河合その子『涙の茉莉花LOVE』、おニャン子クラブからのソロデビュー第1号で1位
1985年9月1日発売のソロデビューシングル。オリコン週間1位(9月16日付・23日付の2週)で、おニャン子クラブ関連の曲として初の1位。
河合その子はおニャン子クラブの会員番号12番で、おニャン子クラブからソロデビューした第1号。作曲・編曲は後藤次利、作詞は『T2』名義(ディレクターの稲葉竜文と後藤次利の共同の筆名)。オリコンは初登場5位、その翌週に1位。1985年度のオリコン年間50位。
AUTUMN · 1985
昭和60年 · 9・10・11月 · 全 48 件
9月13日に『スーパーマリオブラザーズ』が発売され、9月16日に科学万博つくば'85が約2033万人の入場者を集めて閉幕、9月22日にはプラザ合意。10月16日に阪神タイガースが神宮での引き分けで21年ぶりのリーグ優勝を決め、11月2日に球団初の日本一になった。テレビでは『8時だョ!全員集合』が9月28日に最終回を迎え、10月7日に『ニュースステーション』が始まった。小林明子『恋におちて』が通算7週1位、河合その子・菊池桃子・中森明菜・チェッカーズも1位を取り、関越自動車道の全線開通、埼京線の開業、新幹線100系のデビューが重なった三ヶ月。
この季節を、シンヤの声で聴く1985年9月1日発売のソロデビューシングル。オリコン週間1位(9月16日付・23日付の2週)で、おニャン子クラブ関連の曲として初の1位。
河合その子はおニャン子クラブの会員番号12番で、おニャン子クラブからソロデビューした第1号。作曲・編曲は後藤次利、作詞は『T2』名義(ディレクターの稲葉竜文と後藤次利の共同の筆名)。オリコンは初登場5位、その翌週に1位。1985年度のオリコン年間50位。
1985年9月26日発売の6枚目のシングル。オリコン週間1位(10月7日付・14日付の2週)。
江崎グリコ『ポッキー』のCMソング。作詞は康珍化、作曲・編曲は林哲司。菊池桃子のシングルで康珍化が作詞したのはこの曲だけ。CMのロケ地は岡山県の同和鉱業片上鉄道線の吉ヶ原駅だった。1985年度のオリコン年間40位。
1985年8月21日発売の23作目のシングル。オリコン週間2位、1985年9月度の月間2位。
作詞・作曲は桑田佳祐。9月14日発売のアルバム『KAMAKURA』の先行シングルで、サザンオールスターズはこのアルバムのあと活動を休み、1988年に再開した。TBS『ザ・ベストテン』では2週連続1位。アルバム『KAMAKURA』のCMで明石家さんまが口パクで歌い、さんまの持ち歌と勘違いする人が出て話題になった。
1985年9月5日発売の5枚目のシングル。オリコン最高5位、累計40万枚。
作詞は秋元康、作曲は見岳章。ムード歌謡の曲で、内山田洋とクール・ファイブがコーラスで参加した。秋元康は最初『雨の亀戸』として書いたが、石橋貴明が亀戸に行ったことがなかったため西麻布に変わった。TBS『ザ・ベストテン』では最高2位。第18回日本有線大賞の最優秀新人賞などを受けた。
1985年9月25日発売の6枚目のシングル。オリコン最高2位。
作詞は安藤秀樹、作曲は佐藤健、編曲は後藤次利。前の年に続いて、グリコ『カリフォルニアバー』のCMソングになった。吉川晃司本人はこの曲を、転機になった曲と位置づけている。B面の『I'm So Crazy』は、吉川が作曲した曲が初めてシングルに入ったもの。1985年度のオリコン年間68位。
1985年8月25日発売の10枚目のシングル。オリコン最高11位で、チャートに30週とどまるロングヒット。
日清食品が曲を気に入り『カップヌードル』のCMソングに採用した(映像はパリ・ダカールラリー)。作詞は松尾由紀夫、作曲・編曲は蓑輪単志。最初は大友康平が書いた詞だったが、レコード会社の担当者が松尾由紀夫に書き直しを頼み、サビの一部だけ大友の詞が残った。オリコンの年間順位は1985年度147位、1986年度91位と、年をまたいで売れた。
1985年8月31日発売のデビューシングル。オリコン週間1位を通算7週(10月28日付〜12月30日付)獲得し、累計95.4万枚(オリコン集計)。
