WINTER · 1990

1990の記録

平成2年 · 12・1・2月 · 全 73

バブル経済の最後の輝きと崩壊の予兆が同居した三ヶ月。1991年1月17日に湾岸戦争が開戦し、テレビは深夜のCNN生中継に切り替わった。一方で、年末年始のチャートはKAN『愛は勝つ』が席巻、1991年2月10日にはZARDがデビューシングル『Good-bye My Loneliness』をリリース。11月21日に発売されたスーパーファミコンが年末商戦の主役となり、子どもたちは『スーパーマリオワールド』と『F-ZERO』に夢中になった。第41回紅白歌合戦、サザン『真夏の果実』のロングヒット、サンヨーの絵本のような世界観の中で、日本人が80年代の終わりを実感し、90年代の輪郭を確かめ始めた冬。

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Music · 音楽40

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KAN『愛は勝つ』、年末から年明けに大爆発した8週連続1位

1990年9月1日リリース、KAN 8thシングル。FM802のヘヴィー・ローテーションがきっかけで火がつき、冬に8週連続オリコン1位、累計約201万枚、1991年第33回日本レコード大賞受賞。

もともとはアルバム『野球選手が夢だった。』収録曲だったものが、フジテレビ系『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の挿入歌に使われたことで爆発的にヒット。「心配ないからね 君の想いが 誰かに届く」のサビが日本中で歌われた冬。湾岸戦争のニュース速報の合間に流れる年末年始の音風景の中心。1991年末の第42回紅白歌合戦に初出場、心は半泣きだったとKAN自身が後に語っている。

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サザンオールスターズ『真夏の果実』、夏から冬までずっと聞こえていた稲村ジェーン

1990年7月25日リリース、サザンオールスターズ28thシングル。桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』主題歌、累計約55万枚、年末から年始までずっと流れたロングヒット。

桑田佳祐の初監督作品『稲村ジェーン』の主題歌が、夏のリリースから冬までずっと有線・カラオケで定位置を保った。「四六時中も好きと言って 夢の中へ連れて行って」のメロディーは、忘年会・年越し・新年会のカラオケ定番で、KAN『愛は勝つ』と並んで90年冬の音風景の中心。映画自体は批評賛否あったが、楽曲は完全に独立して日本人の冬の記憶に定着した。

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PRINCESS PRINCESS『ジュリアン』、11月21日リリースが冬チャートを駆け抜けた

1990年11月21日リリース、PRINCESS PRINCESS 10thシングル。前年の『Diamonds』『世界でいちばん熱い夏』のミリオンに続く女性バンドの絶頂期にあたる冬の一枚。

岸谷香(当時:奥居香)・中山加奈子・富田京子・今野登茂子・渡辺敦子の5人が完全にスター化した時期で、女性バンドという形そのものが90年代J-POPの主流に組み込まれていく入り口。秋のリリースから冬の音楽特番・カラオケで繰り返し演奏された。Mr.Childrenでもglobeでもまだ世に出る前、PRINCESS PRINCESSがJ-POP女性アーティストの代表格だった時代の冬。

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Wink『Sexy Music』、89年末リリースが90年冬もまだ流れていた

1989年11月8日リリース、Wink 6thシングル、累計約81万枚。寺尾聰の曲ではなくBananaramaのカバー。1990年通して有線・テレビ歌番組の常連。

相田翔子と鈴木早智子の無表情パフォーマンスが90年代初頭のアイドル文化の特異点。前年の『淋しい熱帯魚』のレコード大賞受賞の余韻もあり、1990年冬の歌番組では必ずトリのほうで歌っていた。後にAKB48・モー娘。が引き継ぐ『女性ユニット』の系譜の原点に近い位置を持つアーティストの全盛期。

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米米CLUB『Shake Hip!』、89年リリースが90冬まで残ったブラスサウンド

1989年7月10日リリース、米米CLUB 9thシングル。累計約46万枚、米米CLUB初期の代表曲。1990年通してテレビバラエティ・ライブで定番演奏された曲。

石井竜也のステージパフォーマンスと米米CLUBのブラスセクションが完成期に入った時期の代表曲。90年冬時点で米米CLUBはアルバムツアーで全国を回り、テレビ歌番組・年末特番でも引っ張りだこ。1992年の『君がいるだけで』289万枚へ向けた助走期間にあたる冬。

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B'z『LADY-GO-ROUND』、秋リリースが冬まで残った松本×稲葉

1990年10月24日リリース、B'z 5thシングル、累計約36万枚。前作『太陽のKomachi Angel』のミリオンに続く秋から冬のヒット。

稲葉浩志・松本孝弘のコンビが完全に売れる軌道に入った時期の作品。アルバム『RISKY』(1990/11/21リリース)からの先行シングルで、後の『LOVE PHANTOM』『ねがい』に繋がるB'z王道路線の確立期。冬のFMロック番組・カラオケで男性が高音シャウトを真似する原型がここにあった。

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TM NETWORK『RHYTHM RED』、小室哲哉が次の10年へ向けて尖った

1990年5月10日リリース、TM NETWORK 7thオリジナルアルバム『RHYTHM RED』。ハードロック・ヘヴィメタル路線で、それまでのデジタル・ポップから大きく転換。

小室哲哉・宇都宮隆・木根尚登のTM NETWORKが、80年代のシンセポップ路線を一度壊して、ハードロックに振った話題作。1990年冬時点ではアルバムツアー終盤で、TMNとして大きな転換期。後の小室哲哉が90年代J-POPプロデューサーとして爆発する手前の助走期間にあたる。

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CHAGE&ASKA、1991年に向けた『SAY YES』前夜の冬

1990年冬時点のCHAGE&ASKAはアルバム『TREE』(1991年5月15日リリース)の準備期。1991年7月の『SAY YES』282万枚の大ヒットに向けた助走時期。

