B'z『太陽のKomachi Angel』、B'z 初のオリコン1位
1990年6月13日リリース、B'z 5thシングル。グループ初のオリコン週間1位獲得シングル。
稲葉浩志・松本孝弘のB'zが、デビューから1年半でついにシングルチャート1位に到達した記念作。明るく駆け抜けるテンポ、夏の海・ドライブを連想させるサウンドで、その後の連続1位記録の起点となった。1990年夏は、後の90年代を支配する2人組ロックユニットが本格的にメインストリームへ姿を現した季節。
SUMMER · 1990
平成2年 · 6・7・8月 · 全 70 件
バブル経済の頂点から滑り落ち始めた最初の夏。6月29日に礼宮文仁親王と川嶋紀子の結婚の儀、7月1日に東西ドイツ通貨統合、7月9〜11日にヒューストン・サミット、そして8月2日にイラクがクウェートに侵攻して湾岸危機が始まった。米米CLUB『浪漫飛行』がJAL沖縄のCMで街中を飛び回り、サザン『真夏の果実』が稲村ジェーンの予告とともに夏の終わりを彩り、B'zが『太陽のKomachi Angel』で初のオリコン1位を取った夏。スーパーファミコンの発売予告(11月21日)が出て、ティラミスが雑誌Hanakoの特集をきっかけに全国に広がり、サッカーW杯イタリア大会(6/8〜7/8、西ドイツ優勝)と甲子園(8/8〜21、天理初優勝)がテレビを支配していた。
この季節を、シンヤの声で聴く1990年6月13日リリース、B'z 5thシングル。グループ初のオリコン週間1位獲得シングル。
稲葉浩志・松本孝弘のB'zが、デビューから1年半でついにシングルチャート1位に到達した記念作。明るく駆け抜けるテンポ、夏の海・ドライブを連想させるサウンドで、その後の連続1位記録の起点となった。1990年夏は、後の90年代を支配する2人組ロックユニットが本格的にメインストリームへ姿を現した季節。
1990年6月21日リリース、久保田利伸6thシングル。アサヒ飲料「バヤリースオレンジ」CMタイアップ。
日本のR&Bの先頭を走っていた久保田利伸が、夏のCMタイアップで街角の聴覚を支配した1曲。バヤリースのオレンジ色の缶と、久保田の伸びる歌声が、夏の自販機・コンビニのBGMとして繰り返し流れた季節。この年末に紅白歌合戦に初出場し、メインストリームでの存在感が確立される。
1990年6月27日リリース、沢田知可子8thシングル。4thアルバム『I miss you』からのシングルカット。ミリオンセラー、翌年第24回全日本有線放送大賞グランプリ。
発売直後はそれほど目立たなかったが、有線放送のリクエストでじわじわと火がついて夏〜秋に大ヒットへ。会いたい人にもう会えない、というシンプルなテーマが、当時の働き世代・親世代の感情を捉えた。年末の紅白歌合戦初出場へつながる出世作で、1990年夏の有線放送の象徴。
1990年7月25日リリース、サザンオールスターズ28thシングル。桑田佳祐監督映画『稲村ジェーン』(9月8日公開) 主題歌。
桑田佳祐が監督・音楽を担当した映画『稲村ジェーン』の主題歌として書き下ろされた、湘南の夏を捉えたミドルバラード。映画公開を前に夏の有線・ラジオでヘビーローテーション。サザンのなかでも世代を越えて歌い継がれる代表曲の一つで、1990年の夏のサウンドの象徴。
1990年7月7日リリース、TM NETWORK 21stシングル。マクセル『NEW UD』カセットテープCMキャンペーンソング。TM NETWORK名義として最初で最後のオリコン週間1位。
小室哲哉プロデュース時代のTM NETWORKが、夏に1位を取った象徴的な1曲。当初シングル化予定はなかったが、CMを見たファンの問い合わせ殺到で発売が決定。宇都宮隆のボーカルが夏のドライブと結びつく仕様で、TMが解散モード(1991年TMN改称→1994年活動凍結)へ向かう前の最後の頂点。
1990年7月1日リリース、渡辺美里両A面シングル。アルバム『tokyo』(7月7日発売、キャッチコピー「夏が来た。」) 先行曲。
1986年デビューから20代に入った渡辺美里が、当時のバンドブームを意識した『恋するパンクス』を含む両A面でアルバム『tokyo』を発信。西武球場のソロライブが恒例化していた時期の渡辺美里と、ロックバンドの夏という主題が結びついた1枚。
1990年7月25日リリース、PINK SAPPHIRE デビューシングル。フジテレビ系月9『キモチいい恋したい!』主題歌。オリコン週間最高2位、1990年年間12位。