TBS系の金曜ドラマ『金曜日の妻たちへIII・恋におちて』(1985年8月30日〜12月6日・全14回)の主題歌。作詞は湯川れい子、作曲は小林明子、編曲は萩田光雄。ドラマの約1年前、音楽制作会社に勤めていた小林明子が別の歌手のために書いた曲で、デモで歌った声が認められて本人が歌うことになった。TBS『ザ・ベストテン』では12月5日に1位になり、3週連続1位。第27回日本レコード大賞の新人賞。1985年度のオリコン年間3位。
1985年10月9日発売の13枚目のシングル。オリコン週間シングルチャートで10月21日付に初登場1位。
作詞は湯川れい子、作曲はタケカワユキヒデ、編曲は中村哲。中森明菜本人が選んでシングルになった曲で、湯川れい子とタケカワユキヒデの組み合わせは中森作品で初めて。TBS『ザ・ベストテン』では3週連続で最高2位。1985年度のオリコン年間35位。第16回日本歌謡大賞の放送音楽賞などを受けた。
1985年10月21日発売の4枚目のシングル。オリコン最高3位、1986年度のオリコン年間30位。
日本テレビ系ドラマ『ハーフポテトな俺たち』のエンディングテーマ(同じ盤の『ガールズ ブラボー!』はオープニングテーマ)。作詞はNOKKO、作曲は土橋安騎夫。NOKKOは、中学3年生のときに初めてできたボーイフレンドのことを書いた歌だと話している。
1985年10月1日発売の10枚目のシングル。オリコン最高2位・38.8万枚。TBS『ザ・ベストテン』では10月24日から5週連続1位。
作詞は松井五郎、作曲は玉置浩二、編曲は安全地帯と星勝。前作『悲しみにさよなら』の約3か月後の発売。大王製紙『エリス』のCMソングで、玉置浩二が初めてCMに出演した。1985年度のオリコン年間29位。
1985年10月16日発売の21枚目のシングル。オリコン10月28日付で初登場2位(初週6万8770枚)。
高見沢俊彦がリードボーカルを取った曲で、『恋人達のペイヴメント』以来1年ぶりの高見沢ボーカルのシングル。作詞は高見沢俊彦と高橋研、作曲は高見沢俊彦。当時のグループの表記はALFEE(のちのTHE ALFEE)。TBS『ザ・ベストテン』では最高4位。
1985年10月5日発売のデビューシングル。オリコン最高5位。
おニャン子クラブの高井麻巳子と岩井由紀子のユニット。フジテレビ系アニメ『ハイスクール!奇面組』の初代オープニングテーマで、B面の『女学生の決意』はエンディングテーマ。作詞は秋元康、作曲は後藤次利。ジャケットの赤いセーラー服は、作品の初期の舞台『一応中学校』の女子の制服がもとになっている。
1985年10月16日発売の21枚目のシングル。オリコン最高10位。
フジテレビ系アニメ『タッチ』の第2期オープニングテーマ。作詞は康珍化、作曲・編曲は芹澤廣明。B面の『青春』は第2・3期のエンディングテーマ。この年の12月、『1985 FNS歌謡祭』で優秀歌謡音楽賞を受けた。
1985年8月13日に米国で発売。全米ビルボードHot 100で1985年10月26日付に1位。全英では12月14日付から2週1位。
デビュー・アルバム『Whitney Houston』(日本盤の題は『そよ風の贈りもの』)からのシングル。a-ha『Take On Me』に代わっての全米1位だった。アルバムは日本のオリコンLPチャートで最高4位、76週チャートに入った。
ノルウェーのa-haのデビュー曲。再録音した1985年版が世界的なヒットになり、全米ビルボードHot 100で1985年10月19日付に1位。
1984年に出した最初の版は英国でチャートに入らなかった。実写の上にスケッチ風のアニメを重ねたミュージック・ビデオがMTVで流れ、全米1位を後押しした。ノルウェーのアーティストとして初めてのビルボード1位。全英では最高2位。
英国では1985年6月に発売され、10月12日付から全英5週連続1位。1985年の英国で最も売れたシングルになった。
西ドイツでは1984年12月に発売されていた。米国ではヒットせず、Hot 100最高57位(1986年4月)。日本でも1985年にEpicから7インチ・シングルが出ていた。
1985年11月1日発売の9枚目のシングル。オリコン週間1位(11月11日付)。
