SUMMER · 1987

1987の記録

昭和62年 · 6・7・8月 · 全 26

バブル前夜の高揚と消費文化が街を満たした三ヶ月。6月12日には郷ひろみと二谷友里恵の結婚披露宴が視聴率47.6%で茶の間を独占し、6月13日には広島・衣笠祥雄が2131試合連続出場の世界新記録を打ち立てた。7月23日には記録的猛暑のなか首都圏280万戸が停電。俵万智『サラダ記念日』が280万部のベストセラーとなり「7月6日」を特別な日にし、光GENJIが『STAR LIGHT』でローラースケートとともにデビューした。BOØWYの『Marionette』が夏の空気を切り裂き、8月31日には夕やけニャンニャンが幕を閉じておニャン子クラブが解散、ひとつのアイドル時代が終わった。甲子園ではPL学園が春夏連覇。

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Music · 音楽10

6

少年隊『君だけに』、筒美京平作の初バラードで映画『19』主題歌

1987年6月24日リリースの5枚目のシングル。オリコン週間1位、売上約28.8万枚。少年隊主演映画『19 ナインティーン』(8月1日公開)の主題歌。

作詞・康珍化、作曲・筒美京平、編曲・馬飼野康二。少年隊にとって初の本格的なバラードで、8月公開の近未来SF映画『19』の主題歌であり、ミュージカル『PLAYZONE'87』のテーマも兼ねた二重タイアップだった。デビュー曲『仮面舞踏会』に次ぐ売上を記録した、この夏のアイドルバラードの代表格。

6

中森明菜『BLONDE』、原曲は英語のシングルで連続1位を更新中

1987年6月3日リリースのシングル。オリコン週間1位(2週連続)、売上約30万枚。『サザン・ウインド』以来続くオリコン1位記録の一枚。

イギリスのBidduとWinston Selaによる英語曲に、麻生圭子が日本語詞をつけたもの。エルメスのスカーフを使った衣装演出でも話題になった。歌姫・中森明菜が連続1位の記録を伸ばし続けていた絶頂期の、夏の一曲。

6

ホイットニー・ヒューストン『すてきなSomebody』、夏の世界を包んだ多幸感

1987年5月リリース、6月27日付でビルボードHot 100の1位(2週連続)。邦題は『すてきなSomebody』。2ndアルバム『Whitney』の先行シングル。

ジョージ・メリルとシャノン・ルビカムの作。プロデューサーのナラダ・マイケル・ウォルデンがカリプソ調のビートを加えて完成させた。アルバム『Whitney』は女性アーティストとして史上初のビルボード総合チャート初登場1位を記録した。この夏、世界中のラジオから流れた多幸感あふれるダンスポップ。

7

小泉今日子『Smile Again』、マイナーキーの異色テクノポップ

1987年7月1日リリースのシングル。オリコン最高2位、売上約15.3万枚。

作詞・川村真澄、作曲・井上ヨシマサ、編曲・土屋昌巳(元一風堂)。当時のアイドル曲としては異例の短調(マイナーキー)のテクノポップで、宇宙的な画風で知られるイラストレーター長岡秀星の同名画集のイメージソングだった。キョンキョンがアイドルの枠を外しにいった、夏の実験的な一曲。

7

BOØWY『Marionette』、バンド初のオリコン1位・解散直前の代表曲

1987年7月22日リリースのシングル。オリコン週間1位(バンド初の1位)、売上約24.4万枚。BOØWY最大の売上シングル。

作詞・氷室京介、作曲・布袋寅泰。アルバム『PSYCHOPATH』の先行シングルで、バンドにとって初のオリコン1位。BOØWYはこの年の12月に突然の解散を発表し、翌1988年の東京ドーム公演ではチケットの電話予約が殺到して社会現象になる。その絶頂の直前、夏の街を切り裂いたロックの代表曲。