テレ朝『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天) 出身の女性4人組ロックバンドのデビュー曲。月9主題歌として夏の街角で繰り返し流れ、当時のバンドブームと女性バンドの台頭を象徴する1曲。バンド名にもなった代表曲。
1990年7月リリース (シングル)、アルバム『Blaze of Glory』は1990年8月7日リリース。映画『ヤング・ガン2』インスパイア曲・主題歌。1990年Billboard Hot 100で1位。
エミリオ・エステヴェス主演の西部劇続編『ヤング・ガン2』のために、ジョン・ボン・ジョヴィが初めてソロ・プロジェクトとして書き下ろした1曲。アコースティックギターから入る西部劇テンションが、夏のドライブと完全に共鳴して全米1位へ。彼にとってバンド外での最大のヒットになった夏。
1990年7月25日発売、THE BLUE HEARTS初の単独オリコン週間1位シングル。TBS系ドラマ『はいすくーる落書2』主題歌。
バンドブームの旗手ブルーハーツが夏休みの10代に直撃したロックアンセム。「なんのために生まれて なにをして生きるのか」という問いが、夏の終わりの切なさと結びついた。コンサートの大合唱、カラオケの定番として、世代を縦断して歌い継がれた。
1990年7月17日発売、中森明菜の約1年3か月ぶりの復帰シングル。ノンタイアップでオリコン週間1位2回・年間6位・約55万枚。
長期休養から夏に帰ってきた中森明菜の復活作。タイアップなしでファンの「おかえりなさい」という感情が買い支え、オリコンが特筆するほど異例のヒットになった。完成度の高いバラードが夕方のFM・有線に流れ続け、1990年夏の最大ニュースのひとつだった。
1990年7月21日発売、奥田民生作詞作曲。フジテレビ系深夜バラエティ『夢で逢えたら』オープニングテーマ。
毎週深夜、『夢で逢えたら』のオープニングで流れたユニコーンのカラッとしたポップロック。会社員の悲哀をコミカルに歌いながら「せーのでジャンプして宇宙まで」が夏の解放感として機能した。バンドブームのなかで「一番楽しいバンド」として、学生からサラリーマンまでカラオケで歌った夏の夜の定番。
アルバム収録が1990年7月25日。大阪FM802の夏ヘビーローテーションでラジオに流れ続け、9月1日にシングルカット。最終200万枚超のモンスターヒット。
KANのアルバム曲を大阪FM802が夏にヘビーローテーションで回し続けて全国波及した、ラジオDJが仕掛けたヒットの典型。「必ず最後には愛は勝つ」という直球メッセージが、バブルの終わりを予感させる時代にポジティブな一矢を放った。シングル化は秋だが、夏のFMでこの曲に背筋を伸ばした記憶を持つ世代は多い。
1990年7月25日発売、長渕剛23枚目シングル。ノンタイアップでオリコン最高2位・約30万枚。
「とんぼ」「激愛」で連続1位を重ねた長渕剛がノンタイアップで夏に勝負した1曲。ジープで走りながら後悔と決意を綴る歌詞が、バブルの浮ついた空気のなかで「男くさい」選択をした世代に響いた。夏の深夜ドライブのBGMとして口コミで広まり、カラオケでも夏の定番になった。
1990年7月11日発売、中山美穂19枚目シングル。協和埼玉銀行カードのCMソング(本人出演)。
ドラマ・映画と多忙だった中山美穂が、夏に銀行カードのCMタイアップ曲を投下。CMに自ら出演した映像が夏のテレビで流れ、ポップでさわやかなシングルがメディアを通じて定着した。アルバム『JeweLuna』の先行シングルとしても機能した夏の1曲。
1990年8月29日リリース、JITTERIN'JINN 4thシングル。破矢ジンタ作詞作曲。
夏の終わりに発売され、当時はそこそこのヒットに留まったが、その後カラオケ・スポーツの応援歌として長く歌い継がれることになる楽曲。後にWhiteberryのカバー(2000年) で再ブレイクする原曲で、1990年8月末の街の屋台と祭りの空気をそのまま閉じ込めたサウンド。
映画『少年時代』は1990年8月11日公開(シングルは9月21日)。映画の予告・劇中・TVCMで夏じゅう流れた、藤子不二雄Ⓐ原作・篠田正浩監督映画の主題歌。
篠田正浩監督の映画が8月に公開され、主題歌の美しいメロディーがTVCM・映画予告とともに夏空に流れ始めた。「夏が過ぎ 風あざみ」という歌い出しは、1990年の夏の終わりを最も的確に表現した一行として語り継がれている。翌年のソニーCM起用でさらに爆発した。