作詞は康珍化、作曲・編曲は芹澤廣明。康珍化の作詞はデビュー曲『ギザギザハートの子守唄』(1983年9月)以来で、チェッカーズのシングルに関わったのはこれが最後になった。リーダーの武内享は、『ザ・ベストテン』の初登場のときにこの曲を『シャウトする演歌』と話した。1985年度のオリコン年間44位。
1985年11月15日発売の4枚目のシングル。オリコン最高3位。
作詞は松本隆、作曲は筒美京平、編曲は武部聡志。斉藤由貴が主演した東宝映画『雪の断章』の主題歌で、富士フイルム『AXIA』のイメージソングでもあった。TBS『ザ・ベストテン』では最高6位(12月5日)。
1985年11月7日発売の7枚目のシングル。オリコン最高5位。
作詞は康珍化、作曲・編曲は林哲司。杉山清貴が出演したダイドードリンコ『ダイドージョニアンコーヒー』のCMソング。このシングルとアルバム『FIRST FINALE』を最後に、1985年12月24日の横浜文化体育館でのコンサートで杉山清貴&オメガトライブは解散した。
アルバム『In Square Circle』からの第1弾シングル。全米ビルボードHot 100で1985年11月2日付に1位。
日本ではスティーヴィー・ワンダー本人が出演したTDKのカセットテープ『AR』のCMで使われ、1985年10月から1986年3月まで流れた。同じ秋に日本公演があり、10月23日の大阪城ホールから、11月2日・3日の後楽園球場などを回った。R&Bやダンスなどのチャートでも1位になった。
1985年9月16日、3月17日から184日間開かれた国際科学技術博覧会(科学万博つくば'85)が閉幕した。総入場者は2033万4727人。
テーマは『人間・居住・環境と科学技術』。会場は茨城県筑波郡谷田部町(現在のつくば市)など。閉会式は9月16日にエキスポプラザで行われ、博覧会国際事務局の旗は次の開催国カナダの代表に引き継がれた。会期中は連日10万人を超える人が訪れた。マスコットはコスモ星丸。
1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで日・米・英・西独・仏の5か国(G5)の財務大臣・中央銀行総裁が会議を開き、ドル高の是正で合意した。日本からは竹下登蔵相が出席した。
参加国が為替市場で協調して介入し、ドルに対して各国の通貨を切り上げるという内容。円相場は、合意前の1ドル240円台から、約1年後には150円台まで円高が進んだ。
1985年10月1日現在で第14回国勢調査が行われ、総人口は1億2104万8923人。5年前(1980年)から約399万人増えた。
この回は簡易調査で、調査票はマークシート方式、調査項目は17だった。
1985年9月28日、ザ・ドリフターズの公開生放送バラエティ『8時だョ!全員集合』が全803回で終わった。最終回の視聴率は34.0%(関東地区・ビデオリサーチ)。
1969年10月4日に始まり、中断期間をはさんで約16年続いた土曜20時の番組。出演はいかりや長介・高木ブー・仲本工事・加藤茶・志村けん。TBSは7月19日の発表で、終わる理由に公開の生放送を続ける限界などを挙げた。最高視聴率は1973年4月7日の50.5%。終了後は総集編をはさみ、1986年1月11日から『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まった。
1985年10月7日、平日夜10時台の報道番組『ニュースステーション』がテレビ朝日系で始まった。メインキャスターは久米宏、サブキャスターは小宮悦子。
民放で初めて、平日のプライムタイムに1時間を超えるワイド編成で始まった報道番組。『中学生でもわかるニュース』を掲げ、フリップや模型を使って伝えた。放送は2004年3月26日まで続いた。久米宏はこの年の4月25日まで、TBS『ザ・ベストテン』の司会を務めていた。
1985年10月4日、『水曜ロードショー』が金曜21時に移り、『金曜ロードショー』として始まった。第1回の作品は『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』。
日本テレビ系の映画番組。1972年4月から続いた『水曜ロードショー』を金曜日に移す形で始まった。解説は水野晴郎(1997年3月まで)。