ASKAとCHAGEのふたりが、80年代のフォーク・ニューミュージック路線から90年代のJ-POP王道へ移行する直前の冬。年末年始のレコード会社の方針会議で『SAY YES』が次の柱になることが固まり、冬の間にレコーディングが進んでいた時期。日本中の歌好きにとって『恋人になる前の』CHAGE&ASKAの最後の冬だった。

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光GENJI、年末紅白の人気枠と『太陽がいっぱい』のロングヒット

1990年8月21日リリースの光GENJI 14thシングル『太陽がいっぱい』が冬まで継続ヒット。第41回紅白歌合戦で光GENJIは1988年から3年連続出場。

諸星和己・大沢樹生・佐藤敦啓らが在籍した光GENJIが、80年代アイドル王道の最終期で年末紅白の人気枠を保っていた冬。1988年『パラダイス銀河』の大ブレイクから3年、徐々にメンバーがソロ活動を視野に入れ始めた時期で、グループとしての光GENJIの黄金期の終盤にあたる冬。

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Mariah Carey『Love Takes Time』、デビューアルバムから3週連続1位

1990年9月11日リリース、Mariah Carey 2ndシングル。ビルボードHot 100で11月から12月にかけて3週連続1位、Mariahの2曲目のNo.1。

1990年6月リリースのデビューアルバム『Mariah Carey』からの2ndシングル。前作『Vision of Love』(8月4週連続No.1)に続いて秋から冬にかけてNo.1を獲得し、デビューイヤーで一気にスーパースターの地位を確立した。日本でもFM夜の番組で繰り返しオンエアされ、洋楽好きの大学生・社会人にとって90年冬の象徴的な1曲。

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Madonna『Justify My Love』、12月のNo.1とMV放送禁止騒動

1990年11月6日リリース、Madonna『The Immaculate Collection』からの新曲シングル。ビルボードHot 100で12月から1991年1月にかけて2週連続1位。

Lenny Kravitz共同プロデュースで、ささやき声を多用したスポークン・ワード路線。エロティックなミュージックビデオがMTVで放送禁止になる騒動の中でリリースされ、その挑発性を含めて90年代Madonnaの新しい方向性を予告した曲。日本でもMTV系番組と洋楽FMで取り上げられ、Madonnaがロック・スターから現代アート寄りのアイコンへ移行する冬の入り口にあった。

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Whitney Houston『I'm Your Baby Tonight』、12月のNo.1

1990年9月25日リリース、Whitney Houstonアルバム『I'm Your Baby Tonight』タイトル曲。ビルボードHot 100で12月1日付で1位獲得、Whitneyの8曲目のNo.1。

L.A.リード・ベイビーフェイス・プロデュースで、それまでの『The Greatest Love of All』『Where Do Broken Hearts Go』のバラード路線から、R&Bダンス路線へ振った新しい方向性。冬の洋楽FMで定位置を保ち、後の『I Will Always Love You』(1992)へ向けた躍進期。

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Stevie B『Because I Love You (The Postman Song)』、年越しの4週No.1

1990年9月リリース。ビルボードHot 100で12月8日から4週連続1位、年越しを跨ぐNo.1ヒット。

フリースタイル系の男性シンガーStevie Bが、メロディアスなバラードで突然の大ヒット。前後の『Justify My Love』『Love Takes Time』と並んで90年冬の洋楽FMの定番曲のひとつ。クリスマス・年越し・バレンタインのラブソング枠で繰り返し流れた、いわゆる『ワンヒット・ワンダー』に近い扱いの曲。

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C+C Music Factory『Gonna Make You Sweat (Everybody Dance Now)』、冬のクラブ・アンセム

1990年10月リリース。ビルボードHot 100で1991年1月から1位獲得、世界中のクラブ・スポーツアリーナのアンセムとして使われ続けるダンス・ナンバー。

ロバート・クライヴィレスとデヴィッド・コールのプロデュース・チームによる、フリーダム・ウィリアムズのラップとマーサ・ウォッシュのパワフルなボーカルが組み合わさったハウス・ダンス曲。クラブ・運動会・スポーツ中継のBGM・テレビCMで90年代を通して使われ続ける『社会的フレーズ』化した1曲の登場期。冬のディスコ・テクノパーティーで必ずかかった。

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THE BLUE HEARTS『BUST WASTE HIP』、6thアルバム

1990年9月19日リリース、THE BLUE HEARTS 4thオリジナルアルバム『BUST WASTE HIP』。『情熱の薔薇』を収録し、累計約100万枚超のミリオン。

甲本ヒロト・真島昌利らのTHE BLUE HEARTSが90年代の入り口で出した代表的アルバム。冬のFMロック番組・大学のサークル・カラオケの男声合唱パートで定番。後のハイロウズ・クロマニヨンズへ繋がる甲本ヒロトの活動の中期にあたる時期で、若者文化の精神的支柱としてのバンド像が完成していた冬。

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JUN SKY WALKER(S)『白いクリスマス』、Panasonicのラジカセから流れた冬の1位

1990年11月リリース、シングル。Panasonicのラジカセのキャンペーンソングで、バンドにとって唯一のオリコン週間1位を記録した。

バンドブームを牽引したジュンスカが、家電のCMに乗せて取った唯一の週間1位。爽やかなポップロックが冬のイメージと重なり、年末のパーティーやラジオでよく流れた、バンドブーム期の到達点のひとつ。

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酒井法子『イヴの卵』、クリスマスを前に届いた冬のアイドルポップ

1990年11月21日リリース、シングル。オリコン最高10位。

『のりピー』の愛称で全盛期にあった酒井法子が、クリスマスを前にした冬の恋を歌った1曲。アイドル文化がまだ華やかだった時期の、年の瀬の街によく似合うポップ。

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LINDBERG『MEN'S TALK』、秋の連続リリースを締めくくった1曲

