D.』は世界的なヒットになった。
グレゴリオ聖歌のサンプリングに囁き声とテクノのビートを重ねた、それまで誰も聴いたことのないサウンド。日本でもFMやCM、カフェのBGMとして流れ、ニューエイジ/アンビエントの空気を一気に広めた1990年末の話題作。
12月
Londonbeat『I've Been Thinking About You』、甘く弾けたユーロダンス
1990年リリース、1991年初頭にビルボードHot 100で1位。日本でも8cmシングルが発売され、FMで流れた。
イギリス出身の多国籍バンドによる、ユーロビートとR&Bを溶かした軽快なダンスポップ。1990年末から1991年にかけて全米No.1を取り、日本のFMやディスコでも親しまれた冬のダンスナンバー。
1月
CHAGE&ASKA『太陽と埃の中で』、カップヌードルのCMから朝に流れた
1991年1月30日リリース、26thシングル。日清『カップヌードル』のCMソング、フジテレビ系『TIME3』エンディング。累計約50万枚。
『SAY YES』で爆発する数か月前、CHAGE&ASKAがカップヌードルのCMと朝のワイドショーのエンディングで茶の間に届けた1曲。約10年ぶりの50万枚突破で、この後の二人の大ブレイクへの助走になった。
1月
工藤静香『ぼやぼやできない』、安定の人気で年明けのチャートへ
1991年1月23日リリース、12thシングル。累計約32万枚。
アイドルの枠を超えた存在として毎シングルをチャート上位に送り込んでいた工藤静香の、年明けの1曲。前年の『私について』に続く安定したヒットで、冬のラジオでも頻繁に流れた。
1月
BUCK-TICK『スピード』、アルバム『狂った太陽』へ向かう先行シングル
1991年1月21日リリース、シングル。オリコン最高3位、累計約18万枚。同年2月発売のアルバム『狂った太陽』の先行シングル。
前年の『悪の華』で唯一の1位を取ったBUCK-TICKが、アルバム『狂った太陽』へ向けて放った先行シングル。退廃と耽美のサウンドをさらに深めた、ヴィジュアル系の先駆けとしての存在感が増していた時期の1曲。
1月
JUN SKY WALKER(S)『START』、バンドブームが年を越えて続いた
1991年1月リリース、シングル。同年2月発売の同名アルバム『START』はオリコン1位を獲得し、バンド最大のヒット作になった。
前年の『白いクリスマス』に続く、年明けのジュンスカのシングル。連動したアルバムがオリコン1位を取り、バンドブームが1991年に入っても勢いを保っていたことを示す1曲。
1月
Janet Jackson『Love Will Never Do (Without You)』、アルバムから7曲目のトップ5
1991年1月にビルボードHot 100で1位。アルバム『Rhythm Nation 1814』から、1枚のアルバムで史上初の『トップ5シングル7曲』を達成した締めくくりの曲。
前年から日本のFMやMTVでかかり続けたジャネット・ジャクソンの『Rhythm Nation 1814』の最後を飾った全米No.1。明るくはじけるダンスポップで、年明けのチャートを彩った。
1月
Surface『The First Time』、3つのチャートを制したスムースなR&Bバラード
1991年1月にビルボードHot 100で1位。R&Bチャート・アダルトコンテンポラリーでも1位を取った、トリオ唯一の全米No.1。
ニューヨーク出身のR&Bトリオによる、しっとりとしたミディアムバラード。Hot 100・R&B・ACの3つで頂点に立ち、日本でも大人向けのFMで繰り返し流れた、年明けの夜に似合う1曲。
1月
Sting『All This Time』、アルバム『The Soul Cages』を導いた内省的なロック
1990年末リリース、ビルボードHot 100最高5位。アルバム『The Soul Cages』(1991年初頭発売)の第1弾シングル。
ポリス時代から続く固定ファンに加え、FMでも広く愛されたスティングの1曲。父の死をきっかけに作られたアルバムのリードシングルで、深く内省的なサウンドが年明けのラジオに静かに響いた。
2月
ZARD『Good-bye My Loneliness』、2月10日のデビュー
1991年2月10日リリース、ZARDデビューシングル。フジテレビ系ドラマ『結婚の理想と現実』主題歌、田中美佐子主演。最高オリコン9位、累計約21万枚。