1990年8月18日発売、光GENJIのデビュー3周年記念10枚目シングル。作曲:馬飼野康二。
ローラースケートと前髪でアイドルシーンを独占した光GENJIが、夏の盛りに3周年を記念してリリース。連続オリコン1位記録が途絶えた直後のシングルで、ファンへの「まだここにいる」という存在感を夏に示した。夏の野外イベントでローラースケートが会場を滑り回り、小中学生の夏休みの記憶に刻まれた。
1990年8月22日発売、ジャニーズ6人組のデビューシングル。美空ひばり「お祭りマンボ」をベースに。デビュー4か月で紅白初出場(当時史上最短)。
光GENJIの後継として期待されたジャニーズの新グループが、祭り一色のデビュー曲で夏の終わりに登場。揃いの衣装で踊る映像が茶の間を騒がせ、デビュー即オリコン3位・史上最短の紅白初出場がニュースとして流れ続けた。夏リリースながら秋まで話題が持続した。
1990年1月13日アルバム『Please Hammer Don't Hurt 'Em』収録、5月シングルカット。Billboard Hot R&B 1位、Hot 100は8位。アルバムはR&B/Hip-Hop Albumsで4月から29週連続1位。
リック・ジェイムスの『Super Freak』をサンプリングし、軽快なステップと『Stop! Hammer Time』のフックで世界中に拡散したヒップホップの大衆突破作。MVのハーレムパンツが流行し、深夜の洋楽番組から朝のワイドショーまでこの曲を流した1990年夏の特異な現象。
1990年1月16日発売、フジテレビ系アニメ『ドラゴンクエスト』エンディングテーマ。オリコン年間18位・約40万枚のロングヒット。
ドラクエアニメのエンディングとして、ゲームブームに乗った子ども・若者が毎週耳にした徳永英明の美しいバラード。1月リリースながら年間18位というロングヒットで、夏もFM・カラオケで「ゲームの曲だけど良い曲」として歌い継がれた。徳永英明の歌の上手さをアニメ層に広めた1曲。
1990年1月発売、ドイツ発ユーロダンスSnap!。Billboard最高2位、UK1位。夏を通して16週チャートインのロングヒット。
「I've got the power!」の叫びで世界中のクラブとラジオが踊り出した、ヒップホップとユーロダンスを掛け合わせた斬新なサウンド。日本の都市型FMが求めていたカッコいい「外国の空気」を体現し、繰り返されるビートの「かかりやすさ」がラジオのヒット曲として機能した典型。
1990年1月発売、4月にBillboard Hot 100で1位・4週連続首位。プリンス作の原曲を歌った世界的ヒット。
顔だけを大写しにし、終盤に本物の涙が伝うミニマルなMVが「あの涙の映像」として世界に焼き付いた1曲。MTVで異常なヘビーローテーションを受け、日本でも「ベストヒットUSA」で繰り返し放映された。Billboard1位は春だが、夏に向けても「今年の顔」として日本の洋楽FMで流れ続けた、1990年の記憶喚起力が最も強い曲のひとつ。
1990年2月10日リリース、DREAMS COME TRUE 5thシングル。TBS系ドラマ『卒業』主題歌。DCT初のオリコンTOP10入り。
中山美穂主演のドラマと組んで、DCTが一気にメインストリームへ駆け上がった出世作。吉田美和の声が「春に始まり夏まで売れ続ける」典型的なロングセラー曲となり、年末の紅白歌合戦初出場へ繋がる。1990年夏の有線でずっと鳴っていたバラード。
1990年2月27日リリース、Wilson Phillipsのデビューシングル。1990年6月9日付Billboard Hot 100で1位。1990年米国年間1位シングル。
ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン系2人とママス&パパスのジョン・フィリップス系1人による『音楽家二世』ユニットのデビュー曲。透明感のあるハーモニーが90年代頭のFMで支配的に流れた。夏のドライブ・ビーチサイドのBGMの定番に。
1990年2月7日発売、フジテレビ系月9『世界で一番君が好き!』主題歌。年間チャート3位・約61万枚。
浅野温子と三上博史の月9ドラマ主題歌。ドラマ終了後もリンドバーグのガールズロックはカラオケに定着し、「今すぐKiss Me 迷わないで」というサビが夏を通して叫ばれた。女性ロックバンドが月9主題歌をとる新鮮さも相まって、夏の歌番組でも頻繁に披露された。