1990年11月21日リリース、シングル。オリコン初登場4位、累計約17万枚。

渡瀬マキのボーカルで女性層をつかんだLINDBERGが、1990年秋の連続リリースの最後に放った1曲。ドリカム・Winkらと同日発売の激戦の中で4位に食い込み、バンドブーム期の勢いを冬まで持ち込んだ。

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徳永英明『壊れかけのRadio』、ドラマとともに1990年を通じて流れ続けた

1990年7月リリース、シングル。TBS系ドラマ『季節はずれの海岸物語』関連で徳永本人も出演し、夏から年末まで長くチャートに残ったロングヒット。累計約37万枚。

徳永英明が自ら作詞・作曲した、ラジオを聴いて育った少年の記憶を描いた1曲。夏に出てから時間をかけて広がり、1990年を通じて流れ続けた、彼の代名詞のような曲。冬のラジオの夜にも似合う、世代を超えて歌い継がれる名曲。

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中森明菜『Dear Friend』、約1年ぶりの復帰を告げた初登場1位

1990年7月リリース、シングル。タイアップなしで初登場1位、累計約55万枚。約1年3か月ぶりの活動再開作で、この年の年間6位に入り冬まで聴かれ続けた。

長い休止を経て中森明菜が約1年ぶりに発表した復帰シングル。タイアップなしでも初登場1位を取り、年間6位のロングランで1990年の後半から年末まで流れ続けた、歌姫の健在を示した1曲。

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SHOW-YA『限界LOVERS』で知られる女性バンドの90年の到達点『ギャンブリング』

1990年リリース、シングル。寺田恵子をボーカルに擁する女性ハードロックバンドの作品で、第1期の末期にあたる。

『限界LOVERS』で知られる女性ハードロックバンドSHOW-YAが、バンドブーム末期に放った1曲。寺田恵子のパワフルな歌声で女性ロックの草分けとして存在感を放っていたが、翌1991年に寺田が脱退し第1期が幕を閉じる、その直前の作品。

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Chris Isaak『Wicked Game』、映画『ワイルド・アット・ハート』から火がついた妖艶なバラード

1990年末から全米で再浮上し、1991年初頭にビルボードHot 100で6位。デヴィッド・リンチ監督の映画で使われ、白黒のビーチのMVがMTVで話題になった。

リバーブの効いたギターとファルセットが醸す、夢のように妖しいバラード。デヴィッド・リンチの映画とモデルが出演するMVで火がつき、1990年末から1991年初頭の日本のFMでも繰り返し流れた、夜に似合う1曲。

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Enigma『Sadeness (Part I)』、グレゴリオ聖歌とテクノを混ぜた衝撃

1990年10月リリース、欧州を中心に世界14か国で1位。ビルボードHot 100でも最高5位。アルバム『MCMXC a.D.』は世界的なヒットになった。

グレゴリオ聖歌のサンプリングに囁き声とテクノのビートを重ねた、それまで誰も聴いたことのないサウンド。日本でもFMやCM、カフェのBGMとして流れ、ニューエイジ/アンビエントの空気を一気に広めた1990年末の話題作。

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Londonbeat『I've Been Thinking About You』、甘く弾けたユーロダンス

1990年リリース、1991年初頭にビルボードHot 100で1位。日本でも8cmシングルが発売され、FMで流れた。

イギリス出身の多国籍バンドによる、ユーロビートとR&Bを溶かした軽快なダンスポップ。1990年末から1991年にかけて全米No.1を取り、日本のFMやディスコでも親しまれた冬のダンスナンバー。

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CHAGE&ASKA『太陽と埃の中で』、カップヌードルのCMから朝に流れた

1991年1月30日リリース、26thシングル。日清『カップヌードル』のCMソング、フジテレビ系『TIME3』エンディング。累計約50万枚。

『SAY YES』で爆発する数か月前、CHAGE&ASKAがカップヌードルのCMと朝のワイドショーのエンディングで茶の間に届けた1曲。約10年ぶりの50万枚突破で、この後の二人の大ブレイクへの助走になった。

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工藤静香『ぼやぼやできない』、安定の人気で年明けのチャートへ

1991年1月23日リリース、12thシングル。累計約32万枚。

アイドルの枠を超えた存在として毎シングルをチャート上位に送り込んでいた工藤静香の、年明けの1曲。前年の『私について』に続く安定したヒットで、冬のラジオでも頻繁に流れた。

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BUCK-TICK『スピード』、アルバム『狂った太陽』へ向かう先行シングル

1991年1月21日リリース、シングル。オリコン最高3位、累計約18万枚。同年2月発売のアルバム『狂った太陽』の先行シングル。

前年の『悪の華』で唯一の1位を取ったBUCK-TICKが、アルバム『狂った太陽』へ向けて放った先行シングル。退廃と耽美のサウンドをさらに深めた、ヴィジュアル系の先駆けとしての存在感が増していた時期の1曲。

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JUN SKY WALKER(S)『START』、バンドブームが年を越えて続いた

1991年1月リリース、シングル。同年2月発売の同名アルバム『START』はオリコン1位を獲得し、バンド最大のヒット作になった。

前年の『白いクリスマス』に続く、年明けのジュンスカのシングル。連動したアルバムがオリコン1位を取り、バンドブームが1991年に入っても勢いを保っていたことを示す1曲。

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Janet Jackson『Love Will Never Do (Without You)』、アルバムから7曲目のトップ5

1991年1月にビルボードHot 100で1位。アルバム『Rhythm Nation 1814』から、1枚のアルバムで史上初の『トップ5シングル7曲』を達成した締めくくりの曲。

前年から日本のFMやMTVでかかり続けたジャネット・ジャクソンの『Rhythm Nation 1814』の最後を飾った全米No.1。明るくはじけるダンスポップで、年明けのチャートを彩った。

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Surface『The First Time』、3つのチャートを制したスムースなR&Bバラード