後に90年代J-POPを代表することになるZARDが、坂井泉水を中心としたユニットとして冬の終わりにデビュー。デビュー曲としては地味な売上ながら、川島だりあと共作した楽曲は『揺れる想い』『負けないで』『君がいない』に繋がるZARD王道路線の出発点。坂井泉水が17年のキャリアで150曲を書く始まりの一枚だった。
2月
小田和正『ラブ・ストーリーは突然に』、月9『東京ラブストーリー』が国を止めた
1991年2月6日リリース。フジテレビ系月9ドラマ『東京ラブストーリー』主題歌。7週連続1位・累計約270万枚で、年間1位を記録した。
鈴木保奈美と織田裕二の『東京ラブストーリー』が社会現象になった冬、その主題歌として鳴り続けた小田和正のソロ最大のヒット。イントロのギターのカッティングを聴くだけでドラマの場面が浮かぶ、トレンディドラマ全盛期を象徴する1曲。
2月
森口博子『ETERNAL WIND 〜ほほえみは光る風の中〜』、ガンダムF91の主題歌
1991年2月5日リリース。劇場版アニメ『機動戦士ガンダムF91』主題歌。オリコン最高9位、森口博子最大のヒットで、この年の紅白に初出場した。
富野由悠季監督の劇場版『機動戦士ガンダムF91』の主題歌として、バラドルとして親しまれていた森口博子が歌い上げた1曲。アニメ映画とともに記憶に残り、彼女を歌手として紅白の舞台へ押し上げた代表曲になった。
2月
織田裕二『歌えなかったラヴ・ソング』、スズキのCMから2位を走った俳優の歌
1991年2月6日リリース。スズキ『セルボ・モード』のCMソング。オリコン最高2位、累計約58万枚。
『東京ラブストーリー』で時代の顔になった織田裕二が、同じ日に発売された小田和正『ラブ・ストーリーは突然に』と1位2位を並走させた1曲。俳優が歌でもチャート上位を走るという、トレンディドラマ時代らしい光景を作った。
2月
Mi-Ke『想い出の九十九里浜』、グループ・サウンズへの回帰で大ヒット
1991年2月14日リリース、デビューシングル。オリコン最高5位、累計約48万枚。ビーイング系のコーラスユニット。
60年代のグループ・サウンズや和製ポップスを下敷きにしたレトロな作りで、デビュー曲ながら48万枚に届いたビーイング系ユニットのヒット。WANDSやZARDが出てくる直前のビーイングの引き出しの広さを感じさせる1曲。
2月
光GENJI『風の中の少年』、デビュー前のSMAP・TOKIOがバックを務めた
1991年2月7日リリース、12thシングル。『ミュージックステーション』収録時に、まだデビュー前のSMAP・TOKIOがバックダンサーを務めた最後の作品として知られる。
ローラースケートで時代を席巻した光GENJIの、勢いが落ち着いてきた時期の1曲。テレビ収録でデビュー前のSMAPやTOKIOが後ろで踊っていたという逸話が、ジャニーズの世代交代の入口を象徴している。
2月
森高千里『勉強の歌』、自作で攻めるアイドルのアニメ主題歌
1991年2月10日リリース、両A面シングルの1曲。日本テレビ系アニメ『おちゃめなふたご クレア学院物語』オープニングテーマ。
作詞も自らこなすシンガーソングライターとして独自の地位を築いていた森高千里が、アニメの主題歌として届けた1曲。ユーモラスな視点の歌詞づくりが彼女らしく、90年代前半の自立した女性アーティスト像を体現していた。
2月
Roxette『Joyride』、スウェーデン発ポップロックの快進撃
1991年2月リリース、ビルボードHot 100で1位。日本でも洋楽チャート上位に入り、同名アルバムは世界的な大ヒットになった。
『The Look』『Listen to Your Heart』で知られるスウェーデンのデュオ、ロクセットの陽気なポップロック。発売前からFMでヘビーローテーションされ、1991年の冬から春にかけて世界中で鳴っていた快活な1曲。
2月
Timmy T『One More Try』、インディーズ発で全米1位に駆け上がった涙のバラード
1990年末リリース、1991年にビルボードHot 100で1位。インディーレーベル発のシングルとしては異例の全米No.1で、ラジオの支持から広まった。
カリフォルニア出身のシンガーがインディーズから出した感傷的なバラードが、ラジオのリクエストから火がついて全米No.1まで上り詰めた。そのシンデレラストーリーとともに、日本のFMでも紹介されて流れた1曲。