7

チェッカーズ『WANDERER』、メンバー作で通算9作目の1位

1987年7月8日リリースの12枚目のシングル。オリコン週間1位(通算9作目の1位)。

作詞・藤井郁弥、作曲・鶴久政治。メンバー自身が曲を書く路線に移っていた時期の作品。鶴久政治が「1位を取れなかったらパンチパーマにする」と宣言して見事1位を獲得した逸話が知られる。藤井フミヤを擁する人気絶頂のバンドの、夏のヒット。

8

光GENJI『STAR LIGHT』、ローラースケートでデビュー即1位

1987年8月19日リリースのデビューシングル。オリコン初登場1位。ローラースケートで歌い踊るスタイルが社会現象になった。

作詞・作曲はチャゲ&飛鳥(CHAGE&ASKA)、編曲・佐藤準。ミュージカル『スターライトエクスプレス』日本公演のイメージソングだった。デビュー曲でいきなり初登場1位を獲得し、ローラースケートのパフォーマンスが子どもたちを夢中にさせた。翌年の『パラダイス銀河』『ガラスの十代』へと続く、光GENJI旋風の始まりの夏。

8

杉山清貴『SHADE〜夏の翳り〜』、JALのCMで流れた夏の終わりのシティポップ

1987年8月26日リリースのソロシングル。オリコン初登場1位(2作連続)。日本航空(JAL)のCMソング。

作詞・青木久美子、作曲・杉山清貴。杉山清貴&オメガトライブ解散後のソロ第一線期の作品で、浅野温子が出演したJALのCMで流れた。「夏の翳り」というタイトルそのままに、夏の終わりの切なさをまとったシティポップ。湘南・海・夏のイメージを背負った彼の真骨頂。

8

工藤静香『禁断のテレパシー』、夏の最終日のソロデビュー

1987年8月31日リリースのソロデビューシングル。オリコン週間1位、売上約14.6万枚。

作詞・秋元康、作曲・後藤次利。おニャン子クラブに在籍したままのソロデビューだった。工藤静香はのちに、おニャン子クラブ(グループ)、うしろ髪ひかれ隊(ユニット)、ソロの3形態すべてでオリコン1位を獲得した唯一の人になる。夏の最終日に放たれた、新しいスターの出発点。

8

ロス・ロボス『La Bamba』、スペイン語の曲として史上初の全米1位

1987年8月29日付でビルボードHot 100の1位(3週連続)。スペイン語の曲として史上初の全米1位。映画『ラ・バンバ』の主題歌。

メキシコの伝統民謡をロス・ロボスがロックアレンジしたもの。原曲は1958年に17歳で世を去ったロックンロール歌手リッチー・ヴァレンスのヒットで知られ、映画はそのヴァレンスの生涯を描いた伝記作品だった。夏の終わり、全米チャートの頂点に立った陽気なラテンロック。

news · ニュース・出来事2

6

リゾート法施行(6月)、バブルを加速させた大規模開発の後押し

1987年6月、総合保養地域整備法(通称リゾート法)が公布・施行された。民間活力による大規模リゾート開発を後押しする法律だった。

余暇の充実と内需拡大、地域振興を掲げ、全国でゴルフ場やリゾートマンションの開発ラッシュを生んだ。「リゾート」という言葉がこの頃から一気に広まった。バブル景気を加速させた象徴的な立法だったが、のちのバブル崩壊で計画の多くは頓挫していくことになる。

7

首都圏大停電(7月23日)、猛暑の冷房需要で280万戸が停電

1987年7月23日、記録的な猛暑による電力需要の急増で、東京電力管内の約280万戸が停電した。午後1時すぎに発生し、約3時間で復旧した。

梅雨明け直後の猛暑で冷房需要が一気に増え、送電網の電圧が急低下したことが原因。新幹線や地下鉄、信号機が止まり、国会でも停電して審議が中断した。地震以外では当時として国内最大規模の停電で、「冷房列島」となった都市の電力の脆さを露わにした夏の出来事だった。

tv · テレビ3

6

郷ひろみ・二谷友里恵の結婚披露宴を生中継(6月12日)、視聴率47.6%

1987年6月12日、フジテレビが郷ひろみと二谷友里恵の結婚披露宴を生中継。平均視聴率47.6%、瞬間最大58.5%を記録した。

新高輪プリンスホテルからの完全生中継。芸能人の結婚披露宴の中継としては歴代最高の視聴率を記録し、1000名規模の披露宴が茶の間にそのまま届けられた。新婦の二谷友里恵は俳優・二谷英明の娘。テレビが日常と地続きだった時代を象徴する、夏の入口の一夜だった。