1991年1月にビルボードHot 100で1位。R&Bチャート・アダルトコンテンポラリーでも1位を取った、トリオ唯一の全米No.1。

ニューヨーク出身のR&Bトリオによる、しっとりとしたミディアムバラード。Hot 100・R&B・ACの3つで頂点に立ち、日本でも大人向けのFMで繰り返し流れた、年明けの夜に似合う1曲。

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Sting『All This Time』、アルバム『The Soul Cages』を導いた内省的なロック

1990年末リリース、ビルボードHot 100最高5位。アルバム『The Soul Cages』(1991年初頭発売)の第1弾シングル。

ポリス時代から続く固定ファンに加え、FMでも広く愛されたスティングの1曲。父の死をきっかけに作られたアルバムのリードシングルで、深く内省的なサウンドが年明けのラジオに静かに響いた。

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ZARD『Good-bye My Loneliness』、2月10日のデビュー

1991年2月10日リリース、ZARDデビューシングル。フジテレビ系ドラマ『結婚の理想と現実』主題歌、田中美佐子主演。最高オリコン9位、累計約21万枚。

後に90年代J-POPを代表することになるZARDが、坂井泉水を中心としたユニットとして冬の終わりにデビュー。デビュー曲としては地味な売上ながら、川島だりあと共作した楽曲は『揺れる想い』『負けないで』『君がいない』に繋がるZARD王道路線の出発点。坂井泉水が17年のキャリアで150曲を書く始まりの一枚だった。

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小田和正『ラブ・ストーリーは突然に』、月9『東京ラブストーリー』が国を止めた

1991年2月6日リリース。フジテレビ系月9ドラマ『東京ラブストーリー』主題歌。7週連続1位・累計約270万枚で、年間1位を記録した。

鈴木保奈美と織田裕二の『東京ラブストーリー』が社会現象になった冬、その主題歌として鳴り続けた小田和正のソロ最大のヒット。イントロのギターのカッティングを聴くだけでドラマの場面が浮かぶ、トレンディドラマ全盛期を象徴する1曲。

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森口博子『ETERNAL WIND 〜ほほえみは光る風の中〜』、ガンダムF91の主題歌

1991年2月5日リリース。劇場版アニメ『機動戦士ガンダムF91』主題歌。オリコン最高9位、森口博子最大のヒットで、この年の紅白に初出場した。

富野由悠季監督の劇場版『機動戦士ガンダムF91』の主題歌として、バラドルとして親しまれていた森口博子が歌い上げた1曲。アニメ映画とともに記憶に残り、彼女を歌手として紅白の舞台へ押し上げた代表曲になった。

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織田裕二『歌えなかったラヴ・ソング』、スズキのCMから2位を走った俳優の歌

1991年2月6日リリース。スズキ『セルボ・モード』のCMソング。オリコン最高2位、累計約58万枚。

『東京ラブストーリー』で時代の顔になった織田裕二が、同じ日に発売された小田和正『ラブ・ストーリーは突然に』と1位2位を並走させた1曲。俳優が歌でもチャート上位を走るという、トレンディドラマ時代らしい光景を作った。

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Mi-Ke『想い出の九十九里浜』、グループ・サウンズへの回帰で大ヒット

1991年2月14日リリース、デビューシングル。オリコン最高5位、累計約48万枚。ビーイング系のコーラスユニット。

60年代のグループ・サウンズや和製ポップスを下敷きにしたレトロな作りで、デビュー曲ながら48万枚に届いたビーイング系ユニットのヒット。WANDSやZARDが出てくる直前のビーイングの引き出しの広さを感じさせる1曲。

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光GENJI『風の中の少年』、デビュー前のSMAP・TOKIOがバックを務めた

1991年2月7日リリース、12thシングル。『ミュージックステーション』収録時に、まだデビュー前のSMAP・TOKIOがバックダンサーを務めた最後の作品として知られる。

ローラースケートで時代を席巻した光GENJIの、勢いが落ち着いてきた時期の1曲。テレビ収録でデビュー前のSMAPやTOKIOが後ろで踊っていたという逸話が、ジャニーズの世代交代の入口を象徴している。

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森高千里『勉強の歌』、自作で攻めるアイドルのアニメ主題歌

1991年2月10日リリース、両A面シングルの1曲。日本テレビ系アニメ『おちゃめなふたご クレア学院物語』オープニングテーマ。

作詞も自らこなすシンガーソングライターとして独自の地位を築いていた森高千里が、アニメの主題歌として届けた1曲。ユーモラスな視点の歌詞づくりが彼女らしく、90年代前半の自立した女性アーティスト像を体現していた。

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Roxette『Joyride』、スウェーデン発ポップロックの快進撃

1991年2月リリース、ビルボードHot 100で1位。日本でも洋楽チャート上位に入り、同名アルバムは世界的な大ヒットになった。

『The Look』『Listen to Your Heart』で知られるスウェーデンのデュオ、ロクセットの陽気なポップロック。発売前からFMでヘビーローテーションされ、1991年の冬から春にかけて世界中で鳴っていた快活な1曲。

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Timmy T『One More Try』、インディーズ発で全米1位に駆け上がった涙のバラード

1990年末リリース、1991年にビルボードHot 100で1位。インディーレーベル発のシングルとしては異例の全米No.1で、ラジオの支持から広まった。

カリフォルニア出身のシンガーがインディーズから出した感傷的なバラードが、ラジオのリクエストから火がついて全米No.1まで上り詰めた。そのシンデレラストーリーとともに、日本のFMでも紹介されて流れた1曲。

news · ニュース・出来事4

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バブル経済崩壊の予兆、日経平均1万円台への急落

1989年12月29日の史上最高値38915円から、1990年内に急落して年末は約23848円。1991年に入ってもさらに下落し、不動産バブル崩壊が顕在化する冬。