1990年3月20日リリース。1990年5月19日付Billboard Hot 100で1位、夏にかけて世界的ヒット。1990年の世界売上200万枚超 (8月時点) でこの年の世界1位ソング。
ボールルーム文化のヴォーギングを取り入れ、ファッション誌『VOGUE』の名を借りた1曲。マドンナのキャリアでも最大級のヒットとなり、夏のディスコ・クラブ・FMで世界中で繰り返し流れた。MTV的なビジュアル時代を象徴する1曲でもある。
1990年3月20日リリース (映画『プリティ・ウーマン』サウンドトラック収録版)。1990年6月16日付Billboard Hot 100で1位、2週連続首位。1990年Billboard年間2位。
スウェーデンのデュオRoxetteが、映画『プリティ・ウーマン』のサントラとして再リリースした1曲。元は1987年クリスマス曲を映画用に1語だけ変えて使った経緯。マリー・フレドリクソンのドラマチックなボーカルが、夏のラジオで毎日のように流れた。
1990年3月発売、6月にBillboard最高3位。ニュー・ジャック・スウィングの旗手ベル・ビヴ・デヴォー。
ボーイズIIメンの前身グループのメンバーが独立したトリオが、「ガールは絶対信用するな」というヒップホップ的リアリズムをR&Bに持ち込んだ衝撃作。「That girl is poison」の耳に刺さるフックがMTV時代のダンスミュージックとして日本のFMでもかかった。ニュー・ジャック・スウィングが一気にメインストリーム化した象徴曲。
1990年4月8日CDシングルとして再発売、米米CLUB 10thシングル。JAL沖縄キャンペーン「JAL STORY 夏離宮」CMソング。ミリオン突破、オリコン年間2位。
元はアルバム収録曲だったが、JALのCMタイアップで1990年夏に爆発的にヒット。石井竜也の伸びる声と「飛び立とう 未来信じて」のフレーズが、バブル末期の旅行ブームと完全に共鳴した。羽田・成田から南へ飛ぶ夏休みの記憶と結びつく1曲。
1990年4月21日リリース、プリンセス プリンセス 9thシングル。全国ツアー『PANIC TOUR '90』応援歌、オリコン週間1位。
前年の『Diamonds』『世界でいちばん熱い夏』で頂点に立ったプリプリが、ツアーの幕開けにあわせて投入した1枚。岸谷香(当時:奥居香)の伸びるボーカルと、開放感のあるバンドサウンドが、1990年夏のフェス・ライブハウスの熱気を象徴した。
1990年4月4日発売、B.B.クィーンズのデビュー曲。フジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』エンディングテーマ。オリコン年間1位、累計165万枚。
日曜夕方のちびまる子ちゃんのエンディングで毎週流れ、夏休みにかけて全国の茶の間を席巻した1990年の「公式テーマソング」。8月から始まった全国歌謡ベストテン13週連続1位は当時の記録。有線・カラオケ・テレビを三重に支配し、子どもから大人まで「ピーヒャラ」と口ずさんだ夏。
1990年5月16日リリース、杉山清貴10thシングル。オリコンTOP10入り。
オメガトライブ解散後にソロとして活動を続けていた杉山清貴が、1990年の初夏に投入したバラード。リゾート・夕暮れ・別れ、というキーワードと結びつく『シティポップ後継世代』の声が、夏のFMで流れ続けた1曲。
1990年5月21日リリース、TUBE 14thシングル。
前田亘輝・春畑道哉のTUBEが、夏のはじまりに合わせて投入した夏休みを丸ごと歌った1曲。初夏のドライブ・海・プールサイドとセットで再生される代表曲となり、TUBEが『夏のバンド』として完全にブランド化された1990年代のサウンド。
1990年5月5日発売、たまのデビューシングル。初登場オリコン1位・累計59万枚。『三宅裕司のいかすバンド天国』出演で話題に。
ちんどん屋風のサウンドと独特の声、ナンセンスな歌詞でバンドブームに殴り込んだ「たま」のデビュー曲。イカ天で話題になりメジャーデビュー即1位という快挙は夏まで語り継がれた。深夜ラジオで繰り返しかかり、友人同士「さよなら人類〜」と歌って笑った記憶が残る世代は多い。
1990年5月16日発売、氷室京介5枚目シングル。フジテレビ系月9ドラマ『恋のパラダイス』主題歌。オリコン2週1位(非連続)。