1985年10月12日、フジテレビほかで『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ第3シリーズが始まった(1988年3月まで・全115話)。鬼太郎の声は戸田恵子。
本編は毎週土曜18時30分。オープニング『ゲゲゲの鬼太郎』とエンディング『おばけがイクゾー』は、どちらも吉幾三が歌った。12月21日公開の『東映まんがまつり』では劇場版も上映された。
1985年10月6日、毎日放送制作のクイズ番組『アップダウンクイズ』が『22年間ありがとう!!シルエット大会』で最終回を迎えた。1963年10月6日から22年、1084回。
毎週日曜19時からの30分番組。正解のたびに解答席のゴンドラが1段上がり、間違えると一番下まで下がるルールだった。歴代の司会は市村俊幸、小池清、西郷輝彦。
1985年10月6日、和田アキ子が司会の日曜昼の生放送バラエティ『アッコにおまかせ!』がTBS系で始まった。
和田アキ子が司会を務める日曜昼の情報バラエティとして、長く続く番組になった。峰竜太の出演は1993年10月から。
1985年9月14日公開、原田知世主演。監督は澤井信一郎、原作は赤川次郎。配給は東宝と角川春樹事務所。
17歳の少女の恋と成長を描いた作品で、共演は林隆三ら。主題歌は原田知世が歌った。1985年の邦画配給収入では、『二代目はクリスチャン』との二本立てで6位(12.5億円)。第9回日本アカデミー賞で、澤井信一郎が最優秀監督賞を受けた。
1985年11月23日公開。監督・脚本は伊丹十三、出演は宮本信子・山﨑努・渡辺謙・役所広司ほか。配給は東宝。
売れないラーメン屋の女店主タンポポの店を、タンクローリーの運転手ゴローと相棒のガンが立て直していく物語。作中ではリストの交響詩『前奏曲』が使われている。アメリカでも公開され、興行成績は邦画で2位とされる。
1985年10月16日、神宮球場でのヤクルト戦が延長10回5対5の引き分けとなり、阪神の21年ぶりのセ・リーグ優勝が決まった。監督は吉田義男。
この日は、勝つか引き分ければ優勝が決まる状況だった。試合は時間切れの規定で延長10回の引き分けになった。この年の阪神はチーム本塁打219本で、セ・リーグの記録を更新した。最終成績は74勝49敗7分。デイリースポーツによれば、関西地区の瞬間最高視聴率は74.6%だった。
1985年11月2日、日本シリーズ第6戦で阪神が西武を9対3で破り、4勝2敗で球団初の日本一になった。シリーズの最高殊勲選手はランディ・バース。
第6戦は西武ライオンズ球場で行われ、1回に長崎啓二が満塁本塁打を打ち、先発のリチャード・ゲイルが完投した。バースはこのシリーズで打率.368・3本塁打・9打点。阪神は甲子園での胴上げはできなかった。バースはこの年、打率.350・54本塁打・134打点でセ・リーグの三冠王になり、パ・リーグではロッテの落合博満(打率.367・52本塁打・146打点)も三冠王になった。
1985年11月20日の第21回ドラフト会議で、PL学園の清原和博に6球団が1位指名し、抽選で西武が交渉権を得た。同じPL学園の桑田真澄は、巨人が単独で1位指名した。
会場は東京・千代田区のホテルグランドパレス。清原を1位で指名したのは南海・日本ハム・中日・近鉄・西武・阪神の6球団。2人はこの年の夏の甲子園で優勝したPL学園の選手だった。
1985年11月24日、東京競馬場の第5回ジャパンカップ(芝2400m)で、シンボリルドルフ(騎手・岡部幸雄)が2分28秒8で優勝した。
単勝1番人気。調教師は野平祐二。ジャパンカップの創設から1990年までの10回で、日本の馬が勝ったのは1984年のカツラギエースと、この年のシンボリルドルフの2回だけだった。
『トラキチ』は1985年の第2回新語・流行語大賞で流行語部門の銀賞に選ばれた。受賞者は阪神タイガース私設応援団長の松林豊。
公式の説明では、21年ぶりの優勝を遂げた阪神を応援した熱狂的な応援団のこと。ハッピ・メガホン・帽子の『三種の神器』に身を包み、『阪神命』と熱狂する人たちが社会現象になり、『にわかトラキチ』も多く現れた。
1985年、NTTが肩から提げて持ち歩く電話『ショルダーホン』を始めた。重さは約3kg。年表では9月の発売とされる。