前年大納会の38915円(史上最高値)が、わずか1年で40%近く下落。日経新聞・株式欄を読む通勤電車のサラリーマンの表情が、年初から年末で完全に変わった。不動産価格・ゴルフ会員権・絵画相場も同時に崩壊が始まり、90年代『失われた10年』のスタートにあたる冬。ボーナス支給額・賞与カット・新規採用見送りといった話題が、職場の昼休みで漏れ聞こえるようになった。

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野村証券・大和証券・日興証券、損失補填問題前夜

1991年6月に発覚する野村証券・大和証券などの大口顧客向け損失補填問題が、1990年冬時点ではまだ表面化していないが、株価暴落で背景の歪みが蓄積していた時期。

バブル崩壊で大口顧客が多額の含み損を抱える中、証券会社が違法な損失補填を行っていた実態が翌春から夏にかけて発覚していく。1990年冬の証券会社の支店窓口は、株価下落・損失確定をめぐる顧客対応で混乱、職員のストレスも限界に近づいていた時期。後の証券大手の経営危機・金融自由化議論の起点となる出来事の伏線が積まれていた冬。

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平成天皇即位の礼から1年、新しい元号の定着

1990年11月12日に天皇陛下御即位の礼が行われ、1990年冬は新元号『平成』が完全に日常用語として定着した時期。年末の新聞・年賀状・元号の表記が完全に平成へ移行。

1989年1月8日の昭和天皇崩御から平成元年への移行が完了し、1990年冬は『平成2年』『平成3年』(1991)の表記が標準化。即位の礼に各国の王族・首脳が参列した冬の余韻が、年末年始の新聞・テレビでも繰り返し報道された。明治・大正・昭和・平成の4元号を経験したお年寄りの『昭和は遠くなりにけり』的な感慨が、冬の世間話の一部だった。

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湾岸戦争開戦、1月17日の砂漠の嵐作戦

1991年1月17日、アメリカ・イギリスを中心とする34カ国の多国籍軍がイラクへの空爆を開始。『砂漠の嵐作戦』。前年8月のイラクのクウェート侵攻に対する強制措置。

深夜のテレビ各局がCNNとつながり、バグダッド上空の対空砲火の緑色の映像が日本のお茶の間にリアルタイムで流れた。2月23日から地上戦が開始、100時間で停戦。日本では『国際貢献』をめぐる議論が国会で連日続き、後の自衛隊PKO派遣に繋がる流れが始まった。冬の朝の通勤・通学路でも、駅のキヨスクの新聞見出しに『戦争』の文字が踊り続けた。

tv · テレビ5

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第41回NHK紅白歌合戦、12月31日に三田佳子・西田敏行

1990年12月31日、NHKホールで生放送。司会は三田佳子(紅組)・西田敏行(白組)、総合司会は松平定知アナウンサー。視聴率第2部51.5%(関東地区)。

1990年12月31日、NHKホールから生放送された年越しの番組。光GENJIが1988年から3年連続で出場した。第2部の視聴率は関東地区で51.5%。2026-09-15 修正: 旧記述の司会者(西田ひかる・三宅裕司・山川静夫)は誤りで、Wikipedia「第41回NHK紅白歌合戦」と紅白歌合戦データベースの歴代司会者で三田佳子・西田敏行・松平定知を確認(山川静夫の総合司会は第42回・1991年から)。旧記述の出演者の並びも裏が取れなかったため削除した。

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『ちびまる子ちゃん』、テレビアニメ放送開始から1年で社会現象

1990年1月7日から放送開始のフジテレビ系『ちびまる子ちゃん』が、放送開始1年で日本のお茶の間に完全定着。1990年冬時点で日曜18時の家族視聴の定番枠。

さくらももこ原作の昭和40年代静岡県清水市が舞台のアニメが、平成初期の日本人の『懐かしさ』感情を起こした作品。1990年末時点ではエンディング『おどるポンポコリン』が西城秀樹のカバー他で大ヒット、レコード・カラオケで国民歌的に歌われていた冬。日曜夜の『ちびまる子ちゃん』→『サザエさん』というフジテレビの黄金枠が完成。

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『笑っていいとも!』『夕やけニャンニャン』後の昼帯バラエティ

1982年放送開始の『笑っていいとも!』(タモリ司会・フジテレビ系昼12時)が、1990年冬時点で8年目に入り、平成のお昼の標準として完全定着。

サラリーマンが昼休みにそば屋・定食屋でテレビをつけると必ずタモリが映っていた時代。1990年冬時点で『テレフォンショッキング』が完全に文化として根付き、出演者の友だち繋ぎが芸能ニュースの一部に。後の『SMAP×SMAP』(1996開始)・『めちゃイケ』(1996開始)へ繋がる昼帯バラエティの完成期にあたる冬。

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月9『東京ラブストーリー』前夜、ジェットコースタートレンディドラマ最盛期

1991年1月期の月9『東京ラブストーリー』(鈴木保奈美・織田裕二)が1月14日から放送開始、フジテレビ系月9の枠としてトレンディドラマ全盛期の頂点へ。

1月14日から始まった『東京ラブストーリー』が、月9枠で平均視聴率22.9%・最高32.3%という記録を冬から春にかけて打ち立てる直前の冬。鈴木保奈美の『カンチ、カンチー!』、織田裕二の屋上で泣くシーン、小田和正『ラブ・ストーリーは突然に』が日本中で語られる時期に向かう前夜。バブル崩壊・湾岸戦争の重い空気の中で、トレンディドラマだけは『キラキラした東京の若者』を描き続けた冬。

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『101回目のプロポーズ』、武田鉄矢『僕は死にません』の春前夜

1991年7月から放送のフジテレビ系月9『101回目のプロポーズ』(武田鉄矢・浅野温子・江口洋介)は、冬の時点ではまだ放送開始前。前年の月9『すてきな片想い』中山美穂主演が放送中の冬。