BOOWY解散後、ソロ路線を走り始めた氷室京介が月曜夜9時のトレンディドラマに提供した1曲。5月から夏にかけてFM・有線で流れ続け、ロック出身のボーカリストが甘いラブソングを歌うギャップが魅力に。夏の歌謡番組の常連として夏の風景を彩った。
1990年5月9日発売、工藤静香が初めて自作詞したシングルでオリコン1位。太陽誘電カセットテープ「That's」のCMソング(本人出演)。
連続オリコン1位街道を歩む工藤静香が、初の自作詞シングルで夏前に登場。カセットテープのCMに自ら出演した映像が夏のテレビで繰り返し流れ、「CMの人」から「アーティスト」へのイメージ転換を演出した。9作連続オリコン1位という偉業も達成した夏。
1990年5月15日発売、マライア・キャリーのデビューシングル。8月4日付Billboard Hot 100で1位・4週連続首位。
大聖堂を背景にしたMVで、無名だった20歳のマライアが驚異的な声域を世界に証明したデビュー曲。MTVでの放送とともに「この声は何者だ」という口コミが爆発し、真夏の米チャートを制覇した。日本でも夏のFMで頻繁にかかり、後の「世紀のディーヴァ」の出発点として記憶される。
1990年5月発売、映画『アドベンチャーズ・オブ・フォード・フェアレーン』サウンドトラック曲。8月にBillboard最高2位。フィンチャー監督のMVがMTV VMA受賞。
若い女性が年上男性の部屋で踊り出すセクシーな映像を、後に『セブン』『ファイト・クラブ』を撮るデイヴィッド・フィンチャーが演出した、MTV時代の代表作のひとつ。ビリー・アイドルはバイク事故のため大写しで映るのみという演出が、かえって異様な迫力を生んだ。日本でもMTV経由で夏に繰り返し流れたロックヒット。
1990年5月発売、6月30日付Billboard Hot 100で1位・3週連続首位。ティーンポップ旋風の頂点。
NKOTB旋風が日本にも上陸していた1990年、夏の入口を飾った3週連続首位曲。ダンス振付つきのMVが若者文化を席巻し、日本の洋楽FMでも「今週の1位」として何度もかかった。コーラスの覚えやすさが老若男女に届いた、夏のティーンポップの象徴。
1990年5月発売、7月21日付Billboard Hot 100で1位・2週連続首位。日本でも3インチCDシングルが発売された。
「Nothing's Gonna Change My Love for You」で日本でも人気だったハワイ出身グレン・メデイロスが、ニュー・ジャック・スウィングの寵児ボビー・ブラウンを迎えた1曲。夏の真っ盛り7月に米首位を獲得した文字通りの「夏の曲」で、クールでおしゃれなアッパーチューンとして日本のFMでも流れた。
1989年秋初リリース→1990年5月再リリース(「Healing Hands」とのダブルA面)。1990年6月に英国でエルトン初のソロ首位・5週連続。
華やかなポップではなく、エルトンの内省的な側面が全面に出たミドルテンポの大人のバラード。英国のDJたちが「この曲は絶対に流すべきだ」と自発的に流し始めて復活した逸話が話題に。日本の洋楽FMでも「エルトンが英国初の単独1位」のニュースとともに夏に流れ、落ち着いたFMの時間帯を象徴した。
1989年9月1日リリース、DCT 4thシングル『うれしはずかし朝帰り』のB面。1990年もCMタイアップで街中で流れ続けた。
本来は前年のシングルB面曲だが、CMタイアップやテレビ番組での使用で1990年に入っても継続的に流れ、結果的に夏の街中で『DCTといえばこの曲』というポジションを獲得していった。吉田美和の声と『うれしい たのしい 大好き』の繰り返しが、バブル末期の楽観的な空気と完全に一致した。
1989年12月1日リリース、X (現X JAPAN) 4thシングル。1990年オリコン年間21位 (35.7万枚)。
ハードロックバンドXがバラードの真価を示した1曲。YOSHIKIの作詞作曲、TOSHIの伸びるボーカル。1990年に入ってもチャートに残り続け、夏のカラオケでは『泣ける曲』の定番として歌われ続けた。後の『紅』『Tears』へと続くX JAPANバラード路線の出発点。
1990年6月29日、皇居・賢所で結婚の儀。礼宮文仁親王が秋篠宮を創設、川嶋紀子さんが秋篠宮妃に。世田谷区のマンションから皇室入りした紀子さんは『3LDKのプリンセス』と呼ばれた。
学習院大学の同級生だった二人の結婚は、初夏の日本のメディアを占有した。雅子妃 (1993年皇太子妃) より前に皇室入りした学生時代からの『プリンセス』で、世田谷の社宅マンション住まいだった彼女の生活背景が話題に。バブル末期の若者にとっても、自分たちと地続きのお妃像として親しみを持って受け止められた。