7

『一億人のテレビ夢列島』放送(7月18〜19日)、27時間テレビの第1回

1987年7月18日から19日にかけて、フジテレビ系で24時間を超える生放送特番が放送された。総合司会はタモリと明石家さんま。平均視聴率19.9%。

のちの『FNS27時間テレビ』へと続く第1回。全国の家族を生中継で訪ねる企画を軸にした夏の長時間特番だった。深夜のコーナーでは、しばらく謹慎していたビートたけしがテレビ復帰を果たし、タモリ・さんま・たけしのお笑いビッグスリーが久々に顔を揃えた場面が語り草になっている。

8

月9『ラジオびんびん物語』放送開始(8月3日)、田原俊彦主演の夏の月9

1987年8月3日放送開始のフジテレビ系・月曜9時ドラマ。主演は田原俊彦と野村宏伸。平均視聴率17.7%。

ラジオ局を舞台に、局の営業マンたちを描いた業界ドラマ。ラジオが若者文化の中心だった時代の空気を映した。田原俊彦と野村宏伸のコンビが人気を呼び、翌1988年の『教師びんびん物語』へと「びんびんシリーズ」が続いていく。8月から9月にかけての、夏の月9だった。

movie · 映画2

6

映画『プレデター』公開(6月)、シュワルツェネッガー全盛の夏のアクション

1987年6月、アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSFアクション『プレデター』が日本公開された。

中米のジャングルで、特殊部隊が透明化する宇宙のハンターに次々と狩られていくサバイバル・スリラー。ジョン・マクティアナン監督。シュワルツェネッガー全盛期の代表作の一つで、夏の洋画アクションの看板として劇場をにぎわせた。

8

『男はつらいよ 知床慕情』公開(8月15日)、三船敏郎をゲストに迎えた夏の寅さん

1987年8月15日、『男はつらいよ 知床慕情』(第38作)が公開された。山田洋次監督、渥美清主演で、三船敏郎がゲスト出演した。

北海道・知床を舞台にした寅さんの夏の一作。世界的な名優・三船敏郎を迎えたことで公開前から話題になった。シリーズは毎年、夏と正月に1本ずつ公開されるのが恒例で、お盆に家族で寅さんを観るのが、この時代の夏の風景だった。

trend · 流行・カルチャー3

7

俵万智『サラダ記念日』が280万部のベストセラー、「7月6日」が合言葉に

歌人・俵万智の第一歌集『サラダ記念日』(河出書房新社、1987年5月刊)が、この夏にかけて約280万部のベストセラーになった。

口語で日常や恋を詠む短歌が、若い読者の心をつかんだ。表題歌にちなんで「7月6日」がサラダ記念日として広く知られるようになり、短歌を古典から日常の言葉へと引き寄せた。1987年の年間ベストセラー1位。夏の書店を象徴する一冊だった。

7

「朝シャン」が流行語に、女子高生発の清潔ブーム

1987年、朝にシャンプーをする「朝シャン」が女子高生を中心に流行語になった。この年の新語・流行語大賞で表現賞を受賞した(発表は年末)。

資生堂のシャンプーのCMをきっかけに広まったとされる。朝シャン専用に洗面台の形を大きくした商品まで登場した。バブル前夜の「自分を磨く」清潔志向と消費文化を象徴し、女子高生が流行を生み出す時代の到来を告げた言葉だった。

8

夕やけニャンニャン終了・おニャン子クラブ解散(8月31日)