1991年1月期月9は『東京ラブストーリー』、4月期は『すてきな片想い』中山美穂主演から続く流れ。月9という枠そのものが、バブル末期から失われた10年初頭の若者文化の中心メディアとして機能した冬。テレビ朝日系では『はぐれ刑事純情派』、TBS系では『熱中時代』の名残、と冬のゴールデンタイムは大人向け・若者向けの分布が完成していた。

movie · 映画2

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『ゴースト/ニューヨークの幻』、ろくろのシーンとUnchained Melody

1990年7月13日米国公開、日本では1990年11月10日公開。パトリック・スウェイジ・デミ・ムーア主演、ウーピー・ゴールドバーグがアカデミー助演女優賞受賞。

亡くなった恋人がろくろを回す場面に Righteous Brothers『Unchained Melody』が流れる、世界中で記憶される名シーンを生んだ作品。日本公開時にはカップル・OL層を中心に話題が広がり、12月のクリスマス映画として劇場に長く残った。Demi MooreとPatrick Swayzeのバナー写真は雑誌・電車広告・サンエスのポスターで冬中見かけた。

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『プリティ・ウーマン』、ジュリア・ロバーツの世界的ブレイク

1990年3月23日米国公開、日本では1990年9月22日公開。ジュリア・ロバーツ・リチャード・ギア主演、Garry Marshall監督のロマンティック・コメディ。

ジュリア・ロバーツがゴールデングローブ賞・アカデミー賞ノミネートを果たし、世界的スターになった作品。1990年冬時点では公開から数ヶ月でも依然ロングラン上映が続き、年末年始のデート映画として支持を集めた。Roy Orbison『Oh, Pretty Woman』のテーマソング、Roxette『It Must Have Been Love』のラブソング・スコアが洋楽FMで繰り返し流れた冬。

trend · 流行・カルチャー10

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槇原敬之、1990年8月デビューから冬まで

1990年8月25日にシングル『NG』でデビューした槇原敬之が、冬まで活動初年度を過ごす。翌1991年6月13日リリースの『どんなときも。』約184万枚へ向けた助走の冬。

後の『どんなときも。』『もう恋なんてしない』『北風〜君に届きますように〜』の槇原敬之が、デビュー後の地道なライブ活動を続けていた時期。1990年冬は FM・有線でデビュー曲がたまにかかる程度の存在感だったが、翌春のドラマタイアップで一気に頂点へ駆け上がる直前の静かな冬。

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雑誌『FM Station』『FM Fan』、エアチェック文化の最終局面

1990年冬時点、FM雑誌『FM Station』『FM Fan』『週刊FM』が並行発行されていた。鈴木英人のイラスト表紙とFM番組表が組み合わさったエアチェック世代のバイブル。

FMラジオの曲を狙い撃ちでカセットテープに録音する『エアチェック』文化が、CD時代になってもまだ続いていた冬。鈴木英人のドライブ風景イラストを表紙にした『FM Station』はドライブ世代の必読誌で、ベストヒットUSA(マイケル富岡)・ベストヒット歌謡祭・全米トップ40などの番組情報を確認しながら録音タイマーをセットしていた時代。1996年に休刊する『FM Station』の最盛期にあたる冬。

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FMラジオの全盛期、J-WAVE・FM802・ZIP-FMが街の音

1988年J-WAVE(東京)・1989年FM802(大阪)・1993年ZIP-FM(名古屋)など、地域FM局が拡大。1990年冬は J-WAVE と FM802 が完成期、ZIP-FMはまだ。J-WAVEは『TOKIO HOT 100』『GROOVE LINE』前身番組が走っていた。

FM局の番組表が、ドライバー・OL・大学生の生活サイクルに完全に同期していた時期。J-WAVEのDJ:ジョン・カビラ・クリス・ペプラー・小林克也、FM802の中島ヒロト・西田尚美・浅井博章。クルマでFMをかけながらドライブする、というのが90年冬の若者の標準。後のラジコ・ポッドキャスト・Spotifyへ繋がる音楽消費スタイルの『最後のFM中心期』にあたる。

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オフコース解散後の小田和正、ZARDデビューと女性ボーカル時代の到来

1989年2月にオフコース解散、小田和正のソロ活動が本格化していた1990年冬。同時に2月のZARDデビューを境に、90年代J-POPの女性ボーカル時代が本格化する。

オフコース解散から小田和正がソロで『恋を抱きしめよう』『Oh! Yeah!』(1991)へ向かう時期。同じ冬にZARDがデビューし、PRINCESS PRINCESS・中島みゆき・ドリームス・カム・トゥルー・荒井由実(松任谷由実)らの女性ボーカル路線が90年代の中心となる兆しが出てきた冬。男性アイドル中心の80年代から女性アーティスト中心の90年代への分水嶺。

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ジュリアナ東京開店、5月15日のディスコ・カルチャー

1991年5月15日にジュリアナ東京が東京・芝浦に開店予定で、1990年冬は前評判の盛り上がりとプロデューサー折口雅博の事前PRが始まっていた時期。ボディコン・お立ち台が冬のFMラジオでも話題に。

バブル崩壊が始まっていたにもかかわらず、ディスコ文化の最後の頂点として翌春オープンするジュリアナ東京の話題が冬から始まっていた。ボディコンのワンピース・羽根扇子・お立ち台の写真がスポーツ紙・週刊誌で先行紹介され、東京の女性誌『JJ』『CanCan』『anan』が春の特集を組み始めていた時期。バブルの記憶として後に語られる現象の入り口だった。

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『ヤンキー文化』とヤン・ママ、ロードサイドの若者風景

1980年代後半から90年代初頭にかけてのヤンキー文化が、地方都市・ロードサイドで完成期。レディース・特攻服・改造車・暴走族はピーク期、ヤン・ママという新語も登場した時期。