1990年7月1日、西ドイツマルクが東ドイツに導入され、通貨・経済・社会同盟が成立。10月3日の正式統一に向けた決定的なステップ。
前年11月のベルリンの壁崩壊から半年余り。東ドイツ住民が手にする通貨が一気に西ドイツマルクへ切り替わり、東西の経済格差を一挙に統合する歴史的な日。世界中のテレビでベルリンの両替所に並ぶ人々の映像が流れた、戦後ヨーロッパの構造が変わる瞬間。
1990年7月9日〜11日、米国テキサス州ヒューストン開催の第16回先進国首脳会議。議長はジョージ・H・W・ブッシュ米大統領 (息子のジョージ・W・ブッシュではない)。
東欧革命後の世界秩序、ソ連支援、地球環境問題が議題に。ブッシュ大統領は前夜の非公式会談で各国首脳をロデオとバーベキューでもてなし、テキサスらしい接遇として報道された。日本は海部俊樹首相が出席。バブル末期の日本が国際舞台で経済大国として振る舞った最後の方の場面。
1990年8月2日未明、イラク軍が国境を越えてクウェート領内に侵攻。世界が新しい戦争の予感に包まれた夏。
サダム・フセイン政権下のイラクが、石油資源と経済問題を理由にクウェートを併合宣言。国連安保理は即日非難決議、米国主導で『砂漠の盾』作戦が発動 (8月7日) し、後の湾岸戦争 (1991年1月) へ繋がる。日本のテレビ・新聞も、湾岸危機の連日報道で夏の後半を埋めた。
1990年8月7日、米軍の湾岸地域への展開命令が発令。『砂漠の盾』作戦の開始。
クウェート侵攻からわずか5日後、米国はサウジアラビアへの大規模兵力展開を決定。空母・戦闘機・地上軍が次々と湾岸に集結する映像が日本のニュースでも連日流れ、後の湾岸戦争 (1991年1月17日開戦) への助走期となった。日本でも『多国籍軍への財政支援』が議題に上り始める。
1989年12月29日の終値最高値38,915円から下落、1990年4月2日に28,002円まで急落。7月に33,000円台に一時回復するが、8月のクウェート侵攻で再び下落。日銀公定歩合は8月30日に6.0%へ。
バブル経済の頂点から滑り落ち始めた最初の夏。3月の不動産融資総量規制をきっかけに地価・株価の調整が本格化。8月の湾岸危機が、ようやく一息ついていた株価に再びショックを与え、後年『バブル崩壊の入口の夏』として語られることになる。多くの企業・金融機関がまだ『一時的な調整』と捉えていた季節。
1990年8月30日、日銀が公定歩合を5.25%から6.0%に引き上げ。1989年5月の2.5%から5回目の利上げで打ち止め。
三重野康日銀総裁による段階的な金融引き締めの最終段階。バブル経済の鎮静化を狙った政策が、結果として『バブル崩壊』を加速させていく。住宅ローン金利が一気に上がり、不動産取引が冷え込んだ。湾岸危機のショックと重なって、夏の終わりの市場心理を凍らせた。
フジテレビ系木曜21:00、1988年10月13日〜1997年3月27日放送。1990年夏も人気絶頂期。
とんねるず (石橋貴明・木梨憲武) が、コント・パロディ・ヒット曲企画で木曜の夜のテレビを支配していた時期。「仮面ノリダー」「保毛尾田保毛男」など、当時の流行語を量産。1990年夏もこの番組をきっかけに会話が回っていた、ゴールデンタイムの中心地。
フジテレビ系月曜21時、1990年7月2日〜9月24日、全13回。主演:安田成美、吉田栄作。主題歌:PINK SAPPHIRE『P.S. I LOVE YOU』。
旅行代理店を舞台に、3人の『オジギャル』(カナ・エリ・ユキ) と3人の男性社員が恋と仕事を巡る月9ラブコメディ。劇中でPINK SAPPHIREが演奏シーンに出演する構成。バブル末期のOL文化・海外旅行ブーム・DCブランド・ボディコンの時代の空気をそのままに映した夏のドラマ。
フジテレビ系列、1988年10月14日〜1991年11月30日深夜枠で放送。1990年夏は中盤の絶頂期。
ダウンタウン・ウンナンチャン・野沢直子・清水ミチコの4組によるコント番組。深夜枠ながら若手芸人の登竜門として確立し、後年のお笑いの方向性を決めた番組。1990年夏は、深夜にこの番組を見ていた若者が翌日学校・会社で語り合うサイクルが完成していた時期。
1990年6月23日公開、東映配給、角川春樹監督。海音寺潮五郎原作。配給収入50.5億円、興行収入92億円で1990年邦画No.1ヒット。主演:榎木孝明。