1987年8月31日、フジテレビ系の帯番組『夕やけニャンニャン』が放送終了し、おニャン子クラブが解散した。

1985年4月に始まり、番組からアイドルをリアルタイムに生み出す仕組みで一時代を築いたが、約2年半で幕を下ろした。解散は6月に告知されていた。1985年から続いた前半のアイドル文化の終わりを象徴する、夏の終わりの出来事だった。工藤静香のソロデビューも、同じ8月31日。

sports · スポーツ2

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衣笠祥雄が2131試合連続出場の世界新記録(6月13日)

1987年6月13日、広島東洋カープの衣笠祥雄が2131試合連続出場の世界新記録を達成。米大リーグのルー・ゲーリッグの記録を55年ぶりに更新した。

広島市民球場での中日戦での達成で、この試合では本塁打も放った。「鉄人」と呼ばれた衣笠の連続出場は、日本のプロ野球を超えて世界を驚かせた。6月22日には国民栄誉賞が贈られた。夏を前に、日本中が一人の選手の継続の力に沸いた出来事だった。

8

夏の甲子園でPL学園が春夏連覇(8月21日)、立浪世代の最強チーム

1987年8月21日、第69回全国高校野球選手権大会の決勝でPL学園(大阪)が常総学院(茨城)を破り優勝。春夏連覇を達成した。

のちにプロで活躍する立浪和義(主将)、片岡篤史、宮本慎也、橋本清、野村弘樹らを擁した世代で、史上最強と語られるPL学園の一つ。桑田・清原のKKコンビでさえ成し得なかった春夏連覇を、その後輩たちが成し遂げた夏だった。

tech gadget · モノ・ガジェット1

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ウォークマンWM-501発売、猿の「チョロ松」CMが話題(1987年7月)

ソニーが1987年7月に発売した「WM-501」は初めてカセットケースサイズを下回った小型ウォークマンで、ニホンザルのチョロ松が出演するCMが評判となった。

重低音DBB回路やアモルファスヘッドで音質を高めつつ小型化を実現し、「新世代ウォークマン」として売り出された。CMではニホンザルのチョロ松が音楽を聴きながらまどろむ姿が印象的で、その年のCMフェスティバルで賞を受けるほど話題になった。

game · ゲーム1

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『ドラゴンクエストII』が夏まで売れ続けた社会現象

1987年1月26日発売の『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』が、この夏まで売上ランキング上位を独占し続けた。国内売上は約240万本。

パーティ制や船による広い世界の移動を導入した第2作。発売直後から品切れや徹夜の行列が起き、半年近くにわたって売れ続けた。前作で生まれたドラクエ人気が社会現象になった年で、夏休みの子どもたちはこぞってロトの伝説の続きを冒険していた。

food · 食べもの1

7

江崎グリコ「キスミント」発売、唾液分泌ガムでヒット

江崎グリコが1987年に発売したガム「キスミント」は、有機酸配合で口の中を潤す「ウォータリングガム」として人気を集め、名刺サイズの薄型ケースも特徴的だった。

従来のガムとは違い、噛むと唾液がじわりと出てくる新感覚がガム界の革命児と呼ばれた。薄くてスタイリッシュな専用ケースはポケットに入れて持ち歩きやすく、当時の若者の間でファッション感覚のアイテムとしても親しまれた。

cm ads · CM・広告1

7

サントリー生ビールのCM「すごい男の唄」が話題に

1987年、サントリー生ビールのCMに作家の椎名誠が起用され、柳ジョージが歌う「すごい男の唄」とともに「ビールをまわせ 底まで飲もう」のフレーズが流れた。

椎名誠は前年の1986年からサントリービールのCMに出演していたが、1987年に「すごい男の唄」というテーマソングが付いたことで一気に印象が強まった。ビールをジョッキで回し飲みする豪快な演出は、当時の夏の飲食シーンの象徴的な一コマだった。

ここに並べたのは、1987に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。

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