国道沿いのファミレス・ジーンズショップ・パチンコ屋・ゲームセンターを拠点とする90年代初頭の地方ヤング・カルチャー。20代前半で結婚・出産したヤン・ママが地元のスーパー・ホームセンターで赤ちゃんを連れて買い物する風景は、東京の女子大生・OLとは別の90年代日本の標準だった。地方都市の冬の風景の核として、後の郊外型ショッピングモール・ロードサイド経済の原型に。

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渋谷・新宿の若者風景、DCブランド全盛と渋カジ

1990年冬の渋谷は『渋カジ』(渋谷カジュアル)が完成期で、ローファー・チノパン・ボタンダウンシャツが大学生男子の標準。DCブランドのコムサ・メンズビギ・タケオキクチが新宿伊勢丹・パルコで売れた時期。

BIGI・コム・デ・ギャルソン・ヨウジヤマモトの『黒い服』ブームから、90年代に入って『渋カジ』へシフト。レイバンのサングラス・ティンバーランドのブーツ・トミー・ヒルフィガーのシャツが渋谷の街頭で見かけられた冬。後の裏原宿・原宿系・ストリート系へ繋がる若者ファッションの分岐点として、90年代初頭の渋谷が機能していた時期。

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フジテレビ女子アナ全盛、有賀さつき・河野景子・八木亜希子

1989-1990年入社のフジテレビ女子アナ『3人娘』有賀さつき・河野景子・八木亜希子が冬のテレビ画面の中心。後の『お笑いマンガ道場』『プロ野球ニュース』『FNNスーパータイム』『めざましテレビ』前史。

三井ゆりや八木亜希子が女子アナとしての存在感を完成させ、後の『女子アナ・ブーム』『局アナの花形化』の系譜が形作られた冬。ジュリアナ東京・トレンディドラマと並んで、バブル末期の女性像のひとつとして機能した。スポーツ紙のテレビ欄・女性週刊誌の特集で彼女たちの動向が毎週追われていた時期。

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スキーブーム頂点、苗場・志賀高原の連休満員

1990-91年シーズンの全国スキー場リフト輸送人数は約3億人超、歴代最大級の水準。映画『私をスキーに連れてって』(1987)の影響が4年経ってもまだ続いていた冬。

苗場プリンスホテル・万座温泉プリンスホテル・志賀高原・赤倉温泉が金曜夜から日曜夜まで満員。新宿・池袋発のスキーバスが連日深夜出発で、首都高速の池袋ジャンクションが渋滞する冬。バブル崩壊が始まっていたにもかかわらず、スキー旅行のための投資は若者の優先順位の最上位にあった。グッチのスキーウェアを着てSALOMONの板を担ぐ姿が新宿駅で見られた冬。

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ティラミス前夜のスイーツ・ブーム、生チョコ・ケーキバイキング

1990年冬時点で、東京の高級ホテルのスイーツ・ブッフェが OL の話題に。翌1991年春のティラミス・ブームに繋がるイタリアン洋菓子人気の助走期間。

ホテルニューオータニ・帝国ホテル・ホテルオークラのケーキ・バフェに女性誌の『Hanako』『JJ』が連載特集を組んでいた冬。バレンタイン商戦では生チョコが人気で、青山・原宿・自由が丘のショコラトリーに行列ができ始めた。翌春のティラミス爆発の前夜にあたる、洋菓子文化が日本にローカライズされていく入り口の冬。

sports · スポーツ3

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千代の富士、九州場所優勝で30回目の幕内最高優勝

1990年九州場所で千代の富士が30度目の優勝。1991年初場所でも14勝1敗で31回目の優勝、横綱の絶対的な強さが続いた冬。

ウルフこと千代の富士貢が、35歳を超えて連続優勝を続けていた冬。同じ時期に若貴兄弟(若花田・貴花田、後の若乃花・貴乃花)が新十両・幕下で台頭、世代交代のドラマが冬の大相撲を盛り上げた。1991年5月場所限りで千代の富士は引退、若貴ブームへの転換点直前の冬だった。

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第67回箱根駅伝、1月2日-3日 早稲田大学が優勝

1991年1月2日-3日に開催された第67回東京箱根間往復大学駅伝競走。早稲田大学が3年ぶり9度目の総合優勝、瀬古利彦の系譜を受け継ぐ早大の伝統的強さ。

正月の風物詩、箱根駅伝。早稲田・順天堂・日本体育大学・大東文化大学の四強時代で、1月2日朝8時の大手町スタートからゴールまで、日本テレビ系の中継が家庭の朝食シーンに張り付いた2日間。湾岸戦争開戦の2週間前の、まだ穏やかな正月の日本の風景。

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伊藤みどり、世界選手権連覇に向けた1991年2月の全日本

1989年世界選手権金メダルの伊藤みどりが、1990年12月の全日本選手権で連覇、1991年3月のミュンヘン世界選手権に向けた準備期。日本人選手として女子フィギュアスケート世界の中心。

トリプルアクセル成功(1988)で世界に名を轟かせた伊藤みどりが、20代前半で日本人女子フィギュアの絶対王者だった冬。1992年アルベールビル五輪・1994年リレハンメル五輪での日本選手の活躍、後の浅田真央・羽生結弦に繋がる日本フィギュアスケート文化の原点期にあたる。冬のスポーツニュースで彼女のジャンプが繰り返し放送された。

slang · 流行語1

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1990年流行語大賞、年間大賞は『ファジィ』

1990年12月発表の新語・流行語大賞で、新語部門金賞は『ファジィ』(松下電器のあいまい制御家電キャッチコピー)、流行語部門金賞は『〜じゃあ〜りませんか』(チャーリー浜)。