角川春樹自らメガホンを取った大作戦国劇。上杉謙信(榎木孝明)と武田信玄(津川雅彦)の川中島の戦いを軸に、大規模な合戦シーンと壮大な美術で観客を呼んだ。バブル末期の映画製作費の象徴とも言える映画で、夏休みの劇場の中心になった邦画。
米国1990年6月1日公開、日本公開は12月1日。ポール・バーホーベン監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演。フィリップ・K・ディック原作。
火星を舞台にしたSFアクション。夏のうちは輸入版予告編・洋画雑誌で日本でも話題に。シュワルツェネッガーの肉体派ヒーロー像と、バーホーベンの容赦のない描写、フィリップ・K・ディックの記憶を巡る原作が組み合わさり、後の90年代SFの方向性を決めた作品の1つ。
米国1990年7月4日公開、日本公開は9月21日。レニー・ハーリン監督、ブルース・ウィリス主演。
ダレス国際空港を舞台にした続編。米国独立記念日の興行ど真ん中で大ヒットし、夏のあいだは予告編が日本の劇場でも繰り返し流れた。ブルース・ウィリスのジョン・マクレーン刑事像が完全に確立され、日本でも『秋にやってくる超大作』として認知された夏。
米国1990年3月23日公開、日本公開は12月15日。米国興行収入1億7800万ドル、世界4億6300万ドル。
リチャード・ギア×ジュリア・ロバーツの現代版シンデレラ・ストーリー。日本公開は秋以降だが、夏の段階で予告編がテレビ・劇場に流れ、Roxette『It Must Have Been Love』が全米1位を取ったことで世界中で話題に。日本でも『冬休みに必ず見る映画』として予告期から認知が広がっていた。
1990年9月8日公開、桑田佳祐 初監督・音楽。1990年邦画配給収入4位 (18.3億円・観客動員350万人)。サウンドトラックは累計133.7万枚のミリオンセラー。
サザン桑田佳祐が初めて映画監督を引き受けた1作。湘南・稲村ガ崎を舞台に、伝説のサーファー『ジェーン』にまつわる若者たちの夏を描いた。本編公開前から夏のあいだメディア露出が大量で、主題歌『真夏の果実』・サントラ・予告編が連動して湘南カルチャーを再燃させた。
マガジンハウス『Hanako』(1988年創刊) は、首都圏の20代女性をターゲットに、レストラン・カフェ・旅行を特集。1990年は雑誌の最盛期で、特集された店には行列ができるほどの影響力。
想定読者像は『結婚平均年齢27歳、年2回海外旅行、ブランド物を思い切って買うが貯蓄もする』。バブル末期のOL文化の象徴的なメディアで、彼女たちが牽引する消費傾向 (ティラミス・タピオカ・カフェ通い・海外グルメ) が、日本の都市文化を作った夏。
ワンレン・ボディコンに象徴されるバブル女性ファッションが定着。芝浦GOLD・マハラジャなど都心のディスコが熱狂、扇子を持って踊る『お立ち台ギャル』文化はジュリアナ東京 (1991年5月開業) 直前の最盛期。
DCブランド (BIGI、コム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモト、ピンクハウス等) と、ボディコンワンピース・厚底パンプスの組み合わせがバブル末期の女性ファッションを支配。週末の夜、芝浦GOLDのフロアやマハラジャの六本木店で、扇子を持って踊る光景が当時のテレビ・週刊誌で繰り返し報道された。
雑誌『Hanako』(マガジンハウス) 1990年4月12日号『イタリアン・デザートの新しい女王、ティラミスの緊急大情報』特集が起爆剤。同時期『女性自身』も特集で、1990年夏に全国へ波及。
バブル末期の『イタメシ』ブームと結びついて、ティラミスが流行語化した夏。当初は東京の一部のカフェ・イタリアンの定番だったが、雑誌『Hanako』に取り上げられたあと数か月で北海道の原野の喫茶店まで届いた。翌1991年にはコンビニ・大手菓子メーカー・コロッケ・スープにまでティラミス味が登場するほど浸透。
1990年6月8日〜7月8日開催。決勝7月8日 (ローマ・スタディオ・オリンピコ)、西ドイツ1-0アルゼンチン、決勝点はアンドレアス・ブレーメのPK。西ドイツ3度目の優勝。
前回優勝のディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチンと、フランツ・ベッケンバウアー監督の西ドイツとの決勝。試合終盤のPKで決まり、マラドーナが敗戦後に涙する映像が世界に流れた。日本でも深夜中継が定着し、6月の夜更かしの代名詞。20世紀最後の『東西統一前の西ドイツ』としての優勝でもあった。