総務省の資料では、保証金が約20万円、月額基本使用料が2万円強、通話料は1分100円。2年後の1987年にNTTが出した携帯電話は約900gまで軽くなった。
1985年9月、ソニーが初代『ハンディカム』となる8ミリビデオの録画専用機『CCD-M8』を出した。ソニーは当時世界最軽量の1.0kgとしている。
再生の機能を省いて小さくした録画専用のビデオカメラで、『片手でアクション』をうたった。再生用の据え置きのデッキも一緒に出た。8ミリビデオの1号機『CCD-V8』は同じ年の1月に出ている。
1985年9月13日、任天堂がファミコン用ソフト『スーパーマリオブラザーズ』を発売した。価格は4,900円。
さらわれたピーチ姫を助ける横スクロールのアクションで、全8ワールド32コース。爆発的に売れてファミコン本体が品薄になり、徳間書店の攻略本もベストセラーになった。任天堂によれば世界で4000万本以上を売り、ファミコン最大のヒット作になった(後年までの累計)。
1985年10月、セガ・エンタープライゼスが家庭用ゲーム機『セガ・マークIII』を発売した(セガの今のサイトでは10月20日)。
SG-1000の後継機で、前の機種のソフトも遊べた。同時発売のソフトは『テディボーイブルース』と『ハングオン』。
1985年9月30日、東京・恵比寿にドミノ・ピザの日本1号店がオープンした。
アメリカのドミノ・ピザとフランチャイズ契約を結んでの出店。同社は、1985年9月30日に日本で最初の宅配ピザチェーンとして歩みを始めたと説明している。
1985年9月、ロッテが『のど飴』を発売した。
ロッテは、のど飴というキャンディの新しい分野を確立した商品だと説明している。発売日を9月2日とする年表もある。
1985年10月16日、福岡市中央区大名で、河原成美がラーメン店『博多 一風堂』を開いた。
掲げた考えは『女性が一人でも入りやすいラーメン専門店』。
1985年秋の資生堂のキャンペーン。CMのタイトルは『水・金・地・火・木・土・天・冥・海』、モデルは楠本裕美、CMソングは松任谷由実『メトロポリスの片隅で』(1985年8月1日発売)。
資生堂の資料(コンピレーションCD『音椿』の一覧)による。商品は『フェアネス』(Wikipediaの資生堂のCMソングの表では『フェアネス コスモアイカラー』)。
1985年9月、ホンダの軽自動車『トゥデイ』(初代・軽ボンネットバン)が発表・発売された。CMには今井美樹が出演した。
ホンダの資料では1985年9月10日。Wikipediaは9月10日発表・9月11日発売とする。初期のCMソングは『はぐれそうな天使』で、最初は来生たかおが歌い(シングルは1985年9月10日発売)、途中から岡村孝子の歌に変わった(岡村孝子のシングルは1986年3月20日発売)。
1985年9月30日、国鉄が赤羽〜大宮間の新線を開業し、池袋〜大宮を『埼京線』として走らせ始めた。同じ日に川越線の大宮〜高麗川が電化され、川越まで直通運転が始まった。
池袋〜川越は最短44分(通勤快速)で、それまで乗り換えを含めて69分かかっていた。開業日の朝のラッシュでは乗車率150%を記録した。『埼京線』の愛称は7月11日に発表された。新宿まで延びたのは翌1986年3月3日。
1985年10月2日、前橋IC〜湯沢IC間(74.9km)が開通し、関越自動車道(練馬〜長岡JCT・246.3km)が全線開通した。
最後に残った県境の区間には、長さ約11kmの関越トンネル(下り1万926m・上り1万1055m)が通された。総事業費は約630億円。練馬IC〜川越ICの開通(1971年12月)から全通まで14年かかった。それまで群馬と新潟の県境を越える道は、国道17号の三国峠だけだった。
1985年10月1日、東海道・山陽新幹線に100系がデビューした。新幹線で初めて2階建ての車両を組み込んだ。
初日は東京8時発博多行きの『ひかり3号』などで営業運転を始めた。2階建ての車両には、2階が食堂の食堂車や、2階がグリーン席の車両があった。先頭の形から『シャークノーズ』と呼ばれ、国鉄時代の愛称は『ニュー新幹線』。
ここに並べたのは、1985年秋に実際にあったことの断片です。 深夜ラジオのDJ「シンヤ」は、この断片を走馬灯のように、 当時の曲を挟みながら、あなたの隣で流していきます。
1985年 秋を聴く