ファジィ制御の洗濯機・エアコン・電子レンジが家電量販店の店頭で大々的に売り出され、『ファジィ』という言葉が日本人の日常語になった冬。同時にチャーリー浜の『〜じゃあ〜りませんか』、新庄剛志・武田鉄矢らの流行語、と平成初期の言葉文化が完成した時期。テレビ番組で連呼される言葉が、翌日の職場の朝の挨拶ネタになっていた90年代初頭の標準。

tech gadget · モノ・ガジェット5

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スーパーファミコン発売、11月21日と『マリオワールド』『F-ZERO』

1990年11月21日、任天堂スーパーファミコン発売。本体25000円、ローンチタイトルは『スーパーマリオワールド』『F-ZERO』の2本のみ。出荷台数約30万台で初日完売、年末商戦で品薄に。

ファミコン後継機として満を持して登場し、画像の拡大縮小回転(モード7)・サウンド・色数が一気に進化。年末商戦の主役で、家電量販店・玩具屋・百貨店すべてで品切れが続出。スーパーマリオシリーズ最新作とF-ZEROでスーファミの性能を体感した少年少女が、お年玉とお小遣いを握りしめてゲームショップを駆け回った冬。後にFF・ドラクエ・クロノ・トリガーへ繋がる16ビットRPG黄金期の入り口。

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ドラクエ4『導かれし者たち』、1990冬のファミコンRPG最後の頂点

1990年2月11日リリース、エニックス『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』ファミコン版。累計約310万本、5章構成・AI戦闘システム導入のシリーズ最高傑作と評される作品。

スーパーファミコン発売直前の冬まで、ファミコン版ドラクエ4がまだ少年たちの机の上にあった時期。堀井雄二の章構成のシナリオ・すぎやまこういちのBGM・鳥山明のイラストの完成形として『最後のファミコン・ドラクエ』と呼ばれる作品。スーパーファミコン購入と同時にドラクエ4のロムカートリッジから物理的に卒業していく少年たちの『最後の冬』だった。

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ソニーCDウォークマン D-J50・D-202、ポータブル音楽の主役交代

1990年冬、ソニーのCDウォークマンが第3世代に入り、D-J50(1990年発売)などのスリム機がポータブル音楽の主役。アナログのカセットウォークマンと併売され、徐々にCDへシフトする冬。

カセットウォークマンが80年代の象徴だったとすれば、90年代初頭はCDウォークマンの時代。1990年冬は両者がまだ並走する移行期で、若者の通学カバン・通勤バッグの中にCDウォークマンと数枚のCDが入っているのが当たり前の風景に。電車の中でカセットからCDへ買い替えた人と、まだカセット派の人が混在した冬。

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NEC PC-9801、ビジネスパソコンの絶対王者

1990年冬時点でNEC PC-9801シリーズが日本のビジネスパソコン市場で約80%のシェア。MS-DOS+一太郎・Lotus 1-2-3が標準ソフト構成。

オフィスのデスクには PC-9801UV・VM・RX が並び、緑色の文字でDOS画面に向かうサラリーマン・OLの姿が標準。一太郎での文書作成・Lotus 1-2-3の表計算が冬のオフィスの定番作業。Windows 95はまだ5年先、Macintoshはまだ高価で個人ユース中心、PC-9801が日本のビジネスを文字通り動かしていた最後期の冬。

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ポケットベル数字通信、契約者数200万件突破

1990年冬時点でポケベル(ポケットベル)契約者数が約200万件を突破。仕事用が中心だが、若者向けの数字通信文化(語呂合わせ)が広まり始めた時期。

ビジネス用の連絡ツールだったポケベルが、若者向けに『0840(おはよう)』『3470(さよなら)』のような語呂合わせ通信で使われ始める入口の冬。携帯電話はまだ社用車・高額所得者の道具、PHSはまだサービス開始前(1995年)、公衆電話とポケベルの組み合わせが標準だった時代。1995年の1078万件ピークへ向けた爆発成長の入り口。

food · 食べもの1

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カルピスウォーター発売(1991年2月1日)

カルピス食品工業が1991年2月1日、そのまま飲める「カルピスウォーター」を発売。キャッチコピーは「遅くなってごめん」。

大正時代から水で薄めて飲む乳酸飲料として親しまれてきたカルピスを、コンビニや自販機で買ってそのまま飲めるボトル飲料として初めて商品化した。発売は1991年2月1日で、キャッチコピー「遅くなってごめん」は、長年親しまれてきた老舗ブランドがようやく手軽な形で登場したことを表現したもの。爆発的に売れるのは同年4月のテレビCM開始後で、この冬の時点では発売されたばかりの新顔だった。

cm ads · CM・広告1

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アサヒの缶コーヒー『J.O.』、王貞治とハンク・アーロンのCM

1990年にアサヒビール飲料が発売した本格派缶コーヒー『J.O.(ジョー)』は、日米のホームラン王、王貞治とハンク・アーロンを起用したCMで知名度を上げた。

1990年発売のJ.O.は「本格的な味わい」を打ち出した缶コーヒーで、日米のホームラン王を並べた豪華なCMが話題になった。J.O.のヒットで他のビールメーカー系も本格志向の缶コーヒー開発に参入し、市場全体が活気づいた。冬はホット缶コーヒーの最盛期で、駅前やオフィス街の自販機で温かい缶を手に取るのが日常の風景だった。

infrastructure · 街・インフラ1

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コンビニ24時間営業の拡大、セブン・ローソン・ファミマの三強完成

1990年冬時点でセブン-イレブン約4000店、ローソン約3000店、ファミリーマート約2500店。24時間営業の店舗比率が急速に拡大、日本の深夜風景に定着しつつあった時期。

それまでは商店街・スーパーが閉まる時間以降の買い物難民だった日本人が、コンビニで24時間いつでも商品にアクセスできる時代に。冬のおでん・中華まん・カップ麺・週刊誌が標準ラインナップ。バブル末期の深夜の都市部では、タクシー運転手・スナック帰り・OL・大学生が交わる場所として機能していた。

ここに並べたのは、1990に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。

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