1990年F1世界選手権、マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとフェラーリのアラン・プロストが激戦。最終的に10月の鈴鹿日本GP第1コーナーでセナがプロストに接触、セナが2度目の年間王者に。
夏は欧州ラウンド (フランス・イギリス・ドイツ・ハンガリー・ベルギー・イタリア) が連続する時期。前年マクラーレンを離れフェラーリへ移ったプロストと、マクラーレンに残ったセナの対決が毎週末の話題に。フジテレビの深夜中継が、F1の地上波放送黄金期を作っていた。
セ・リーグは藤田元司監督の巨人が2位広島に22ゲーム差をつけて優勝。パ・リーグは森祇晶監督の西武が連覇。日本シリーズで西武が巨人を4連勝のスイープ。
斎藤雅樹が20勝で投手三冠王 (最多勝・最優秀防御率・最多奪三振)、原辰徳・吉村禎章ら主力打線が機能して、巨人が圧倒的にセ・リーグを制覇した夏。一方パ・リーグは清原和博・秋山幸二・デストラーデの『AKD砲』を擁する西武が連覇に向かって独走。後年『西武黄金時代』として語られる時期の真ん中。
1990年8月8日〜21日、阪神甲子園球場で開催。決勝で天理 (奈良) が1-0で沖縄水産 (沖縄) を破り、奈良勢初の夏制覇。沖縄水産は沖縄勢として初の決勝進出。
甲子園史上に残る投手戦の決勝。天理エースの投球と、沖縄水産の本土遠征を超えた決勝進出が、夏の高校野球ファンの記憶に深く刻まれた大会。沖縄勢の決勝という初の出来事で、那覇の街角は夏の終盤、テレビの前で熱を上げた。
1990年6月21日、任天堂が同年11月21日発売・本体価格25,000円を正式発表。当初は1989年7月発売予定だったが半導体不足で延期されていた。
ファミコンの後継機として『16ビット時代の任天堂』を担う本体の正式発表。発表後はファミコン店頭で予約合戦が始まり、夏のあいだは『スーファミ待ち』の空気が広がった。発売日11月21日はクリスマス商戦に向けて練られた日付で、年末の大行列に向けた助走が夏に始まった。
1990年は『8ビット ファミコン健在+PCエンジン円熟+メガドライブ反撃+スーファミ発売待ち』のゲーム機4極状態。年内出荷ではファミコン136万台、PCエンジン127万台、メガドライブ70万台。
ファミコンが任天堂の屋台骨として依然100万台超を売り、ハドソン×NECのPCエンジンがCD-ROM2システムで大人ゲーマー層を取り、セガのメガドライブが16ビットで巻き返しを図っていた夏。ゲーセンでは『ストリートファイターII』の登場 (1991年) を控えてアーケード文化も成熟期を迎えていた。
1990年10月6日発売予定のセガ ゲームギア (本体19,800円) が、夏の段階で店頭・雑誌で予告。国産初のバックライト付きカラー液晶 (3.2インチ、4096色中32色同時発色) を搭載した携帯ゲーム機。
1989年に大ヒットした任天堂ゲームボーイへの対抗として、セガが投入する予定の携帯機。カラー液晶という最大の差別化要因で、ゲーム雑誌のグラビアを賑わせた夏。秋の発売に向けた『何かが変わるかも』という期待値が、ファミコン・PCエンジン・メガドライブの3つ巴に新しいレイヤーを加えた。
1990年7月、湖池屋が三角形のスナック『ポリンキー』を発売。最初の味はステーキソースとマイルドコーンの2品だった。
ふっくらした網目生地の2枚重ねと中空構造でサクサク軽い食感を実現した三角形のスナック。3体のキャラクター「スリーポリンキーズ」が歌い踊るテレビCMは放映と同時に小中学生の間で爆発的に流行し、「三角形の秘密」を尋ねる問い合わせが湖池屋に殺到する社会現象になった。
1987年に始まったコカ・コーラのCMキャンペーン「I feel Coke」は1990年版まで制作され、街角と若者の日常を切り取った映像が流れていた。
佐藤竹善らが歌うCMソングに乗せて、働く人や若者の何気ない瞬間を映すシリーズCM。バブル期の東京の空気をそのまま封じ込めたような映像美で、コカ・コーラの広告史でも屈指の人気キャンペーンとなった。1990年には「見えない自販機」篇などの1990年版が放送されている。
ここに並べたのは、1990年夏に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。
1990年 夏を聴く